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中学受験に失敗した少年時代を振り返って気づいた3つのこと
きっかけは作文から
昨年、とある講座を受講した際の課題として、「最も心に残っている私の少年時代の思い出」というテーマで作文を書く機会がありました。その時私が思い出したのは、「中学受験に失敗したこと」でした。
私が中学受験をしたのは、もう30年以上も前のことですが、ちょうど最近、自分の子どもが中学受験の勉強をしていたこともあり、自然と自分の過去を振り返ってみたくなったのだと思います。その作文がきっかけとなり、少年時代の挫折について改めて考え直すことになりました。
作文の内容:中学受験への挑戦と失敗
私が書いた作文の内容を少しご紹介します。
当時、私は地元の小さな塾に通い、サッカーなどの習い事も中断して勉強に専念していました。社会の地理の暗記がなかなかできず、時には涙を流しながら勉強をしていた日もあったと思います。
私が通っていた小学校では6年生が2クラスあり、その中で4~5人の生徒が中学受験にチャレンジしました。(当時はまだ中学受験をする子どもは随分少なかったですね)
私はクラスでは何となくリーダー的存在で、成績も悪くありませんでした。他の受験したメンバーにも勉強で引けを取らないはずだったのですが、結果的に中学受験に失敗したのは私だけだったのです。
不合格であることが分かった当日の夕方、私は1人で近くの公園にサッカーボールを蹴りに行きました。何度も繰り返し壁に向かっておもいっきりボールを蹴っていました。その時の感情は、「くやしい」、「残念」、「はずかしい」、「これからどうしよう」、など色々な気持ちが入り混じったとても複雑な感情だったと記憶しています。
そしてボールを蹴り続けるのも飽きて疲れはじめた頃、「中学生になって頑張るしかないか・・・」と少し気持ちを切り替えて帰宅しました。
もちろん、その後もモヤモヤしていたとは思いますが、気が付けばそのモヤモヤも時間が解決してくれましたし、おそらく親もあたたかく見守ってくれていたんだと思います。
この出来事は、私にとって初めて挫折した体験でしたが、それと同時に自分なりに自分で自分に折り合いをつけて次に進めた体験でもありました。
挫折を振り返って気づいた3つのこと
30年以上経った今、この少年時代の体験を振り返ると、大切な3つの気づきがありました。
1. 子どものプライド・自尊心・感情を理解し寄り添う大切さ
作文を読んでくださった先生が次のようなコメントをくれました。
不合格がわかり、その後に公園で1人でサッカーボールを蹴るという行動を選んだのは、誰からも馬鹿にされたくもなければ、誰からも同情されたくないといような、子どもながらのプライドもあったのかなと思いました。人生で初めての自尊心を大きく揺さぶられるような経験は、当時のあなたにとって大きな危機的な問題だったと思います。
「誰からも馬鹿にされたくもなければ、誰からも同情されたくないというような子どもながらのプライド」、「人生で初めての自尊心を大きく揺さぶられるような経験」、「当時のあなたにとって大きな危機的な問題」
まさにそのとおりで、とてもうまく表現してくださったと感じ入ってしまいました。多くの経験を積んだ大人からすると、子どもの戸惑いや悩みはついつい「ささいなこと」、「悩む必要がないこと」と捉えてしまうかもしれません。しかし、子どもにとっては世界が崩れたようなつらい気持ちになることもあるはずです。
「大丈夫、なんとかなる」、「たいしたことないよ」と励ます前に、まずは相手の視点でその感情や思いを理解しようと努め、寄り添ってあげることが何よりも大切なのではないでしょうか。
これは、大人と子どもの関係に限ったことではありません。夫婦・パートナー・職場の人間関係や友人とのやりとりでも同じです。人それぞれ「違い」があるものであり、たいていの場合、お互いに相手に寄り添おうとしないことから様々な悩みや不幸が起こるのだと思います。
相手の視点に立ち、寄り添おうとする姿勢が、良い関係を築く第一歩になると改めて感じました。
2. 自分の問題に自分で向き合い自分で解決する姿勢
(ただし忘れてはならない2つのこと)
先生のコメントにはもう一つ印象的な一節がありました。
わずか12歳の少年は、自分の問題を誰かに解決してもらったわけではなく、自分の感情に向かい合い、受け容れ、多少時間がかかったとはいえ、自分で折り合いをつけ、自分の力で解決したのですね。あたたく見守ってくれた家族の存在も、自分自身で問題を解決する大きな力になったのかなと思いました。
「いい感じにコメントしてくれるな~!ちょっとおおげさかも・・・」というのが最初に感じた印象ですが、素直にうれしかったし、当時の自分を思い出して思わず涙ぐんでしまいました。
当時、受験に失敗した時のことはあまり覚えていないのですが、自分ひとりでサッカーボールを蹴りにいったことだけは、不思議と強く印象に残っていました。振り返ると、確かにそのときの私は、失敗を受け止め、自分なりに次の一歩を踏み出そうとしていたのかもしれません。
子どもでも大人でも、うまくいかないことや問題が起きると、ついつい他責にしたくなることはありますし、実際に他責であることもあるかもしれません。しかし、他人は簡単には変えられないし、他人に思い通りに動いてもらうことは難しいとすれば、自分の問題として受け容れ、自分で解決していく方が近道であることがやはり多いのだと思います。
明治維新や日本の未来に大きな影響を与えた幕末の天才思想家である吉田松陰は次のような趣旨の言葉を残しています。
「すべての問題の根本は自分の中にある」どれだけ大きな計画であっても、物事を動かす基本はここにあります。
計画がうまくはかどらずに悩んだときは、外部に答えを求めることなく、「まず自分はどうあるべきなのか」
雑音から距離を置いて、ひとり静かに考えてみましょう。
「まずは自分で」という姿勢が大切だし、気持ち良く力強く生きていくための大きな指針になるに違いありませんし、私もそうありたいと思います。
ただし、「他責にせず自分で受け容れ解決する」がとても大切な一方で、以下の2点も同じくらい大切だと強く感じます。
1. 自分だけで解決できているのでなく、そこには必ずまわりのサポートがあり、そのことへの感謝を忘れてはならない
2. 「全て自分の責任、自分がよくない、自分で何とかしなくちゃ」と考え過ぎると、つらくて動けなくなることがあるので、時には他責もOKだし、つらい時はとにかく誰かに話を聞いてもらう
(自分のまわりにそういう人がいないかアンテナをはって、声をかける)
誰かが前に進むために、きっと他の誰かがサポートしてくれています。
みんながみんな、常に自分で簡単に前に進めるわけではありませんし、何かつらいことがあった場合、時には他責もOKで、他人に頼ったり、話を聞いてもらうことが必要です。
こうありたいという姿を求めつつも、それだけでみんなが全てうまくいくほど簡単ではないことも忘れないでいたいと思います。
3. 過去は捉え方次第でプラスにもマイナスにもなる
アドラー心理学の名著「嫌われる勇気」には、次のような一節があります。
哲人:過去にどんな出来事があったとしても、そこにどんな意味づけをほどこすかによって、現在のあり方は決まってくるのです。
青年:問題は「なにがあったか」ではなく、「どう解釈したか」であると?
哲人:まさに。~中略~ 過去がすべてを決定し、過去が変えられないのであれば、今日を生きるわれわれは人生に対してなんら有効な手立てを打てなくなってしまう。
私にとって「中学受験の失敗」は、当時はつらい出来事でした。しかし、時が経つにつれ、それを「良い経験だった」と思えるようになりました。
そして、今の自分や人間関係があるのは、あの失敗があったからだと考えるようになったのです。事実、その時の失敗がなければ、今まわりにいる人とは出会っていなかったはずです。
もちろん、もっとつらい体験や境遇の方と比較すると、いや、比較するのも失礼だと思いますし、こんな正論がいつもとおるほど世の中は簡単ではないことは少しはわかっているつもりです。実際に「過去の意味づけを変える」というのは、とても力強いと同時に難しいことだとも思いますし、すべてのつらい体験を簡単にポジティブに変えられるわけではありません。
しかし、過去の出来事に別の意味づけをすることは、前に進むための大きなヒントになりますし、こういった考え方を知っておくと、人生で何かにつまいづた時に起き上がり、時には少し休みながらも前に進むきっかけになってくれるのではないでしょうか。
これらのことは大人にとっても、子どもにとっても同じですし、むしろ我々大人こそ、過去の捉え方を変え、現在や未来を率先して自分なりにHappyに生きる姿を子どもたちに見せていきたいものです。
まとめ
「最も心に残っている私の少年・少女時代の思い出」という作文を書いてみると良い気付きがあるかも
子どもでも大人でも、それぞれのプライド・自尊心・感情があるし、安易に助言するのではなく、まずは相手の目線で理解しようとして寄り添うことが大切
何か起こった時、簡単に他責にせず、自分の問題を自分で向き合い自分で解決する姿勢は、結果的に解決の近道になる
ただし、一見自分の力だけでうまくいったようでも、必ずまわりがサポートしてくれたからこその結果だし、そのことに感謝したい
また、あまりに自責にし過ぎるとつらくて動けなくなることもあるので、時には他責にして、まわりの人に頼ったり、話を聞いてもらうことが大事(まわりの人はそういう人がいれば声をかけてあげてほしいし、自分もそうしたい)
過去をどう捉えるかで現在や未来のあり方は変えることができる