日本大学文理学部資料館(東京都世田谷区・桜上水駅)
日本で最も学生数の多い大学である日本大学。16学部で7万人を超える学生がいるという日本大学は、都内や東京近郊に学部ごとにいくつもキャンパスを持ち、同級生でも学部が違えば在学中にすれ違うこともない、なんてことも通常運転。各地にあるいくつかのキャンパスには学部に関するミュージアムがあり、今回は文理学部資料館を訪問することに。
都内にある日本大学のミュージアムは江古田にある芸術学部芸術資料館と、この桜上水にある文理学部資料館のみ。他は千葉県や神奈川県などやや遠方にあるため、この二つが比較的アクセスしやすいミュージアムだろうか。桜上水駅から学生の群れに紛れながら文理学部のキャンパスへと入り、正門から左手奥にある図書館棟の1階に文理学部資料館はある。
今回は「はじめての文理学部&資料館」と題した企画展を開催。その名のとおり文理学部と資料館をはじめて訪れた人に向けた展示として、120年近い文理学部の歴史を主に紹介しながら、その歴史の中で研究や教育のために集められてきた所蔵資料を紹介する展示内容となっている。日本大学は日本の近代国家成立に向けた法典整備に合わせて国法の教育機関となることを目的とした日本法律学校として当時の司法大臣だった山田顕義を学祖として1889年に誕生した。1903年に「日本大学」となり、大学令によって誕生した日本で最初の私立大学の一つとして名を連ねている。
その長い歴史の中で大きな事件としては1923年9月1日に発生した関東大震災。全校舎をはじめ、図書や帳簿、什器などの大部分を焼失したのに加え、総長が家屋の下敷きになって死去するといった大惨事となり、廃校の危機に直面した。しかし2日後には焼け跡にバラック小屋を建設し、焼け跡の整理、罹災学生の収容を行いつつ10月1日からの授業開始準備の指示が出されたという震災被害を受けた大学の中で最も早い授業再開を果たしている。こうした復興作業は学生たちを中心にして行われたという。
他にも日本大学名誉教授でもあった体操選手として1964年の東京オリンピックなど三度のオリンピックに渡り金メダルをもたらした遠藤幸雄の遺した賞状や金メダルが展示されていたりする。トイレは和式とウォシュレット式。なおこのキャンパス内にある1号館は日本大学の中でも最も古い建物になっており、こちらもまた興味深いところ。
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