なりまさ
雑誌などのインタビューを自分が受けているかのように。そうすると自分を振り返るきっかけになって、モヤモヤがまとまる。
どこかにあるけど、どこにある? どこかにあるのは本当かい?
隣の芝は青い、青いんだよ、ずーっと青い。
心を打ったことさえ、その感情さえ、いちいちテキスト化して復唱しないと信じられないよ
ガソリンでも軽油でもハイオクでもとにかくなんでもいいから、火に油を注いでほしいと思うけど、灯ってないことに気がついて、枝木を探してみたけど、湿っているものしかない。じめじめと。たまに刺す光がナナメの世界。キレイと感じるうちは多分、燃えないんだろう、心。
留まってくれないのはそれが正しいことの証明で、重ねても重ねても滲み出てるくるものなので、乾くのを待つしかない。
問うてもどうでもいい答えってことも知ってるけど、自分の機嫌を取るにはこうする他ない
幸せは定義するものじゃなく、確認するもの
古いだとか死語と馬鹿にしておきながら、レトロブームや一周してカッコいいとか、今を生きてる人の厚顔無恥といったらないが、自分もその1人なんだと意識したら死にたくなるので、冒険はせずになんでもリピーター、自分の好きなものをループループして眠りにつく。
天然を謳うのはそうじゃないものがあるからなのか、そうじゃないものが生まれたから天然を謳うのか、どうでもいいんだけど、なんでも表裏一体と考えてしまうのは苦しいな。喜びや幸せが真っ直ぐ届いていつまでも留まったくれたらいいのに。
批判の中で生きてるのが楽しいか?
表裏一体なのがむかつきます。幸せの裏にはって思ってしまう自分が憎いのです。
幸福感ブーストが短すぎて、あー相当きてるなって実感する。引きずらなきゃならないものが引きずれないなら、なんのために血を巡らせてるんだろうね
いたずらに落とせど、キレイに並べど、私は私で、それは変わらない
色んなものを、こぼしてこぼしてこぼしてこぼして、頭の中はただ、こしてこしてこして、擦り切れたなにかをまたこぼして、こして、ここまで到達しない、乾き切ったなにかを箒で掃く日々
絶望だって慣れていく。ことが絶対的な絶望。
撮ってないで見ろよ、構えてないで見ろよ