東京都美術館(東京都台東区・上野駅 イサム・ノグチ展)
前回おとずれたWalls&Bridges展があまりにも良かったので再度ご対面したいという想いと、イサム・ノグチ展が閉幕間近ということで訪れる。
ここは先の丹下健三が所属していた事務所の代表である前川國男による設計で、入り口が地下階だったり、奇妙なレンガ造りや正面玄関に変色した跡があるなどの特徴がある(と唐突に建築に目覚める)。
まずは閉幕間近のイサム・ノグチ展。SNS映えを見越してか若い見学者が多数いる。天井から吊るされた無数の明かりとか、映えるよね。でもフジロック会場でもこういうの確かたくさんあったよ。今年は邦楽ばっかりだし行かなかったけど。
アメリカ人の父と日本人の母の間に生まれ、父との微妙な関係や、帰国後の差別に直面したという点も作品に触れる上では看過できないけれど、それはそれとして、ぶっちゃけ作品とタイトルの相関性が難しい。
途中からアート大喜利よろしくクイズ形式で作品のタイトルを予想するという、一種かわった鑑賞方法へシフトしてみる。正解してイサムに共感したり、全く違っててイサムにイラついたり。どんな楽しみ方やねん。でもアートって個人的にはそれでいいと思っている。楽しんだ者勝ち。そこから共振するものがあれば更に良いわけで。
芸術作品をどう感じ取るかは鑑賞者の感覚(それは得てして鑑賞者の経験に基づく)のであって、それ自体が信仰ではないのである。ってニーチェも言っていた。たぶん。作品は本人が作成することもあるけれど、チームメンバーが手を入れていることが多かったのが意外。
つづいてWalls&Briges展を再度。前回は駆け足で鑑賞してしまったので今度はじっくりと。
ゆっくり見てみて改めて真に迫ったのは増山たづ子の写真。10万点にも及ぶ写真の数々。現在のように気軽に写真を残せない時代。どの表情を切るとるか、いざシャッターを切るのにとても時間を要したという。彼女を支え続けた木との対話が涙を誘う。
そしてメインはもう一度じっくり向き合いたかったスビニェク・セカルとの対面。痛みがズキズキと伝わってきて、やっぱり釘付けになって動けない。作家自身の体験(直面した惨劇)に基づく作品。生前はそのことについて言葉で語ることは少なかったという。そのかわりに作品にこめた想い。自分自身の体験と、犠牲になった人たちの魂がのしかかってきて苦しい。それもまた一つの芸術鑑賞のかたちなのかもしれない。
美術館に行くとつい、企画展、あとは常設展を観て終わり、ということが多い。しかし東京都美術館、実は意外と広くて他にもギャラリーが多数ある(全部で12個ある)。普段あまり訪れることのない1階や2階にもギャラリーがあるのを目ざとく見つけてほぼ無人のフロアーをうろうろと歩き回る。今回ギャラリー展示はなかったもののいつか制覇したい。
ちなみに1階のカフェ横では東京オリンピックに関連した荒木飛呂彦先生をはじめとする国内のマンガ家・デザイナーによる展示や美術館建設に尽力した佐藤慶太郎アートラウンジなるものもある。多忙だろう佐藤過労。相当だろう苦労慶太郎。ありがとうオリゴ糖。
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