肩の力を抜かせてくれる「ぼちぼち」という言葉
2月は個人noteの記事書いてないなぁ・・
と思っていたら、絶妙なタイミングでnoteからリマインドが。
そうよね、継続、継続が大事なのよね・・(ありがたい機能)
ということで連休夜のひとり時間を使って1本書くことにしました。
何気なく使っている言葉
最近ふと気づいたことがある。
それは、何かとすぐ「ぼちぼち」という言葉を使っている自分がいるということ。
ぼちぼち…?
私が多用している「ぼちぼち」は、辞書を引くと最初に出てくる “ゆっくり物事にとりかかるさま” や “そろそろ” というより、“ほどよく” や ”そこそこ” のような意味合いが強い。
使い方は次の2パターンであることがほとんど。
これは、自分の進捗や出来具合を聞かれた時に使いがち。
“まだ完璧ではないけどさほど悪くはない”状態のときって、「まだまだ全然ですよ〜」と謙遜MAXで言うのはマイナスイメージになる気がするし、かといって「はい!もうほぼ完璧です!」と自信満々で言うのもちょっと気が引ける…
そんな場面でこの「ぼちぼち」が“ほどよく進んでいる”ことを絶妙な塩梅で表現してくれる(気がしている)。
こっちはどちらかというと自分から言葉をかける際によく使うパターン。
後輩や部下に対して「無理しなくていいよ」「そんな急がんでええから」っていうニュアンスを伝えたい時によく使っている。
私的には“頑張ってほしいけど、無理せずやってね”っていう思いを一言で表した「ぼちぼち」。例文1より多分こっちの方がよく使っている気がする。
使い方や意味が本当に合っているのか今更自信が無くなってきたので、ネットで軽く調べたらどうやら関西弁特有の「ぼちぼち」があるらしく、私の多用している「ぼちぼち」もそれに近いようだ。
(ぼちぼち 自体は標準語っぽいけど)
大学時代から20代後半までの約9年間を関西で過ごした私。コテコテの関西弁がうつったわけではないけど、知らない間に当たり前に使うようになっていた関西言葉が結構あるから、「ぼちぼち」も自然と習得していたみたい。
週4〜5日×大学4年間でがっつりアルバイトしていたお好み焼き屋が、コッテコテの関西弁を喋るおっちゃん&おばちゃん夫婦の店だったから多分ココの影響も大きい。
ぼちぼち の言葉で救われたこと
昔からわりとなんでもがむしゃらに頑張るタイプだった私は、バイト先でも就職した会社でも常に全力で取り組むことが多かった。
相手の期待には120%で応えたいし、全部が全部完璧にこなしたい、どうせやるなら褒められたい、みたいな気持ちも結構あって。
でもそれで無理をしすぎてパンク寸前になったり、色々と犠牲にすることもあったりなかったり…。
特に編プロで働いていた時は、時間を忘れて仕事に没頭することも多く、気がつくとオフィスで一番最後まで残ってる…なんてことも。
そういう時に仲良しの先輩(コテコテ京都人)がよく帰り際に声をかけてくれたのが「なりそちゃん、ぼちぼちでええからな」っていう一言。
当時は「ぼちぼちじゃ終わりませんよー!」と笑って返していたけど、今思うと「頑張るのは大事やけど無理は禁物やで(体壊すで)」っていう先輩からの気遣いと忠告だった気がする。
仕事が溜まりに溜まって何から手をつけていいかわからない状態になった私に「大丈夫大丈夫、ぼちぼち進めたらええしな」って声をかけてくれた男性の先輩(コテコテ大阪人)もいた。
あの時なんだか一気に緊張の糸が切れて、「やらなきゃやらなきゃ…」っていう焦りの気持ちがなくなって、一つ一つ着実に進めることができたことは今でもはっきりと覚えている。
時間と仕事に追われて忙しかった日々に、ふっと気持ちが楽になったり、肩の力を抜いて頑張ることができたのは、多分関西人の諸先輩方が掛けてくれた「ぼちぼち」の言葉のおかげなんだと思う。
明日もぼちぼち頑張る
いつからか私も使うようになっていた「ぼちぼち」。
決して“手を抜く”とか“いい加減に” ということではなく、“肩の力を抜いて”と自分や相手に言い聞かせるために使うお気に入りの言葉になった。
何事も全力で頑張るのはもちろん良いことだけど、120%のパワーで頑張りすぎたらすぐに息切れしちゃう。
子育てしながら働くようになった今は何より「自分自身の心と体が元気でいることがなにより大事」だと思っている。
そのためには、ぼちぼち頑張る ぐらいがちょうど良い。仕事もプライベートも、少し肩の力を抜いて向き合う方が結果的にうまくいくことが多いから。
三連休が終わればまた仕事に家事に育児に大忙しの1週間が始まる。
明日からも私なりのぼちぼちでやっていこう。
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