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東京ステーションギャラリー(東京都千代田区・東京駅 小早川秋聲 旅する画家の鎮魂歌)

東京駅にあるステーションギャラリーで開催されていたのは、大正〜昭和にかけて活動した日本画家の小早川秋聲(しゅうせい)展。エレベータを上って3階からすぐに展示室となっている。

幼少期おやつよりも絵を好み絵に親しんだ秋聲(しゅうせい)は、住職の子として生まれながらも寺を飛び出して絵画の道へ。中国へ渡り水墨画をはじめとした東洋美術を研究し、国内へ戻って日本画を中心に話題を呼びつつヨーロッパを外遊するなどしてきた。その中で描かれてきた作品を時代ごとに展示するという構成。その海外への留学を通し、日本画でありながら西洋の雰囲気を持つ作品が多い。

ギャラリー内部にある階段を降りて(途中に東京駅建設当時の遺構を間近で見ることができる)2階へ行くと、それまでよりも悲壮な作風が目立つようになる。戦争の渦の中で従軍画家として戦地へ派遣されて戦争画を描くことになり、満州事変から太平洋戦争に至るまでの長い期間、従軍画家としてたびたび戦地へ赴いている。
戦争画というとコンセプトとして戦意高揚のために描かされることが多いが、秋聲(しゅうせい)の作品は陰鬱な印象が強い。というのも戦地で野営する兵隊の苦労や、残された家族の表情、戦地で死んだ埋葬の様子など、華々しい賛美とは真逆のひたすらリアルな現実を描いていることが多いため。軍部から採用されなかった作品も散見している。おそらく兵士たちと一緒に行動することで、綺麗事ではない戦争の一面を描きたかったのかもしれない。
代表作としては『國之楯』が挙げられる。真っ黒の背景に横たわった(息絶えた)日本兵の遺体と、その顔を覆っている寄せ書きの日の丸旗。遺体はミイラのように手を組んでおり、遺体から浮かび上がる光(魂の表現か)からも、とても戦意高揚にはならない。戦争は人が死ぬものだという現実を描いている。間近でみると色々な箇所に手を加えられていることがわかる。よく見ると遺体の体にポツポツと点字の円がある。目の前にいた学芸員の方に尋ねてみると、当初は舞い散る櫻の花びらを描いていたのが、後からそれを塗りつぶしたことによって残った痕だという。軍部から受け取りを拒否され、それに伴って改作し題名も次々に変わった。説明文にその経緯が書かれているというので説明文を改めて読んでいると、今度はその学芸員から手招きされて耳打ちされる。何事かと耳を傾けると衝撃の一言が告げられる。

「秋聲が修正したの」

この展示会へはこのダジャレを聞くために来たといっても過言ではないのであった。

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