【往復書簡】7通目
シモダさま
まずは営業再開おめでとうございます。機会を伺ってまたお邪魔しようと思います。(車で帰るのでノンアルコールかもしれませんが・・・!)
再開してみていかがでしょう?もちろん何もかも元どおりではないかと思いますが、取り戻せたもの、取り戻せなかったもの、新たに得たもの、あったことに気づいたもの、なかったことに気づいたもの、これから期待すること、いろんな捉え方ができるでしょうか、過去と現在と未来に関する雑感を聞いてみたいです。
僕はといえば、なんだかオンラインというか遠隔に慣れてしまって、あまり在宅勤務に不自由がないなあとますます感じているところです。オンオフ問わず人と接する機会がまだ以前より圧倒的に少ないので、細かいところには目が届いていないかもしれません。また、仕事の量が増えてくると印象が変わるかもしれませんね。
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さて「目的の共有」と「空間の共有」についてです。目的の共有については、なるほど確かにその通り、という印象ですが、空間の共有についてはもう少し深める余地があるなと思いました。
それぞれ別の目的を持った方々がただ同じ空間にいる状態
色んな目的を持った人が集まることで思いもしなかった化学反応を起こす
という目的で
それぞれが個人の場から参加するオンライン上で《空間》を共有するとはどういう状態なのか
を考えるためには、「果たして我々は空間を共有することで何を共有(交換)していたのか」を考えると一歩進むような気がします。
たぶんこれは(禅問答のようですが)「雰囲気」と呼ばれるようなもので、言葉では掴みようが難しいのですが、その人の話す内容だけでなく話し方や座り方、声の大きさ、目線や手の動き、衣擦れの音、匂い、などなど、意識的にであれ無意識的にであれ、「わたしは何者か」を雄弁に語る要素が空間にはふんだんに漂ってるんだと思います。釈迦に説法ですが全く未知の人がいると人は緊張するし、コミュニケーションが難しくなりますよね。
そしてこれをオンラインに持ち込もうとすると何が難しいかというと、オンラインでは、共有する情報がとても選択的です。画面の向こう側ではムンムン放っているはずの暗黙のメッセージが、マイクとカメラという細いチャンネルに削ぎ落とされ、さらにこちら側ではディスプレイとスピーカに丸められるのですから、ものすごい情報のロスです。さらにマイクはノイズキャンセルだとかカメラはバーチャル背景だとかをやるわけですから、暗黙の情報は意図的に削ぎ落とされていく方向です。
もちろん、データ転送量を抑えるとか、ビデオ会議のクオリティを高めるとかいう目的があってやっていることなので、それが悪いというわけではなく、例としてビデオ会議アプリは「空間の共有」とは目的が違う、という話ですね。
ちょっと長くなりそうなのでいったんこの辺で。。
岩谷
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