宗教と言えば

宗教と言えばキリスト教・イスラム教・仏教・ユダヤ教...などなど

ほかに新興宗教もたくさんあります

だいたいにおいて宗教とはカミさまを想定する行為です

カミさまとはいったいなんだ?という話しです

カミさまは,人の脳の意識の周辺にいると考えるとよいかもしれません

人の意識が自然に触れるとき,地震だとか,雷だとか,豪雨だとか,津波だとか,大海原だとか...こういう圧倒的な自然の変化を作り出した擬人化した存在がいて,ヒトに対して,働きかけている,みたいに考えがちなんだとおもわれます.原始時代から

それからもうひとつカミがいて,それは脳内にいます

意識と無意識の間あたりにいて,それはよく,守り神とか妖精さんとか,いわれるやつです

なぜなら私たちの意識は,まるでどこかのだれかが勝手に操り人形のようにして作り出していると思うことがあるからです

自分の中に内なる自分がいる...みたいな感覚です

大昔には,なにかをひらめくということも,妖精さんが運んできてくれた,と考えていたみたいです.夢のお告げも,カミによるものだとか,しょっちゅうでてきますよね

という感じで

とくに妖精さん的な神様は,それぞれ個人に宿っているもので,べつに,教科書的な宗教にすがらなくてもよいような気がします

自分の記憶を思い出すと,自分はカミサマに見張られていると,信じていました(今も案外信じていたりする)

だから人がいないときでも悪いことしちゃいけない,表裏のある行動は意味ない,とおもっていたし

なにより自分に嘘をつくということも,神様に見抜かれているから,とたんにすべての行動がだめだめになってしまうんだろうな,みたいに思っていました

宗教を語るなら,そのくらいの思索はひととおり,してからにしてほしい...

自分から逃げずに向き合えば,意識はかならずそこにあるのだから,自ずと,ひとり宗教になるとおもんだけど!

(まぁ自分は親に恵まれ、ありのままの自分でよいのだ、という自己肯定、自己受容がぼちぼちできているっぽいので、そう言えるのかもしれず、そうでない場合、自分と向き合うことができない人もいる、ということが年を経て最近分かってきたのかな)

自分に嘘をつきまくり何が何だかわけわからなくなり自分を保てなくなったり迷子になったりしたとき

教科書的な、あるいは商品化された、社会的に認知された宗教たちをたよりにするのはまぁよいのだとおもうのだけど,それが宗教の本当の姿というわけでもない気がします

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