国士舘大学国士舘史資料室/大講堂/松陰神社(東京都世田谷区・松陰神社前駅)
普段は立ち入ることのできない文化財を一般に公開している文化財ウィーク。東京都では10月の後半から11月の初頭にかけての短い期間に開催されている。屋敷や歴史的建造物、秘仏などの貴重な文化財をこの時期にだけ見ることができるとあって、これを機会に訪れなくては、と色々と調べていたところ、世田谷区にある国士舘大学の大講堂が2022年度の文化財ウィークの対象施設として採り上げられていることを知り訪問。
三軒茶屋駅と下高井戸駅を結ぶ世田谷線。東京都の鉄道路線を縦につなげているレアな路線として貴重なこの世田谷線の松陰神社前駅から歩いて5分ほどの場所にあるのが国士舘大学である。松陰神社前駅、という名前からわかるように松陰神社がここには隣接している。幕末に活躍し多くの志士を育てた吉田松陰の墓がここにあり、彼の開いていた松下村塾の模造がこの境内に建てられている。こちらも国士舘大学が寄贈したものになっている。
なぜ国士舘大学が寄贈したのかというと、国士舘大学の創設者である柴田徳次郎が吉田松陰を大変に尊敬していたという理由による。15歳で福岡県から上京し、牛乳配達などで苦学しながら早稲田大学を卒業、同郷の頭山満や野田卯太郎などの各界の名士の知遇を得て青年大民団を組織して、その私塾として創設されたのが国士舘大学である。国士舘の設立には渋沢栄一や徳富蘇峰らも関わっているという。創設されてまもなく現在の地に移転、もともとは吉祥寺も候補に上がっていたものの、松下村塾のように「国士」を育てる想いがあって松陰神社に隣接した場所に決めたという。
大講堂の入口前にも柴田徳次郎の銅像がある。和装ではなくマオカラースーツのような独特な服装なのが興味深い。講堂の中に飾られている写真や講義中の写真も同様で、よく愛用していたらしい。大講堂は普段は畳が敷かれ、机を並べて正座や胡座などで講義を受けていた様子が残されている。
大講堂は建立から現在に至るまでの長い歴史の中で三度の厄災を経験している。最初の関東大震災では付近の住民を避難させるための建物として利用されたが、太平洋戦争の際に東京大空襲で戦火に見舞われ火災、校舎がほぼ焼失する中でこの大講堂だけは学生と教職員の消火活動によって焼失を免れた。東日本大地震でも大きな被害は受けなかったものの建物の一部がひび割れるなどの危機を潜り抜け、修繕を経て現在に至っている。
キャンパスの道を挟んだ向かい側にはこれもまた古い造りの世田谷区役所がある。東日本大地震で窓ガラスが全て割れるという厄災に見舞われているそうで、国士舘史資料室のある柴田会館はこちら世田谷区役所の近く。資料室の中には柴田徳次郎が愛用していた机が残されている。トイレはウォシュレット式。