ほぼ無料日記:デジタルコンテンツのコピーによって劣化するもの。
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・記事は基本的に有料で公開します。
・価格は記事を書くのにかかった時間や労力から恣意的に決定します。
(基本的に100円の価値もないと思っていただければ問題ないかと…)
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但し、誰かがその記事を購入していた場合は有料のままとします。
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いつも記事を書くのに何時間もかかってしまうので、ちょっと実験的に時間制限を課して、この記事は60分で書きました。
デジタルコンテンツ。
デジタルの性格として、コピーしても劣化しないと言われています。
本当にそうだろうか。
本当に僕らは、オリジナルとコピーとに差がないと思っているんだろうか。 本当に僕らは、オリジナルとコピーとに同じ価値を感じているんだろうか。
ある2つのデータが、データ的に同じだから全く同じだと考えるのはあまりに短絡的だ。
例えば僕らは、USA(宇佐市)とUSA(アメリカ合衆国)が違うものだということを知っている。 それは、名前のアルファベット表記の他に、これらを区別する尺度があることを知っているからだ。
デジタルデータについても同じことが言える。
デジタルデータがゼロイチの配列で表現し尽くせると思っているなんて、デジタル時代が聞いて呆れる。
データに質感を当たり前に覚えて初めて、ゼロイチの外に価値を当たり前に見いだせて初めて、デジタル時代と言えるのではないか。
簡潔に言おう。
尊敬する人の言葉が響くように、好きな人の料理がおいしいように、コンテンツにはストーリーが付随して初めて価値が生まれる。 大切な人からもらったCDを再生することと、YouTubeでその曲にアクセスすることとは、全く違う体験であるはずだ。
もはやデジタルだアナログだコピーだオリジナルだというお話ではない。 この体験の価値を軽視したコピーが行われたとき、その瞬間にそのデータは取り返しのつかない劣化をしてしまうのだ。
ああもったいない。
サポートしていただけたら、書く勢いになります!