ちゃんと自分にも花丸を
僕は昔、学習塾でアルバイトをしていたことがあります。
その塾では、提出された課題のプリントに1つも間違いがないときは、花丸をつけて子どもたちに返すのがきまりでした。
僕は花丸をつけて子どもにプリントを返す瞬間が好きでした。
子どもたちのほとんどがうれしそうな顔をしてくれるからです。
その多くは「早く帰れる!」という理由からだったと思いますが⋯⋯
中には自分の成果を噛み締めるような喜び方を見せてくれる子どももいて、「よく頑張った!」などと声をかけながらプリントを返していました。
もちろん花丸じゃないときの方が多いですし、何度も同じような間違いをしてしまう子どももいます。
そんなときは、
「ここまではできているからもう一度考えてみよう」
「自分で直せたんだから十分すごい」
といった声がけをしていました。
自分も幼少期に同じ塾に通っていて大変さを知っていたので、自然と子ども達のできているところや褒める部分を探すことができていたんですよね。
もちろんそれらは子ども達に「自分ではできない」と諦めさせないためのテクニックとしても役立ちます。
ですが僕はそれ以上に、子ども達の「自分でもできた」と喜んだり自信を持ったりする姿を見ることにうれしさややりがいを感じていました。
その感覚は社会人になってからも引き継いでいて、後輩には率先して仕事を教えたり、「今の電話対応、良かったじゃん」といった声がけをしたりしていました。
そして後輩達が自主的にテキパキと仕事を進めるようになったり、最初は緊張していた電話対応などを自信を持ってできるようになったりする様子を見るのが楽しかったんです。
そんなふうに「褒める」ことの威力や大切さを実感している僕ですが、自分を褒めることだけは苦手なんですよね。
たとえば先日、久しぶりにブログ記事を書き上げたときのこと。
文字数は約6,000字になり、他のブログ記事と比べても力が入った記事でした。
記事を書き終わったときは「いい記事が書けたな」と思えていたんですが、しばらくすると
Webライターになろうとしているなら、6,000字なんて大したことないんじゃないか
記事の作成に半日かかったけど、それじゃあ遅いんじゃないか
完成させたといっても、そこまで収益が見込める記事じゃないし⋯⋯
といったことを自然と考えてしまっていたんですよね。
ブログを始めたときなんて、3,000字程度の記事に数日かかることも珍しくありませんでした。
確実に執筆のスピードは上がっているし、久しぶりのブログ作業をやり切ったことも評価していいはず。
それなのに、自分についてはダメ出しばかりが頭に浮かんでしまうんです。
他の人に対しては、できている部分や評価すべき部分をきちんと伝えることができるのは幸いですが⋯⋯
自分の頭の中のダメ出しは、自分のやる気や自信を損なう続けてしまうもの。
大人になってから自分の思考の癖を直すのは難しいと思いますが、自分ができたことについてはちゃんと自分にも花丸をあげることから意識していきたいです。