よみがえる「人を喰うバナナ」:ライフヒストリーの中のPARC/アジア太平洋史資料センターの現在・過去、そして未来へ
今朝(2024.8.6)のstandfm『よみききの世界』、「人を喰う羊の時代、人を喰うバナナの時代、そして今は何かが人を喰う時代?」(17分)を収録・配信しました。
昨日(2024.8.4)こと、あるイベントの実行委員会に参加していたときのこと。お会いしたのは2度目の伊集院 煕さんからあたらめていただいた名刺に刻まれたPARC/アジア太平洋史資料センターの文字を見て、わたくしがまだ社会科の実践者だったとき、お世話になったPARCを想起しました。伊集院さんは、7月からこちらでお仕事をされているとか。そして、「いいところにお勤めになりましたね」と一言。
⬇︎ 今は昔、昔は今のお話 ⬆︎
自宅の書/倉庫(Holistic Education/Care Studio)に戻って、わたくしの社会科実践史の中でPARCとどんなつながりやかかわりがあったのか、回想検索をしておりました。期せずしてわたくしの社会科実践史をトレースすることになったのですが、わたくしが書いてきた実践報告・論文にはなかなかPARC/アジア太平洋史資料センターが出てきませんでした。
・越境する教育学のルーツを探る 5章 1節 社会科教育(2024現在、未定稿)
・成田喜一郎(2017)「戦後日本における学習指導要領の変遷と教師のライフヒストリー:社会科教育を中心に」(学部・大学院講義資料2016年度版/2017.2.4)
・成田喜一郎(1991)「社会科・歴史教育の方法と課題 : 現在史と自分史との対話による」『東京学芸大学附属大泉中学校研究集録』No.32, pp.17-41.
☞アジア太平洋資料センターの名称の記述はありませんでしたが、p.29に1986年に、「人を喰うバナナ—フィリピンのバナナ労働者—」実践をした項目が記載されていました。
今朝(2024.8.5)、越境するSocial Studies(2011年秋「社会科教育の研究」講義以来のブログ)を検索していたら、出てきました。
よみがえる「人を喰うバナナ」
🔵 社会科教師をめざす学生へのメッセージ(東京新聞記者・望月衣塑子さんから届く、2012.11.2) 中央大学「社会科教育の研究」講義資料
いただいたメッセージの後に、参考資料1・2があり、そこにPARCが出てきました。
参考資料1 望月衣塑子記者と成田との「対話」―2012/11/03のメールによる―
成田「ちょっと恐ろしい質問、いいですか。中学校社会科の授業を3年間受け持ったと思いますが、印象に残っている授業って、ありますか?(なかったら、どうしよう)」
望月「先生の授業で一番記憶にあるのは、なんといってもフィリピンのプランテーション農業の問題を取り扱った「人を食うバナナ」です。スライドを使った上に確か先生が作った歌もなかったでしたっけ?記憶違いだったらすみません。先生がスライドショーの始まりに「人を食うバナナ」と叫んでいたのを鮮明に覚えていますよ。いま思うとああいう取り組み含め、附属の先生は色々な方法で授業に取り組んで頂いていたので楽しかったです。先生は教科書をあまり使わず、手作りのプリントをたくさん作って教えて頂いていたのも、記憶に残っています。」
成田「ありがとうございました。ホッとしました。印象に残る「授業内容」があって。「人を喰うバナナ」は、39期(1986年)、42期(1988年)*で「上演」していた授業です。
・1本のバナナから世界が見える!(当時、兵庫県の高校教師・大津和子実践をヒントに実践。現北海道教育大学大教授・日本国際理解教育学会会長)
・フィリピンのバナナ農園(プランテーション)の農民たちの暮らしは?
・多国籍企業・アグリビジネスの存在
・マルコス大統領独裁下(1966-1986)の政治・経済
・わたくしたちの食卓にある1本のバナナの背景にある国際社会・経済・政治
・スライド音響構成、自作の歌のギター演奏
極めて時事的問題を地理(東南アジア)の授業で扱いましたね。社会科は公民のみならず、時事的問題を教材=学習財にしながら、教科の目標である社会認識と市民(公民)的資質の育成の基礎に迫ることができます。奥行きのあるあの授業、当時の中学生の印象に残ったのかもしれませんね。39期生の同期会でかつての中学生に会うと、未だに「人を喰うバナナ」を連呼されます。ありがとうございました。
望月:そうでしたか!やはり、あれは皆の印象に残っているのですね!あれを作るまでの準備大変だったと思います!本当にありがとうございました!(^O^)。よい週末をお過ごしください!(^O^)>」
参考資料2 授業「人を喰うバナナ」成田実践(1985年・1988年)に関連する文献・情報(順不同)
現在、フェアトレード市民運動・開発教育(ESD)実践
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●中村洋子(2006)『フィリピンバナナのその後―多国籍企業の操業現場と多国籍企業の規制』七つ森書房
●池住義憲・中村洋子・杉本皓子(1988)『バナナから人権へ―フィリピンバナナをめぐる市民運動』同文舘
●大津和子(1987)『社会科=1本のバナナから』国土社
●成田喜一郎(1985)制作「人を喰うバナナ」スライド音響構成(1985年/1988年実践*)
●アジア太平洋資料センターPARC制作(1980年)『スライド 人を喰うバナナ』購入
●NHKラジオ(第二放送)で放送された「大津和子・一本のバナナからの実践」について聴く。
●歴史教育者協議会第36回大会(1984年8月)埼玉県秩父市「地域に根ざし、いのちを尊び、平和をつくる歴史教育」に参加し、沖縄県の高校教師の「フィリピンバナナの授業」実践報告を聴く。
●鶴見良行(1982)『バナナと日本人―フィリピン農園と食卓のあいだ』岩波新書
以上、ブログ(2017.7.4)より。
注 *「人を喰うバナナ」は、39期(1985年)、42期(1988年)*で「上演」していた授業です、とありますが、最近、45期(1991年)でも「人を喰うバナナ」を「上演」していたことが判明しました。当時の中学生(45期)からお聴きしました。
「リスナーさんと交わすねぉ相聞歌 2023/4/19」standfm『よみききの世界』(14分)
うれしさあふれ詠める歌三首プラ一
姫たちとリベルの橋を架けただけなのにいつしか我にも架かる
リベルよりなりっち宛のお手紙も届く知らせに心はずませ
御手書きの手紙をいただくうれしさは今は昔の話じゃないよね
プラ一首
字余りの歌詠むことは珍しき「ね」なしよりかはある「ね」可愛い
寺澤満春
⬇︎ ⬆︎
ラジオから流るる声のその響き バナナ歌いしかの学舎に 詠み人 tomosu
いよいよ以って詠むねぉ相聞歌二首
下の句に「バナナ歌いし」とありますが それってもしや「人喰うバナナ?」
なりっちの記憶あやしきこと増えて確かな記憶 保つ方に訊く
寺澤満春
https://stand.fm/episodes/643f7c92e9de8054450ebe74
tomosuさんより証拠史資料(卒業文集『惜別』)もお送りいただく。
注**PARCがスライド版「人を喰うバナナ」が制作されたは1980年です。(PARC事務局確認)
そのほか、「PARC/アジア太平洋史資料センター」が登場してくるBlog
🔵 PARC自由学校アクションツアー沖縄2017 関連講演会「基地建設問題とハンセン病から考える沖縄~差別の構造〜」(2017)
🔵 教材=学習財の発見・選択・研究・開発のためのヒント:珠玉の教材=学習財抄録 1979-2015:分野別編(2015)
🔵 社会科においてどのように〈教材研究〉を行うのか(2014)
昨日(8/4)の伊集院 煕さんとの出会いから、PARC/アジア太平洋史資料センターとのつながりかかわりを想起し、1980年代に社会科において実践していた「人を喰うバナナ」がよみがえってきた。
おそらく、PARC/アジア太平洋史資料センターおよび伊集院 煕さんは、持続不可能か可能か、せめぎ合う現在、新たなるQuestion/可能性を抱えながら、お仕事をされてゆくのではないでしょうか。
そして、「人を喰うバナナ」を超えて、新たなる「人を喰う《ひと・もの・こと・かね・とき》」をめぐる事象・事実を掘り起こし、掬い上げ、わたくしたちのような多世代・多職種・無職の生活者市民/住民とともに、未来に向かって並び進んでくださるのではないでしょうか。
【まだ辞書に載っていない、拡張・進化し続ける概念「並進」】
付記
「人を喰うバナナ」という言葉のは、16世紀のイギリスで地主によって行われた「囲い込み運動」(領主及び富裕層が小作人たちから土地や共有地を取り上げ、羊を飼うために土地を囲い込んでいった。産業革命前夜のこと。トーマス・モアが『ユートピア』の中で「羊が人々を食い潰す」と書いたことから、1980年代のフィリピンで「人を喰う羊」のメタファーをバナナに置き換えられるようになった。
今、2024年、羊ではなくバナナでもない何か《ひと・もの・こと・かね・とき》が人を喰う時代状況にあるのではないでしょうか。
「第一次囲い込み/エンクロージャーenclosure」
https://www.y-history.net/appendix/wh0904-064.html
2024.8.5
なりっち&Mr. Narick 、T(h)erapyこと成田喜一郎
今日の名刺
*カバー写真は、2024.8.4、伊集院 煕さんよりいただいた名刺の一部です。