学びとは「参加である」って、えらい学者さんが言ってました。30年前に。
さっき、NEWS PICKSを見ていたら、
「学びとはなにか?」
みたいな議論になっていました。
そのときにふと、10年以上前に勉強した大学院のときのことを思い出しました。
そのときにゼミの先生に紹介してもらった本が、
状況に埋め込まれた学習―正統的周辺参加
という1993年に出版された本です。
(日本で翻訳されたのがこの年です。)
で、詳しい解説はこの本に譲るとして、ざっくり説明すると、
学びとは、共同体でやってる役割が増えることっすよー
ということを主張している本です。
学びってなんですかね?
って聞かれたら、自分なりの答えを言える人は少なくないと思います。
例えば、学びとは
■勉強して、テストでいい点数をとること
■できなかったことが、できるようになること
■失敗して、次から同じ失敗をしないようになること
■教えてもらうこと
■本を読むこと
などなど。
いろいろあると思うのですが、
この本を書いた、ジーン ・レイヴと エティエンヌ・ ウェンガーは、
学びって、共同体で、自分の役割が増えることっす
と主張しているのです。
本書では、
新人が、最初は下っ端の仕事をしながら、より熟達している人がこなしているより重要な仕事を見よう見真似で覚えていく、
みたいな様子を観察して
学習って、なんなんだ?
ということを読み解いています。
じゃあ、ぼくたちはこの本から何を学べるのか?
それは、
学びって、なんなんだ?
を、
もう一回、考えることができる。
この本の理論を、職員室で置き換えてみます。
大学を卒業してすぐの初任者が、職員室にやってきました。たぶん彼(彼女)ができる仕事は、クラスを運営していくことで精いっぱいです。
が、
そんな彼(彼女)も、年月を重ねれば学年主任(学年のことを考えるようになったり)、校務分掌(学校内の仕事)も増えてきます。
次第に学校の中で重要な仕事(学校を回していくのに必要な仕事)を任せられるようになります。
この過程が、
学び
だとします。
こんな感じで、子どもたちの「学び」を考えてみたいと思います。
たぶん、
共同体(クラス)における役割って、学年が上がることに増えていっていると思うのです。
1年生のころから掃除や給食の準備は自分たちで出来ていましたが、それに加えて学年が上がるころには、
■掃除や給食のやり方を下の学年の子に教えるようになったり
■クラスがよりよくなるための係活動に精を出したり
■自分が得意なこと、国語とか算数とか体育とかで、クラスのために力を発揮したり
■そっと一輪の花を教室に飾ることで、なんだかほっこりする空間にしたり
■友達とのいざこざを仲裁したり、自分たち自身で解決ができるようになったり
こんな感じで、共同体(クラスや学年や学校)における役割が増えていくと思うのです。
5年生から始まる委員会とか、わかりやすいですよね。
こんな感じで、
共同体での役割が増えることを
学び
と定義するならば、
今のWith コロナ時代の学びとはなんなんでしょう。
たぶん今までと同じで、
共同体での役割が増えること
だと思うのです。
今まではそれがリアルな学校で丸一日かけてできていました。
が、
With コロナ時代は、そもそも学校に来れないかもしれないし、来れたとしても分散登校。
しかも、一日2時間とか午前中だけとか、そんな期間が半年、一年、二年と続く可能性があります。
そうなったときに、どうやって、子どもたちに、
共同体での役割を増やすことができるか?
これがポイントになってくると思います。
リアルとオンラインのハイブリッド、それぞれの強みを生かしながら、この課題を解決していきたいと思います。
今日は、柄(がら)にもなく、教育を語ってしまいました。
ま、一億総教育者。
ビジネスについては語れませんが、教育については僕でも語れるので、今日だけは語らせてください。
今、ぼくにできること、続けていきます。