目黒区美術館/目黒区美術館区民ギャラリー(東京都目黒区・目黒駅/ベルギーと日本展)
目黒区美術館では「ベルギーと日本」と題した企画展を開催。目黒区美術館の特色として戦前の日本人画家による欧米への留学中に描いた作品を収集方針に掲げており、その中でベルギーに留学した太田喜二郎の作品を収蔵しているため、同時期にベルギーへ留学した芸術家である児島虎次郎と武石弘三郎も織り混ぜつつ、彼らに関するベルギーや日本の作家などを中心とした展示となっている。
1階から既に会場となっており、まずは最初にベルギーと日本人の洋画との関わりについて。黒田清輝と久米桂一郎によって洋画界を牽引する目的で結成された白馬会の展覧会でベルギー作家のロドルフとジュリエットのウィッツマン夫妻の作品が展示されたことをきっかけに太田喜二郎や児島虎次郎がベルギーへ留学した。
2階では彼ら留学生が留学先で出会ったベルギーの画家たちも絡めて紹介しており、彼らを指導したエミール・クラウスやジャン・デルヴァンの作品をはじめ、ベルギー留学中の太田喜二郎や児島虎次郎の作品も展示されている。ありとあらゆる光の表現方法を描こうとする太田の作風がわかってくる。児島は当初はパリでラファエル・コランに師事したが馴染むことができず、学生時代の友人である太田を頼ってベルギーへ移り、伸びやかな作風を開花させることになる。
外光派を日本へ持ち帰った黒田清輝と久米桂一郎にとっては、このベルギーでも隆盛して留学生たちが影響を受けた印象派の作風は単なる技法であり正当な画風とは捉えていなかった節があったようで、特に太田はその作風をあまり認められたなかったようで、帰国後しばらくしてから技法を放棄することになる。一方で児島は日本の画壇からは距離を置いてフランスのサロンに出品を続けたことで伸び伸びと自分の作風を追求できたという。他にも印象派として活動した斎藤豊作や吉田苞の作品も展示。彼らもまた日本の画壇とは距離を置いていたという。
太田と児島に先立ってベルギー留学していた人物として武石弘三郎がいる。彫刻家である彼はアール・ヌーヴォーの影響を受けた新古典主義の彫刻家たちに師事し、優秀な成績を収めて現地でも報じられるほどだっという。その一方でベルギーを代表する彫刻家のコンスタンタン・ムーニエの作品に衝撃を受けており、それを日本に紹介しブームになるほどだったという。武者小路実篤もムーニエの作品に感動した記録が残っている。
このムーニエの衝撃によって日本の彫刻家たちは大きな影響を受けており、萩原守衛や吉田三郎、それに齋藤素厳ら多くの彫刻家の作風に変化を与えている。中でも丹那トンネルの慰霊碑レリーフや東京株式取引所本館の4体のブロンズ像を製作した齋藤素厳は武石の元で彫刻を学んでおり、武石からの影響もあるのかもしれない。
ちょうど時代は第一次世界大戦。戦場となったヨーロッパのベルギーは大きな被害を受けている。日本はベルギーを救うべくチャリティーの美術展覧会を開催し、売上金と有志の寄付をおこなっている。また逆に関東大震災で壊滅的なダメージを受けた東京を救うべく今度はベルギーの芸術家たちが立ち上がりチャリティー展を開催している。
最後はベルギーの代表的な作家としてフェリシアン・ロップスとルネ・マグリットについてを紹介。版画家であり官能的でデカダンスな作品を多く製作したロップスの作品と、シュールレアリスムの旗手として多くの作品を描いたマグリットの奇妙なバランスで締め括られる。
トイレは和式と洋式。通常では撮影することのほとんどできない目黒区美術館が今回はほとんどの作品が撮影できるというのもあってか、見学者もやや多い印象がある。目黒区美術館区民ギャラリーでは現代アートを中心とした展示「そこにも、苦がある。」を開催。自己と他者との苦を見て取り、描き出すことで「共苦」の中から救いを問い直すことをテーマとした数人の作家による展示でこちらもまた非常に見応えがある。毎回おもうんだけど区民ギャラリーというより別館といってもいいほどの内容。
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