今、あの人に伝えたいこと
理系の化学、修士から博士課程に切り替わるときの春でした。横浜で学会があり、関西から移動して研究の発表をした後、帰り道を歩いていました。突然、あの人の背中がパッと目に飛び込みました。遠方でも人ごみの中でも、不思議なことにすぐわかる。か弱く、本当に元気のない、幸(さち)が薄いと思えるような背中でした。恐らく見間違えるはずはありません。ウォーリーを探すより、はるかに自信があります
自分は、頭が真っ白になり、踵(きびす)を返し、その場から必死に離れました。離れたところで立ち止まり、そこでただただ時間を費やしたことを覚えています。あの人は、なぜ直接話しかけようとせず、どうして話しかけられるような状況としたのだろう?自分から声をかければもちろん強い怒りを表出するだろうけど話はしたと思うのに。あの時何かをしたかった、言いたかったんだろうか。あるいは何かを言ってほしかったのかなぁ。区切りや踏ん切りをつけたかったのかな
その後の人生で、この情景をその後何度も何度も思い出し、その度に、いろいろ考えるのですが、修士課程で体験したことについて、怒りの気持ちが増幅するばかりでした。何度試しても自分の思考は、あの人による明確な謝罪が必要だ、というところに必ず行き着きました。怒りの気持ちは全く消えませんでした
自分から探して、明確な謝罪を求める、ということはしようとは思いませんでした。それをして自分は何が変わるのだろう?と思うからです。あるいは、何かが変わるかもしれないことが自分にとって非常に怖く感じられていたからかもしれません。こちらが本音かもしれません。もし、あの人が自分の正面に現れたときは、強い怒りを超えた気持ちと、明確な謝罪を求めるんだろうな、とは思いました。その上で、お互いに言いたいことがあれば話をするのかもしれないな、というふうに思い続けていました。それが何かまで深く考えてはいけないな、と思っていました。それが、あの人に背中で待たれ、自分は踵を返した、ということの正体だったのでしょう
もう二度とこんなにつらい思いはしないだろうと思いましたが、30代に、同じくらいの精神的なダメージが何度かありました。40代はそれらの経験からの回復の時間でした。だから、一番心の奥底に封じた、あの人との思い出を時々思い出すことはあっても、その怒りを封じ続けることくらいしかできませんでした
丁度50歳になったときに、あるできごとをきっかけに、急に、あの人との思い出と強い怒りの気持ちが何度も何度も思い出され、日常に支障がでそうな状態になりました。これは今後の人生を新たに進むために、あの人への思い、本当に強い怒りの気持ち、を消化するチャンスだよと、内なる自分が表面意識の自分に語り続けているのだと思いました
そして本当に苦しい時間が数週間以上続きましたが、こんなふうに考えることができるようになりました
お互い良いも悪いもあるがままの自分を受け入れ合ったからこそ、男女、親子、キョウダイを超えるくらいの一致した感覚を得ることができた。不思議な一体感。いろいろ言ってしまったけど、影のあるところ、一見短所に見えるところすべてが全部あるがまま、大好きだった。その自分が、あの人に言ってあげられることは、良いも悪いも全てのことについてあるがまま、あの人のことを愛していた、そして今でも、別々の場所で生きているのだけど、本当に大切に思っている。あの人はいまどこでどのような状況でも、どこかで生きて生活しているだろうから、それだけでというか、それこそが自分にとっての幸せだ
本当にそう思えるようになりました
カミサマのいたずらで奇跡的に2人は出会って、本当に一致をした。今で体験したことのない不思議な一体感があった。数年間ずっと一緒に過ごしても、飽きることもなければ、停滞することもなかった。本当に奇跡のように不思議な感覚だった。その後、2人とも不器用だったので、状況の変化にうまく対応できず、かけ違いのボタンのように、お互いの大好きが、刃のようにお互いを傷つけ破綻してしまった。そうだったのかなと思います
あの時、2人とも、結婚して家庭を築こうと、本当に真剣に考えていました。しかしできませんでした。それは本当に悪かったなぁ、と思います
これまで、あの人のしたことに明確な謝罪が必要だという強い怒りで立ち止まり心の奥底で封をしてきました。それは今でもそうなのですが、同時に、今は、当時、自分の心の内をあの人に丁寧に何度でも話さなかったこと、本当に悪かった、と思います。自分が離れていくと過度に不安にさせてしまいました
こんなに幸せでよいのかな?とあの人は何度も言っていました。自分はあの人がそう言うの聞いて非常に幸せだと思いました
本当に大好きだったんだから!こんな関係二度と作れない!あの人は何度も言っていました
二人の使う、幸せ、大好き、という言葉は同じでもその中身がすこしちがっていたことに当時の自分も気づいていました
あれから、25年くらい経ちました。プロスポーツ選手のように数年の契約を繰り返し、基礎研究のプロとして異分野や異文化での体験を繰り返し業績をあげ、大学の准教授職のような、基礎研究のプロとして定着することができて、一通りやりたいこともやったと思えるようになりました。そして、やっと修士課程で失った2年間を補填できたのかなぁ、と思うようになりました。より丁寧に言えば、博士課程に進学しプロの基礎研究者になろうと決めた心の入口を通り自分の選んだ道を実現し、その出口も見え始め、やっと失った修士課程のところに、自分の心が戻り、見つめ直すことができるようになったんだと思います
そして、失ったのは、その修士課程の2年間であると同時に、大好きなあの人、だったんだな、ということにも改めて気が付きました
彼女の幸せが自分の幸せです。本当にどこかで生きていてくれることこそが自分の幸せです
今まで何度も思い出した、弱々しい背中で待っていたあの場面、やっとのことこのような心境にたどり着いたので、そこに戻り、そのことを、背中をとんとんと叩いて、よっ!どうした?とか言いながら、今あの人に伝えたいです。もちろん過去に戻ることはできません。25年もの月日が流れました。それぞれの人生もそれぞれ別々に続いていきます。遅いにも程があるけど、今の心境を、いつか、なるべく早く、あの人に、それだけでも伝えることが私は必要だと思います。あの人にとっても、今の状況が何であれ、私の強い怒りを超えた気持ちだけではなく、今の私の心境であるのなら、聞くに値すると思います
この心境になって、何度も繰り返す、あの人への強い怒りの気持ち、に変化がありました。強い怒りの気持ちは消えないのだけれども、そこには、ごめんなさい、ありがとう、という気持ちが隠れていた。このことに気づいたということです
あのとき自分のみた背中は別人だったかもしれません、あるいは幻影を見たのかもしれません。でもそれでも同じことです。この心境は変わりません
出会ってくれて受け入れてくれて本当にありがとう。どうぞお幸せに。それが自分の幸せです
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