1982年の美少女ゲームたち【美少女ゲームの歴史をたどってみた】
こんにちは、「なり」と申します!
これまで、私は美少女ゲームの歴史についてお伝えする記事を書いてきました。
お蔭さまで、これらの記事はいずれも好評を博しているようです。
お読み頂きました皆様、「スキ」を付けて頂きました皆様、ここに改めて厚く御礼申し上げます。
さて、前回は漫画「16bitセンセーション」に関する記事を書きました。
この漫画は現在2巻まで刊行されていますが、これらには1992年~1998年の美少女ゲーム界の様子が描かれています。
ここで、次のような疑問や希望を持つ方がいらしてもおかしくはないと思います。
「1992年よりも前の美少女ゲームはどんなものがあったの?」
「もっとレトロな美少女ゲームを知ってみたい!」
あなたもそう思いませんか?思いますよね?(必死)
そんな読者のご希望に(無理やり)お応えして、こんな企画を考えてみました。
「そうだ・・・・・・美少女ゲームの歴史を、その創成期からたどってみるのはどうだろう・・・・・・」
そう思ってはみたものの、私は一旦躊躇しました。
というのも、同じような試みを行った偉大なる先人たちのブログが、ネットには既に溢れかえっているからです。
しかし、私は考えました。
「偉大なる先人たちとは、また違った切り口があるのでは?」
私は、次のようなスタンスを取ることを考えました。
「読者の皆様と一緒に、美少女ゲームの歴史をたどってみる」――――
それこそ、読者の皆様と一緒に、遺跡を発掘したり、古文書を紐解いたりするような感覚で、美少女ゲームの歴史をたどっていきたいと思います。
基本的に「過去にどのような美少女ゲーム作品があったか」を、なるべく客観的にご紹介していきたいと思っています。
その過程で、各作品に対して「当時はこのような評価だった」「このような感想を持ったプレイヤーもいる」「私自身はこう感じた」といったことをご紹介できればと考えております。
さて、それでは早速始めて行きましょう!
私の過去記事「美少女ゲームの歴史を『当時よくあったパターン』で振り返る」でも書きました通り、美少女ゲームの歴史は1982年から始まる、というのが定説となっております。
ということで今回は、1982年の美少女ゲームについて紐解いてみましょう!
1982年の美少女ゲームのリスト
1982年といえば「マイコンブーム」真っ盛りの頃でした。
それまで主に企業が使っていたコンピュータが、一般のご家庭でも使える!という触れ込みで、各メーカーから独自のパソコンが発売されました。
これらのパソコンの使い道として、ゲームが注目されました。
当時は、ほとんどアマチュアに近い人たちが独自にPC用のゲームを制作し、通信販売などの手法でゲームを売っていたそうです。
当時のPCゲームは、「アーケードゲームに近いものを作りたい」という制作者の願望があったためか、アクションゲームやシューティングゲームが主流であったように思えます。
一方、美少女ゲームというものは、その概念すら希薄だったのではないかと思えます。
実際、美少女ゲームを扱う大規模データベースサイト「ErogameScape -エロゲー批評空間-」(以下、「批評空間」)には、1982年に発売された美少女ゲームは以下の3本しか登録されていません。
この他にも美少女ゲーム作品は探せばあるのかもしれませんが、かなりマイナーであると思われます。
ナイトライフ(光栄、1982年)
ロリータ 野球拳(PSK、1982年)
野球拳(九十九電機、1982年)
「1982年に発売された作品って、『批評空間』でどうやって見れるの?」と疑問に思う方もいらっしゃるかもしれません。
リンクを貼りたいところですが、あいにくnoteの仕様上、「批評空間」へのリンクを貼ることが出来ません。
お手数ですが、下記の文字列の先頭に「https」と「:」と「//」を付けて、ブラウザのアドレスバーに貼ることで閲覧をお願い致します。文字列の最後が「1982」となるところがポイントです。
「erogamescape.dyndns.org/~ap2/ero/toukei_kaiseki/toukei_hatubaibi.php?year=1982」
上記の作品の内容についてはこの後にご紹介しますが、創成期だけあって、その後の美少女ゲームとはかなり毛色が異なるように思えます。
いずれの作品も、アマチュア同然の人々が制作したものであり、スタイリッシュな作品とは言い難いと思います。
しかし、どの作品にもゲームに対する熱意や、H表現への希求が込められているように感じるのは、私だけでしょうか。
1982年は3本しかないことですし、思い切って全部ご紹介してみましょう!
ナイトライフ
記念すべき1本目の作品ですが、美少女ゲーム(もしくはエロゲ)の元祖という評価が定着している、ナイトライフ(光栄、1982年)からご紹介しましょう!
後の光栄の作品と共に、「ストロベリーポルノシリーズ」のうちの一作として位置づけられています。(厳密には、当初は「ストロベリーポルノシリーズ」ではありませんでしたが、後にシリーズ内の一作品となりました)
「あの硬派な作風で知られるコーエーが、まさか昔にエロゲを出していたとは・・・・・・!」と、若い世代からは驚きを持って迎えられることもあり、美少女ゲームの歴史では必ずと言っていいほど言及される作品です。
しかし、1986年頃の雑誌広告には、「信長の野望」(光栄、1983年)や「三國志」(光栄、1985年)などの作品に混じって、「ストロベリーポルノシリーズ」が載っていたこともあり、リアルタイムの経験者としては「そういうゲームメーカーなんだ」と素直に受け止めていました。
別途お話しますが、エニックスや日本ファルコムについても同様のことが言えました。
どんなメーカーでもエロ要素のあるゲームを出していた時代と言えます。
私の過去記事「美少女ゲームの歴史を『当時よくあったパターン』で振り返る」でも本作を簡単に紹介していますが、そこでは「本作は『実用ソフト』として作られたが、私はむしろ『ジョークソフト』だと考えている」といった趣旨のことを書いています。
以下の内容を読めば、この私のコメントが理解できると思います。
この「ナイトライフ」は、夫婦の性生活をサポートするためのソフトです。
安全日・危険日の予測や、おすすめの体位の提案などをしてくれます。
こう書くと、「題材がセックスというだけであって、狙いとしては真面目なソフトなのでは?」と思う方もいらっしゃるかもしれません。
制作したシブサワ・コウこと襟川陽一氏も、真面目なソフトを作ろうとしたのかもしれません。
しかし、いざ本作をプレイしてみると、その予想がどんどん崩れていく様を実感できると思います。
ゲームを起動すると、「取扱説明書」として以下の文章が画面に表示されます。
早くも制作サイドから、ソフトの信頼性に疑義を抱きかねないディスクレーマーが、軽いジョークと共に述べられています。
「取扱説明書」が終わると、メニュー画面が表示されます。
「おい、何だよ、『Let’s Fuck !!』って・・・・・・」
そんな皆様のざわつきが、ブラウザの画面を通して伝わってくるようです。
このソフトが本当に真面目に作られたものか、だんだん不安になってきます。
「1.安全日計算」は、直近の生理日や生理周期などをインプットすることで、安全日と危険日を予測してくれます。
オギノ式通りの計算をしているのだとは思いますが、制作サイドも警告している通り、信頼するか否かは自己責任となります。
「2.今日の体位」は、その日にセックスする際のお勧めの体位を、その順番と共に提案してくれます。
誰が体位を決めるかは、「奥様」「旦那様」「パソコン」の中から選ぶことができます。
「奥様」か「旦那様」を選ぶと、いくつかの質問を聞いた上で、体位を提案してくれます。「パソコン」だと完全にお任せです。
試しに「パソコン」を選んで、今日の体位とその順番をコーディネートしてもらいましょう。
「い、いきなり寝バック・・・・・・?!」
これは通常、だいたい3回目位の体位チェンジで後背位をチョイスしたものの、女の子が「もう腕が疲れたー」と言わんばかりにうつ伏せになってしまって、なし崩し的になってしまう体位ではないでしょうか。
いや、女の子が「いつも通りの正攻法でくるのではなく、たまには不意を突いた攻め方をして、私に刺激を与えて欲しい」と思っているのなら、実は有効なのかもしれません。
「3.Let’s Fuck !!」がこの「ナイトライフ」の真骨頂とも言える機能です。
これは、先ほどの「2.今日の体位」で決めた体位とその順番を、指定した時間内で実施するための機能です。
まずは所要時間を入力します。もし10分未満の時間を入力すると、「それではあまりにも奥様が可哀そうです」とたしなめられます。
今日は時間も無いので10分と入力します。
すると、「ピリリリリリリ・・・・・・」というホイッスルと共に、「スタートします。位置について下さい」と画面に表示されます。
「えっ、何が始まるの・・・・・・?」
何と!
先ほど決めた「今日の体位」の順番通りに、パソコンの指示に従ってリアルタイムで実践しろ、と言うのです!
10分間で6つの体位を実践する訳ですから、約1分半おきに体位チェンジすることになります。
これは大変なことになりました。
夫婦は表示される体位通りに、互いの身体をドッキングさせなくてはなりません。
初めて見る体位であれば、接続方法が分からずに混乱するかもしれません。
そして次の体位チェンジのタイミングを見計らうために、パソコンのモニターをチラチラ見ながら互いの身体をシェイクし続けるのです。
そんなこんなで腰を振り続け、いよいよ本日最後の体位となりました。
「男性が座って背面座位」という、AVくらいでしかお目に掛からない体位を指定されました。
しかも、「FINISH!!」という命令まで下っています。
この体位をキープしつつ、時間以内に放出しなければなりません。
これは男性にとってかなりのプレッシャーとなります。何十キロとある女性の身体を上下に反復させながら、時間内に絶頂を迎えられるよう、神経を使いつつ自己の快感を高めるという、かなりのウルトラテクニックが要求されます。
腕、腰、全ての筋肉が限界寸前。
それでも出したい!出さなければならない!
激しいラストスパートの上、倒れるようにして遂にゴール・・・・・・!
奥様の体内で高らかにシャンパンが打ち上げられます。
夫婦揃って激しいファイトが繰り広げられました。
時間と快感との戦い・・・・・・夫婦はいつもとは異なる、得も言えぬ感慨に浸っていることでしょう。
こんな充実した夜を送ることができたのは、取りも直さず「ナイトライフ」のお蔭・・・・・・
そう、「ナイトライフ」があってこその、充実したセックスだった訳です。
「ナイトライフ」よ、本当にありがとう・・・・・・!
そう思って、夫婦揃ってパソコンのモニターを見てみると・・・・・・
「プログラムが切れちまってる・・・・・・」
この頃にPCを使っていた人であれば違和感は無いでしょうが、令和に生きる人々が、PCの画面に「Ok」の文字を見ることはまずないでしょう。
無粋ながら解説しますと、当時のPCはBASICという言語でプログラムを実行することを前提として作られていました。
実行したBASICプログラムが終了すると、「Ok」の文字が表示されるのです。
その後の作品はこのような表示をさせることなくゲームが終了するように作られますが、この頃はこうした終わり方が一般的だったようです。
上記では調子に乗って「ナイトライフ」の指示に従ってプレイに励む夫婦を想像で描いてみましたが、実際にこんな使い方をした夫婦が果たしてどれだけいたのでしょうか。
このように、「ナイトライフ」は一見して実用ソフトとして作られているように見えますが、実際はネタとして楽しむためのジョークソフトであるとしか、私には思えないのです。
まして、本作は「ゲーム」と呼べるのでしょうか?
体位とその順番を決めて、それが次々に展開するのを見せられるだけです。
これのどこにゲーム性があると言えるのでしょうか?
いや、もしゲーム性があるとすれば・・・・・・
「パソコンの指示通りに体位をチェンジしながら、時間内にフィニッシュするセックスゲーム」と言えるのではないでしょうか。
だとすれば、これはその後世間で大流行することになった「Wii Fit」をかなり先取りした、実に先進的なゲームであったと言えます。
襟川社長のずば抜けた才能に改めて感服すると共に、大いなる畏敬を抱かざるを得ません。
ロリータ 野球拳
「ロリータ 野球拳」は1982年にPSKからリリースされました。
PSKは「パソコンショップ高知」の略で、その名の通り高知市にあったPCショップの名前です。
PSKは、馴染み客であったアマチュアが制作したゲームソフトを販売していました。この手の話は、当時はよくあったそうです。
一般ゲームも販売していましたが、何と言っても美少女ゲームで有名でした。
と言うより、少なくとも1982年~1986年の間、PSKは美少女ゲーム界ではかなりメジャーな存在でした。
本作「ロリータ 野球拳」は、その輝かしいPSKの美少女ゲーム作品群の第一歩となった作品です。
本作は、PSKの馴染み客の一人であった、武市好浩氏によって制作されました。
武市氏は後に「ロリータII ~下校チェイス~」(PSK、1983年)、「ALICE」(PSK、1984年)、「ファイナルロリータ」(PSK、1985年)といった有名作品を連発しました。
いわば、美少女ゲーム界の黎明期に基礎を築いた人物と言っても差し支えないと思います。
オープニングから早速、愛らしい美少女が写っているではありませんか。
この武市氏による美少女のペンタッチや、「ロリータ」という作品の名称から、当時ロリコンブームを牽引していた漫画家吾妻ひでお氏からの影響がよく指摘されています。
参考までに、当時の吾妻氏の代表作であり、テレビアニメ化もされた「ななこSOS」を紹介するリンクを貼っておきます。
本作はタイトル通り、野球拳のゲームとなります。
要するに、ゲーム中の女の子とジャンケンをして、勝ったら女の子の服を脱がすことができる、というゲームです。
図7が本作のプレイがスタートした時点の画面ですが、結構可愛らしい美少女CGだと思いませんか?
このCGのクオリティは、1982年という時代を考えますと、かなり出来がいいと考えられます。
早速ジャンケンで勝ちまくって美少女を脱がしまくるぞ!と意気込みたいところですが・・・・・・
実は本作にはちょっとしたひねりがありまして、あまりにも早くに女の子を全裸にしてしまうと、警察に逮捕されてしまう、というトラップが仕込まれているのです。
ではどうすれば警察に逮捕されずに女の子を全裸にできるのかというと、プレイヤーも負けまくって、着ている服が残り一枚の状態で女の子に勝つ、という条件を満たす必要があります。
そんなこんなで美少女と激しいジャンケン合戦を繰り広げた結果・・・・・・
遂に!美少女を全裸にすることができました!
本記事では倫理上、ハートマークによる修正を施していますが、局部にさりげなくワ〇メっぽい線がちょこっと描かれているのがポイントが高いです。
図8を見ての通り、プレイヤーも残りの服はパンツ1枚のみとなっています。
すると・・・・・・
何と!
ご褒美として別の美少女のCGを見ることができました!
これで本作は無事にハッピーエンド?となります。
「えっ、美少女CGってこれだけしかないの?」
そんな声が聞こえて来そうですが、よく考えてみて頂きたいのです。
当時は1982年です。CGを大量に入れようにも、媒体のサイズは大して大きくありません。何せカセットテープが主流のメディアだったんですよ?
それに、当時はスキャナーなどのツール類も充実しておらず、CG1枚作るにしてもかなりの時間と労力が掛かったと思います。
漫画「16bitセンセーション」をお読みになった方ならご存じと思いますが、ラップに絵を描いてモニターに貼るという「ラップスキャン」などという手法が使われていた時代ですよ?
そう考えると、ここまで丁寧に描き込まれた美少女CGが複数枚入っているだけでもありがたいと思うべきなのではないでしょうか。
このように本作は、「美少女」のCGが描かれた「H要素」のある「ゲーム作品」であるという点で、「ナイトライフ」よりもずっと現代の美少女ゲームに近いと考えられます。
このような理由により、「ロリータ 野球拳」こそが実質的な元祖美少女ゲームであると私は考えています。
野球拳(九十九電機)
前述した「ナイトライフ」や「ロリータ 野球拳」は、美少女ゲームの歴史を語る上で必ずと言っていいほど取り上げられるメジャーな作品です。
これに対して本セクションでご紹介する「野球拳(九十九電機)」は、比較的マイナーな作品と言えますが、後ほどお話します通り、本記事で取り上げる意義はあると思います。
「野球拳」は九十九電機より1982年に発売されました。
九十九電機は、現在も秋葉原を中心に事業を展開しているPCショップです。九十九電機もPSKと同様に、80年代はアマチュアが持ち込んだゲームソフトを販売していました。
「それにしても、また野球拳かよ?!」
そう思った方は結構いらっしゃるのではないでしょうか。
この頃は野球拳のゲームが結構出回っていたそうです。おそらくその多くがアマチュアによる制作だと思いますが、詳細はよく分かりません。
そう言えば、当時電電公社が展開していた「キャプテンシステム」でも野球拳のゲームがプレイできたと記憶しています。
ポイントは、「ゲーム+H要素=野球拳」という公式が、当時の世の多くの男性の脳内に刻み込まれていたことでしょう。
そう、「H要素のあるゲーム」と考えて真っ先に思いつくアイデアが「野球拳」だった、ということです。
そもそも野球拳はお座敷芸が起源とされていますが、テレビ番組「コント55号の裏番組をぶっとばせ!」などの影響により、H要素のあるお遊びとして広く知られていたことが背景にあったと考えられます。
ちなみに、ハドソンの「野球拳」(1979年?)を元祖美少女ゲームとする説もありますが、それは今の時点だから言えることであって、当時はかなりマイナーな作品だったと思います。
ゲーム作品ではあっても、美少女要素もH要素も十分とは言えないことから、私はこの説を支持しておりません。
そろそろ話を本作「野球拳(九十九電機)」に戻しましょう。
本作は漫画家である槙村ただし氏によって制作されました。
槙村氏は後に「マリちゃん危機一髪」(エニックス、1983年)、「女子寮パニック」(エニックス、1983年)、「エルドラド伝奇」(エニックス、1985年)などの有名なゲーム作品を制作することになります。
早速ゲーム画面を見てみましょう。
CGはさすが漫画家だけあって美麗、と言いたいところですが・・・・・・
うーん・・・・・・
槙村氏の師匠である永井豪氏の漫画によく出て来たような、男勝りの少女キャラが描かれています。
こんな子を脱がしてもイマイチ萌えないような・・・・・・
とりあえずセッセとジャンケンに励んでみましょう!
「早く全裸にしてしまうと警察に逮捕される」といったような、「ロリータ 野球拳」のようなひねりは本作にはありません。
ひたすら勝ち進めるのみです。
とりあえず女の子を全裸にしてみましたが・・・・・・
うーん、どうなんでしょう・・・・・・
と、かつての長嶋〇雄氏のような曖昧な解説で誤魔化したくなります。
今回の記事では倫理上の観点から、私の方でハートマークによる修正を施していますが、実際のゲーム画面では局部のみがより小さなハートマークで隠されています。
しかし、単にニョロニョロと線が引かれているだけはあるものの、陰毛らしきものが描かれているのはポイントが高いと思われます。
なお、暗黙の了解ではありますが、女の子のCGはこの子一人だけとなります(多分)。
おわりに
いかがでしたでしょうか?
このように1982年は美少女ゲーム元年とはされているものの、ゲームの内容や作風は、その後の美少女ゲームとはかなり異なるものでした。
それらは、実用ソフトを騙ったジョークソフト1本に、野球拳が2本と、本数が少ない上にジャンルが偏っているという、かなりカオスな状況であったと言えます。
しかし、今改めて振り返ってみると、「どうにかしてH要素をゲームに取り込みたい」という先人たちの苦闘の軌跡であったように私には思えます。
まだアドベンチャーゲームやロールプレイングゲームを知らない、仮に知っていたとしてもそこにH要素を導入する発想がない、仮にあったとしてもアマチュアにはそれに十分応えるだけの制作余力が無い・・・・・・こういった状況だったのではないかと推察してしまいます。
これからもまた、ゲームに関する記事を書けたらと思います。
以上、「なり」がお届けしました!