見出し画像

大田区郷土博物館(東京都大田区・西馬込駅)〜川端龍子記念館(同上)〜熊谷恒子記念館(同上)

・大田区郷土博物館

馬込〜西馬込駅と大森駅の間には馬込文士村という、明治〜昭和の文豪たちが好んで生活をした一帯がある。地域でもこれを推していて、エリアのいたるところに記念碑や記念館などが点在している。ただこのエリアは坂道が非常に多く、これを全て回ろうとすると5〜6時間を歩かなくてはならなくなり体力の消耗が激しいどころかリアルに死ぬ。回るところを絞って行く必要がある。

画像1


まずはこの馬込文士村とはどんなものだったのか、というのを知る手がかりとして郷土博物館で展示が行われている。とはいえ、その名の通り郷土の博物館なので、大田区の歴史も交えて展示される。
展示室は階段を上った2階から。郷土博物館ならではの土器や地層などある。この地域は貝塚(大森貝塚)があったため、当然ながら地層からは貝が出土している。また、かつて海苔の養殖が盛んだった地域ということもあり、農漁村の様子、水を曳いていた六郷用水などの資料も大量にある。考古学に興味があればこの2階だけでじっくり1時間は見られる。トイレは洋式。

3階が目的の文士コーナーで、入口すぐ巨大ジオラマがお出迎え。この地域に点在していた文士に縁のある場所が俯瞰で見られるようになっている。と同時に高低差もわかるので、まともに回れば高低差20メートル以上ある坂道を上がっては下り、いかにこのエリアを回ることが大変なことかというのも手に取るようにわかる。
片山広子、村岡花子、吉屋信子、佐多稲子といった女流作家、
佐藤惣之助、萩原朔太郎、北原白秋、川端茅舎といった詩人・俳人、
尾崎士郎、広津和郎、室生犀星、吉田甲子太郎、今井達夫、子母沢寛、和辻哲郎、榊山潤、山本周五郎、城左門といった小説家、
そして小林古径、真野紀太郎、高橋松亭、川端龍子、伊東深水、川瀬巴水といった画家・彫刻家まで名だたる人物がこの馬込文士村で生活をしていた。

中でも川瀬巴水は海外で人気があるらしく今回は特集を行っていた。クリアーファイルなどのグッズも川瀬巴水を中心に据えられている。ちなみに東京だと田端にも文士村があり、同じように記念館がある。

文士コーナーの隣には大田区の戦前・戦後の遷移が紹介されている。大森の「大」と蒲田の「田」から「大田区」と名付けられた。昭和の暮らしのジオラマや、戦時中の技術開発(大森・蒲田周辺には世界へ輸出するレベルの技術を持つ町工場が多い)などが展示されておりこちらも興味深い。休日の午後だというのに見学者は他に1名のみ。地域の博物館がいかにマイナーなものかを垣間見てしまう。もったいない。

画像2


・川端龍子記念館

馬込文士村にいた人物の中でも特に存在感を放っている画家として川端龍子が挙げられる。たつこ、ではない。りゅうし。もともと西洋画を学び、のちに日本画の素晴らしさに気づいて日本画へと転向した。画壇である日本美術院の同人となって活動するも後に日本画の枠を外すべく脱退して自らの団体「青龍社」を立ち上げる反骨精神を持っていた人物。
床の間で見るような絵画ではなく、会場全体に広がるような大作を描いた当時としては異端の画家で、画壇の中心にいた横山大観や川合玉堂と相対する立場ではあったが親交があったという。

https://www.ota-bunka.or.jp/facilities/ryushi

隣接する土地にはアトリエと邸宅があり、現在は時間指定で入園可能な龍子公園となっている。一日に3回のみ入園可能で、ちょうど入園時間だったため本館よりも先に龍子公園を見学することに。学芸員による解説ガイドつきでの見学コースに沿って30分ほど見学する。

画像3


龍子の雅号そのままに龍になぞらえた道や、卍型を意識した扉、畳など特徴的な旧宅、天井まで高く、窓には当時のままのガラスがはめ込まれたアトリエ(目線の高さには窓枠をつけないなど画家らしい)、東京国立博物館に保管されるに至った貴重な仏像、そして空襲の際に落とされた爆弾跡を造成した爆弾散華の池など見どころがたくさん。記念館に行くなら時間を合わせてこちらの公園も行きたいところ。

画像4


さて本館のほうはというと、入り口は2階で1階は吹き抜けになっている。どういう意図で作られたのだろうか。運搬や水害対策という意味があるのかもしれない。ちなみにアトリエや旧宅ふくめ全て本人が手がけている。

階段を上って入口から奥へと入るとすぐに右手に巨大な作品『香炉峰』が出迎える。実際に戦争に従軍して中国の廬山上級を偵察機に便乗した体験から描いている。飛行する戦闘機を透かして廬山を見せるという試みから、白居易「簾を掲げて看る」と詠ったこととのつながりを解説している。一見すると戦争を翼賛する絵に見えがちな戦争絵であるものの、龍子本人は戦争への怒りを持っていたそうで(息子が徴兵され戦死している)、この他にも『水雷神』(機雷を神が抱えている)や空襲を受けた際に育てていた野菜が破裂する様を描いた『爆弾散華』など、強烈なインパクトを与えている。個人的にはその他には奥州藤原氏のミイラを元に描いた『夢』や先に亡くなった横山大観へのオマージュ『逆説・生々流転』もまた心を掴まれた。

画像5


面白いのは展示室自体がタツノオトシゴになぞらえた造りになっていて三箇所の曲がり角があり、角を曲がるまで次の光景が予想できないという点。次に何が来るのだろう、と期待しながら巡ることができるのは龍子ならではの洒落っ気というところ。内蒙古へ従軍したことに着想を得た『源義経(ジンギスカン)』や、黒色に浮かび上がる金色の植物がまるで本物のような『草の実』が素晴らしい。最深部には龍子がほぼ毎日のように祈りを捧げていた十一面観音の仏像が鎮座している。

館内は撮影不可で、本人の『香炉峰』と、今回の企画展のテーマであるコレクター高橋龍太郎のコレクションの中で会田誠『紐育空爆之図』の屏風絵のみ(屏風絵を立てている板やビール瓶の箱も含めて作品だそうで。ふむ)。

反骨の日本画家と現代美術家とのコラボレーションということで、川端龍子の作品に近しい作品をピックアップしているという。だからか、現代アートに興味のある見学者もちらほら。その他には鴻池朋子、天明屋尚、山口晃の作品がある。名前は聞いたことあるような、というレベルで経歴もよく知らず、彼らの作品をまともに観るのは初めて。山口晃は良かった。『當卋おばか合戦』や『今様遊楽圖』は、やまと絵のようでありながら油彩で描かれており、技術の高さをうかがわせるのと同時に強烈な皮肉をそこに内在させており、しっかりとした目を持っている人だという印象。他の3人はあまりピンとこなかった。作品数が多いわけでもありませんからね。トイレは洋式。


・熊谷恒子記念館

建物の老朽化のために長期の休館に入るというので、その前に行っておかなくては、と思い今回の目的としていた場所。馬込文士村の真ん中あたりにあるのだけれど、正直ここに至るまで郷土博物館〜川端龍子記念館〜熊谷恒子記念館の道筋は非常に複雑かつ高低差が激しく、とてつもなく道に迷ってしまった。昔からある住宅街の特徴で、とにかく道が入り組んでいて東西南北なんて関係ないので目印がない。おまけに陽射しが強烈で嫌になるほど汗をかいた。

川端龍子記念館からどう行くのが正しいのか、念のため龍子記念館のスタッフの方に道を伺うと親切なことに道筋の地図を頂いたので、それを頼りにオドオドしながら歩く。
桜並木の通りを進んでようやくたどり着いた。生前の邸宅を記念館にした場所でちょうど高台の上にあるため、道から階段を上った先に記念館がある。

画像6

ほとんど人がいない。まあ、かくいう自分自身も地域を調べていてようやく見つけた場所だけに仕方がない。入口に銅像があるので眺めていたら鳴き声が。声のある方を振り向くと玄関の隅で猫がお出迎え。マスコット的な猫かな?と思ったら野良猫だそうで。自由だなおい。

熊谷恒子という人はいわゆる現代かな文字の第一人者と言われている書家。子供の手習いに付き添ったことから書を始め、のちに書道展の審査員や大学で教鞭を執るなど第一線で活躍しており、現在の上皇后陛下にも書を講義したという。館内は撮影不可だったため外観のみ。まずは洋間である応接室から。応接室には絶筆として彼女が93歳で亡くなる直前に残した作品が展示されている。『ありがとう』と『うれしいこゝろ』と最後に残したことで充実した人生だった穏やかな息遣いが感じ取れるようである。

画像7


古い日本家屋なので天井は低く、応接室から隣室へ向かう仕切りが低くてしゃがまないと頭をぶつけてしまう。隣室は居間となっており庭を見渡せる。垂木の天井が庭に向かって斜めに低くなっている。洋風でありながら和装という仕様。かな文字は五島美術館での書と同じように漢字のくずし字になっているため素人目には判別ができない。古今の和歌を書にしているのだけれど改行が独特で、例えば五・七・五・七・七の歌でも、四・六・七・三・三・八といったような文字の切り方をしている。単語で区切っているわけでもない。これが書では当たり前なのかよくわからないがとにかく文字は流麗なのが伝わる。

隣室には和室の書斎があり、生前に使われていた道具や湯のみ茶碗などが残されている。庭には石碑が建っているが外へ出ることができないので詳細は不明。この書斎の天井は染みができており老朽化が見て取れる。そこからトイレ(洋式)を経て2階へ上がる。壁や天井にも目立つひび割れが多数あり、これでは改修も仕方ないのかもしれない。
2階は2部屋あり、左手は洋間の資料室として作品展示や、関連資料(おそらく生前に愛読していた書なども)。右手はやや広い和室で、いくつかの展示品と、中央にはテーブルがある。以前はここに硯と筆があり、見学者は自由に習字を書いたりできたそうだが、この情勢下でできなかったのは残念。
トイレを含め至るところに生花が添えられており、いかにこの場所の雰囲気を大切にしているかが伺える。見学者は他に1人だけいた。老朽化で休館、ということであるけれど、普段から来客が少ないようであれば再開されるのかなんてわからない。今あることがあたりまえだと思っていても次にどうなるかわからない。だからあるうちに触れないといけないんだ。メアリー・ポピンズのセリフであった気がする。たぶん。

https://www.ota-bunka.or.jp/facilities/kumagai



いいなと思ったら応援しよう!