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曖昧なものについて
やっぱり、大学って集中できる環境が揃っているな~と最近実感したてんぺいです。
お家じゃなかなか集中できないので大学に来ることでオンとオフを切り替えることができるので僕にはもってこいの環境です。教室を使うことができるので解放感がありますし、電源もある、最高。
卒論が無事に完成し、今週金曜日にあるブラックエプロンの試験の勉強を今しています。
スタバのブラックエプロンは、バリスタの中でもコーヒーの知識を豊富に持っているコーヒーマスターがつけられるエプロンです。スタバで働いるからといって誰でもなれるわけでなく、一定の基準があるためまさに選ばれし”コーヒーの専門家”。(https://mamagirl.jp/0000195012)より
コーヒーの幅広い知識、酸味が~とかコクは~とかから始まり、コーヒーの歴史、スタバの歴史などなど莫大な量の中から出題され、その試験に合格しないとつけることができませんなのでブラックエプロンをつけている人は、本当にすごい人です。その勉強を僕は卒論を言い訳にしてなかったので今週から急ピッチで仕上げています。
そんな小手先の勉強で受かるわけはないのですが、受けるからには最低限準備していこうと思っています。去年、ガチ勉強していたので少しだけ土台はあるので本番までしっかりと詰めていきます。
今日は、とある人から聞いた話を書きたいと思います。
”幸せ”の価値観の話です。
その人にとって”幸せ”というものはお金、彼氏彼女をつくること、おいしいものを食べること、だそうです。 時間が経つにつれて仕事も軌道にのり、経済的余裕も出てきてパートナーもでき、客観的にみると、順風満帆な人生を過ごすことができたと言います。
でもそんなうまくいった人生の中でも彼女は”幸せ”ではなかったと言っていました。彼女にとっての幸せというものをすべて得ることができたのに心のどこかではぽっかりと穴が開いたようなどこか空虚感というものを感じたと言っていました。
”幸せ”というものは何か得るものではなく、何かを得てから感じるものだということに気付いたそうです。目先のお金持ちになるとか、彼氏、彼女を作るということにフォーカスしていたためにそれらを得ることができても心に”幸せ"を感じる余裕というものがなかったから空虚感が生まれたのではないかと彼女は言っていました。
さも自分の意見かのように言っていますが、ある人から聞いた話の引用です。
自分がどんな時に”幸せ”という感情が生まれるのか。確かに自分に置き換えて考えてみてもマーチンの靴を買ったり、好きなサッカー選手のユニフォームを買ったり、食欲を満たすなど、もちろんそれでも心を満たすことはできても”幸せ”という感情とは直接結びつくことは少ないと感じました。
考えてみると、朝まで一回も目を覚まさずに熟睡できたり、天気のいい日に洗濯物を干したり、スタバのカップにほんの些細なイラストを描いてもらったり、青信号のタイミングが良かったりそんな些細なことの方が”幸せ”というものを感じやすいなと思いました。
目には見えない本当に曖昧なものだけど自分がどのようなところに”幸せ”という感情を得るのか、将来結婚する相手とその価値観があわないとすれ違いが起きそうだなとふと思った僕でした。(今は結婚願望がないです笑)
今日もいい日になりますように。
20201215てんぺい