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東京都庭園美術館(東京都港区・白金台駅/竹久夢二展)

東京都庭園美術館では竹久夢二の企画展を開催。さすがは大正ロマンを代表する画家として今も絶大な人気があり、多くの見学者で賑わっている。今回は岡山にある夢二郷土美術館の協力で、館に所蔵されている作品が多数ここで紹介されている。東京都庭園美術館のシンボルともいえる香水塔のすぐそばを進むという普段とは異なるルートでの見学コースになっているのもまた一つの見どころ。

大正ロマン、という文化をアートの面からとらえるときにまず名前が挙げられるのが竹久夢二といえるだろう。正規の美術教育を受けることなく、独学で画風を確立したことで「夢二式」と称される美人画をはじめとした独自の作品を発表してきた。本や雑誌の装丁や雑貨のデザインなど、グラフィックデザイナーとしての活躍も特に知られている。

根強い人気のある竹久夢二

生誕140年を記念し、近年になって新たに発見された『アマリリス』が初公開として出迎える最初のフロアから、東京都庭園美術館という実際に朝香宮家の生活空間として使われてきた建物の中で、大正時代の生活に即した夢二の作品は非常にマッチしている。家出して上京し、在学中に雑誌へ投稿した挿絵が入選すると、そこから学校をやめて画家として働き始める。絵を描く仕事が増えた頃に絵葉書店の店主だった岸たまきと出逢って結婚、のちに作品集を刊行した。

港屋で販売された木版画

夢二の生涯においては恋愛遍歴がどうしても関わってくるもの。岸たまきとは離婚するがその後も同棲や別居を繰り返し、二人の間には三人の子供ができた。その後たまきは、夢二が経営する絵草紙屋「港屋」に出入りした東郷青児との仲が夢二に疑われて絶縁することになるが、たまきは夢二の療養中も訪ね、亡き後も慕い続けたという。逆に夢二はその「港屋」に出入りした笠井彦乃と交際し、京都で同棲するが彦乃は結核のために短い生涯を終えている。さらに『アマリリス』をはじめ絵のモデルとして人気のあった永井カ子コ(お葉)と同棲し、夢二が世田谷に設計した「少年山荘」に移り住んで夢二の子供達とも同居したが、やがて二人の間に生まれた子供が夭折すると別離することになる。

憩い(女)モダンガールである
夢二はモダンガールと和装の女性をうまく描き分ける
横顔が印象的

夢二に憧れて芸術家を目指した恩地孝四郎とともに商業デザインに芸術性を取り入れる「どんたく図案社」を構想したが、直後に関東大震災によって設立は取りやめとなる。被災しながらも人々の様子をスケッチし新聞などで震災の状況を伝えた。やがて群馬県の榛名湖にアトリエを構え、藤島武二・有島生馬などの協力のもと「榛名山美術研究所」を設立。その際に海外を見物するが、やがて病に倒れてしまう。友人の医師である正木不如丘の看護を受けながらもその生涯を閉じている。

美人画じゃなくてもデザイナーとしての腕も立つ

展示室では夢二の生涯を通じて出逢った多くの女性にフォーカスした「美人画」や、旅の中で見つけたたくさんの風景を作品の中に落とし込んだ「風景画」、そして千代紙、封筒、半襟(着物の下着につける襟)といった日用品などに特化した「デザイン画」といったポイントに焦点を合わせて作品を紹介している。トイレはウォシュレット式。

晩年の代表作『立田姫』はやばい 心を奪われる


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