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作家・法政大学教授の島田雅彦氏の暗殺(テロ)肯定論に関わる文章が難しくて理解できなかったので書き換えてみました

作家で法政大学教授の島田雅彦氏が、自分の動画チャンネルAir Revolutionに今年(2023年)4月14日に配信した動画の中で、「(安倍晋三元総理大臣の)暗殺が成功して良かった」という発言をしたことが、一時期話題になった。共演者は、青木理氏、白井聡氏(京都精華大学准教授)であった。
私は動画を実際に観たが、確かにそういう意味のことを明言していた。それだけでは情報不足だったが、幸い、夕刊フジによる四項目から成る質問に対して、島田氏が書いた回答文が同誌に掲載された(2023年4月19日)。
四項目の質問は以下の通りである―
 
①    「あの暗殺が成功して良かった」という発言の意味・真意は。
②    暴力で言論が封じられることを、時と場合によっては良いと考えるのか。
③    法政大学教授として「テロ行為の容認」という教育をしているのか。
④    放送翌日、岸田首相に爆発物が投げつけられる事件が発生した。感想を。
 
それに対する島田氏の回答文を、少し長くなるが、以下に全文引用する―
 
「テロの成功に肯定的な評価を与えたことは公的な発言として軽率であったことを認めます。殺人を容認する意図は全くありませんが、そのように誤解される恐れは充分にあったので、批判は謙虚に受け止め、今後は慎重に発言するよう努めます。
ただ、安倍元首相襲撃事件には悪政へ抵抗、復讐(ふくしゅう)という背景も感じられ、心情的に共感を覚える点があったのは事実です。山上容疑者が抱えていた旧統一教会に対する怨恨(えんこん)には同情の余地もあり、そのことを隠すつもりはありません。
さらに政権と旧統一教会の癒着を暴露する結果になったのも事実です。今回の「エアレボリューション」での発言はそうしたことを踏まえ、かつ山上容疑者への同情からつい口に出てしまったことは申し添えておきます。
また大学の講義で殺人やテロリズムを容認するような発言をしたことはありません。テロ容認。言論に対する暴力的封殺に抵抗を覚えるのは一言論人として当然であるし、また暴力に対する暴力的報復も否定する立場から、先制攻撃や敵基地攻撃など専守防衛を逸脱する戦争行為にも反対します。
戦争はしばしば、言論の弾圧という事態を伴ってきたという歴史を振り返り、テロリズムと同様に戦争にも反対の立場であることを明言しておきます。
一方で、安倍元首相暗殺事件や岸田首相襲撃事件を言論に対する暴力と捉える場合、これまで政権が行ってきた言論、報道への介入、文書改竄(かいざん)、説明責任の放棄といった負の側面が目立たなくなるということもありました。
また民主主義への暴力的挑戦と捉えると、国会軽視や安保三法案の閣議決定など民主主義の原則を踏み躙るような行為を公然と行ってきた政権があたかも民主主義の守護者であったかのような錯覚を与えるという面もあります。
テロは政権に反省を促すよりは、政府の治安維持機能を強化し、時に真実を隠蔽することに繋がることもあるがゆえ、肯定的評価を与えることはできません。そのことはテロリズムを描いた拙著『パンとサーカス』でも明らかにしています。
放送の翌日に岸田首相に爆発物が投げつけられる事件が起きましたが、歴史を振り返ると、テロリズムが世直しのきっかけになったケースはほとんどないし、連鎖反応や模倣犯を呼び込む可能性もあると改めて思いました。」
 
私は昨年2月から、ロシア・ウクライナ戦争に関して、素人なりの立場から調査・研究を行っており、間もなく新曜社から『物語戦としてのロシア・ウクライナ戦争―物語生成のナラトロジーの一展開』という書物が刊行される予定であるが、現代日本の社会状況や社会現象もこの調査・研究の射程範囲に含まれている。所属する大学(岩手県立大学)の各種授業でもロシア・ウクライナ戦争や現代日本社会の諸問題を取り上げており、島田氏による暗殺肯定思想も学生が考えるための素材として利用させてもらっている。
島田氏は著名人であり私のような無名人とは違うが、同じ大学教授という立場であり、「大学の先生と言ってもいろいろな考え(思想)の持ち主がいます。偉い(と世間から思われている)人の言うことだからと言って鵜呑みにせず、自分の頭で考えましょう」と学生にはアドバイスし、私とはかなり異なる意見・価値観の持主の例として、島田氏の暗殺(ないしテロ)肯定論を学生に情報提供している。
しかし一つ困ったことがあった。それは、上で引用した島田氏の文章が、あまりに非論理的で(「作家」なので―前衛小説・実験小説風に?―わざとやっているのだと考えておきましょう。そうでないと、ただの「頭の悪い人」になってしまいますので)、理解するのが非常に困難な文章である、という点であった。そこで、かなり苦労しながら(・・・なぜ素人の俺が、「大作家」(?)の文章を、タダで、推敲どころか構成から抜本改訂してやらなければならないの、と苛立ちながら)、ひどく混濁したその文章の諸命題を腑分けした上で再結合し、以下のように書き換えたバージョンも併せて学生には提供している。島田氏の文意を損なっている部分がある可能性もあるが、そうしないと十分に説明できないので、そうした次第である。
参考までに、私が書き換えた文章を以下に掲げる―
 
「私は山上のテロの成功に肯定的な評価を与えました。これは確かです。しかし、公的な発言としては軽率であったと考えています。その点での批判は謙虚に受け止め、今後は慎重に発言するよう努めます。
そもそも私は暴力が嫌いです。当然テロも暴力です。大学教授の立場から、大学の講義で、殺人やテロリズムを容認するような発言をしたことはありません。テロ容認や、言論に対する暴力的封殺に抵抗を覚えるのは、一言論人として当然です。
また、話が少し飛びますが、私は、暴力に対する暴力的報復も否定します。さらに話が飛びますが、政治的には、先制攻撃や敵基地攻撃など、専守防衛を逸脱する戦争行為という暴力にも一切反対します。
さらに話が飛んでしまい恐縮ですが、戦争はしばしば、言論の弾圧という事態を伴ってきました。このような歴史を振り返り、テロリズムと同様に、戦争にも反対します。
このように、あらゆる暴力が嫌いな私は、当然テロを否定します。テロは政権に反省を促すよりは、政府の治安維持機能を強化します。また、時に真実を隠蔽することに繋がることもあります。それゆえ私は、テロに肯定的評価を与えることはできません。(そのことはテロリズムを描いた拙著『パンとサーカス』でも明らかにしています。)
放送の翌日に岸田首相に爆発物が投げつけられる事件が起きました。歴史を振り返ると、テロリズムが世直しのきっかけになったケースはほとんどなかったと私は思います。また、連鎖反応や模倣犯を呼び込む可能性もあると、改めて私は思いました。
しかしながら、山上による安倍元首相襲撃事件には、悪政への抵抗・復讐という背景があります。その点で私は、心情的に山上に共感を覚えました。山上容疑者が抱えていた旧統一教会に対する怨恨には同情の余地があります。私は、そのこと、つまり自分の山上への同情心を隠すつもりはありません。実際山上のテロは、政権と旧統一教会の癒着を暴露する結果になりました。
確かに、安倍元首相暗殺事件や岸田首相襲撃事件は言論に対する暴力です。しかし、そのことを問題視し過ぎれば、これまで政権が行ってきた言論・報道への介入、文書改竄、説明責任の放棄といった負の側面が、目立たなくなります。
また、山上のテロは民主主義への暴力的挑戦ですが、それを強調し過ぎれば、国会軽視や安保三法案の閣議決定など、民主主義の原則を踏み躙るような行為を公然と行ってきた政権が、あたかも民主主義の守護者であったかのような錯覚を、人々に与えるという効果をもたらします。
今回の「エアレボリューション」での発言では、そうしたことを踏まえ、かつ山上容疑者への同情心から、私は山上による安倍暗殺のテロを肯定的に評価しました。」

(冒頭の画像は、青森県三沢市・「寺山修司記念館」収蔵展示物。著者撮影。)

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