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【企画参加短編小説】今はまだ幕間にいる

こちらは企画参加作品です。

なみさん、メンバーの皆さん、
温かくお迎えいただいてありがとうございます。 

楽しそうなお題小説企画に出会ったのが、一昨日12日の夜。締切は本日14日。とてもじゃないけど間に合わないよなあと思いつつ、諦めきれずに昨日えいやと参加表明をさせていただいたのですが、その時点でまだ書き始めてなかった僕、我ながらよく間に合いました。

今回参加させていただくお題はこちらのとおりです。

・激重感情仄暗不穏ブロマンス〜BLでも可
・文字数は1万字以内
・お題は「視線」
・2月14日に各々のnoteで「#noteでBL」をつけて投稿
・無料記事でお願いします。

お題難しい……
表現できているかドキドキですが、ご判断は読者様に委ねます。

なお本文は、7649文字でした!
ギリギリだけど間に合った!

あとがき的なものは後日出すかもしれないです(言い訳とも言う)
※ちなみに見出し画像は自分が脚本演出した舞台の照明打ち合わせのときに撮った動画から引っ張ってきてたりする※


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潮音しおんが一時昏睡状態になった、という話は思っていた以上に広まって、そのままになっていたみたいだ。

久しぶりに帰ってきた日本の、ガラ公演の舞台裏でまで、まだその話が出るとは思ってもいなかった。正確に言えば、はっきりと僕に向かって話が出たわけではない。ただ、こういうのはなんとなくわかってしまうものだ。

皆、潮音の事故の噂をしている。

もう半年以上前の話だし、なんならもう復帰しているし、死ぬかもとか、再起不能だとか、色々勝手なことを言われていたけれど、ちゃんと踊れているし、事故にあったのが嘘のようにぴんぴんしている。

事故自体、僕にしてみれば、そんなことあったっけ?、というくらいには古い話のつもりなのだけれど。

でも、確かにバレエダンサーが舞台上で事故にあって昏睡状態になって、公演は中止、本人の命もどうなるかわからない、というのは、なかなかにセンセーショナルだし、その後の復帰公演の情報よりも、事故が起きた公演の印象のほうが、みんなの中に強く残ってしまったのかもしれない。
今日の公演に、潮音のパートナーとして知られている僕はスタッフでいるのに、潮音本人が出ていないのも、余計に話題にしやすさがあるのだろう。噂話に花を咲かせやすい。

出演しないと言っても、どうせこの後本人は顔を出す予定なのだけれど、こんな調子で大丈夫だろうか。潮音の機嫌次第では面倒なことになるのはわかりきっているのに。

どうか本人が、うっかり噂話している人と鉢合わせませんように、とこちらをちらちらと見ながら、ひそひそと何かを話しているよく知らない人たちを横目に願った。

「ハイ、チカ」
客席からリハーサルを見学させてもらっていたら、アレイシャに声をかけられた。

アレイシャは、潮音が彼女と組んでパドドゥを踊ったことが何度かあって、それで僕も面識がある。友だち、と言ってしまっていいのかは、微妙なところだ。僕としては光栄だけれど、彼女のほうではどうだろうか。ただ、嫌われてはいないだろう。会えば気兼ねなく話をする関係だ。

日本でもファンが多くて、確実にこのガラの目玉の一人であるベテランの彼女も、今はまだ全身リハーサル用のウェアに身を包んでいる。アレイシャはストイックで、本番前のルーティンが山ほどあることで知られているのに、このタイミングでわざわざ話しかけてくるなんてとても珍しい。これはまた潮音の話かな、と思っていたら、
「大丈夫なの?」
と聞かれた。

「潮音のこと?」
「ええ、そうね。ショーンのこと」

日本人以外のダンサーは基本的に潮音を「ショーン」と発音する。その呼び方を、なんだか随分長いこと聞いていなかった気がする。

「おかげさまで、大丈夫だよ。今回は出られなかったけど、もう復帰公演も向こうでは済ませてるし、事故だってもう半年以上前だからね。家ではぴんぴんしてる」
アレイシャは、ふっとため息を吐いて、後ろを振り返る。さっきからちらちらと僕に向けられていた視線をまた感じる。

「もしかして、あの人たちに何か言われた?」

アレイシャの向こうに見える、噂話をしていた一群をそうっと指し示して聞いてみる。面識のないダンサーたちだ。
「いいえ、そういうわけじゃないわ。私が、チカが元気なのか気になっただけ。随分会えてなかったし、楽しんでいるかしらって。リハーサルはどんな調子?」
「ありがとう。ちょうど僕らの王子が出てきたところだよ」

ローマが衣装をつけて舞台に現れたところだったので、彼を示しながら僕は言った。
客席にいる僕が見えたのか、ローマはこちらに元気よくぶんぶんと手を振っている。手を振り返していると、隣のアレイシャも手を振ってくれた。ローマはアレイシャに憧れている節がある。嬉しかったとみえて、ローマの手の振り方がさらに大きくなった。

「元気なロミオね」
「元気はローマの取り柄だから」

今回のガラ公演でローマが演じるのはロミオとジュリエットのロミオで、今もロミオの衣装を着ている。
遅れて現れたジュリエットと、ローマがパドドゥの流れを確認し始めたので、僕は手を振るのを止める。
ジュリエット役は、まだ若い日本人の女の子だ。日本のバレエ団に所属していて、最近日本ではとても人気だと聞いている。少しだけ踊り方に不安定なところもあるけれど、顔も可愛いし、ローマとも相性がよくて、二人で並ぶととてもきれいだ。

二人が踊るのは一幕、有名なバルコニーのバリエーションだ。出会ったばかりの二人が、お互いの恋心を確かめるシーン。
ふわふわの巻き毛で、ベビーフェイスの天使みたいなローマに、ロミオは良く似合っている。とても可愛い。
恋と情熱にひた走る少年と少女。

ローマは表現力が豊かだ。
途中までは日本で育っているけれど、潮音が出会うまでは幾つかの国を点々としている。血統にも、様々な国の血が入っている。そんな生まれながらのものが、彼の表現力のベースにあるのかもしれない。
僕や、潮音と暮らした時間も、そういうものの土台のひとつになっていればいいと思う。

潮音はよく、ローマを褒める。直接言えばいいのに、悔しくて伝えられないらしい。

「二人ともいいわね」
「そうだね。最近組むことが多い子みたいで。僕は全然、彼女とローマの踊りを観られてないんだけれど」
そう、どういうわけか、ローマのここ最近の仕事にはついてこれないでいた。
マネージャー兼通訳だというのに、色々とタイミングが合わなくて、現場入りをローマ一人でこなさせてしまうことも多かった。
こうやって舞台上のローマを見ること自体、久しぶりと言えば久しぶりだったなと思う。
無意識に、潮音のことを優先してしまっていたのかもしれない、と少し反省する。

潮音と僕、そしてローマの関係を人に正確に理解してもらうのは難しい。
僕らは三人で一緒に暮らしている、何年もずっと。ローマがもっと幼い頃から。潮音と僕は同性の恋人関係で、そこに幼いダンサーの卵だったローマが弟のように加わった。
ローマが成長するのを、潮音と二人でずっと見てきた。
もう家族みたいなものだ。

「パートナー候補かしら」
「どうだろう、ローマが拠点を日本に移すとは思えないけど、彼女は日本のバレエ団に所属してるし、移籍するとしたら彼女のほうになるのかな。というか、え、僕は聞いてないけど、そんな話出てるの?」
「嫌だ、身内のあなたが知らないことを、私が知っているはずないじゃない」
アレイシャが心外だというように目を瞬かせる。

「気にならない? ローマにパートナーができること。あなたたち、家族なんでしょう」
当たり前のようなアレイシャの言葉が少しうれしい。

「家族だけど、保護者的なのは潮音のほうだから、パートナーに口出しするとしたら潮音だよ。年が離れているって言ったって、五つくらいしか違わないのに、ローマの父親みたいで」
「そうね、本当に。そんなところがあったわね」
「あったどころじゃないよ。今もだよ。昔の、出会ったばかりの頃ならわかるよ、ローマもまだ半分子供みたいなところがあって。でも、もう23だってのに今でも変わらない」
「23……」
「そう、ローマが23歳だって、早いよね」

口ではそう文句を言いつつも、潮音の気持ちも少しはわかる。ローマを見ていると、僕はいつも、うんと小さな子どもを見るような気持ちで、かわいいなあと思って見てしまう。

「ショーンは、仕事では特定のパートナーを持たなかった」

唐突にアレイシャが言った。

「そうだね、強いて言えば君と踊る機会が一番多い気がする。最近はご無沙汰だけれど」
アレイシャは、少し困ったような顔で笑っている。
「僕にはキャスティング権限はないけれど、また見たいな、アレイシャ・スミスと、シオン・モリが『海賊』を踊るところ」

「気が向いたらね」
アレイシャは大きな瞳をぱしんと瞬かせると、いたずらめいた顔で微笑んだ。

僕がローマのリハーサルを見ている間、アレイシャもずっと隣に座っていた。ローマを見ているのかと思ったけれど、どういうわけか時折、アレイシャの視線が僕に向けられているのを感じた。
何か他に話したいことがあったのか、聞こうとしたのだけれど、ローマのリハーサルの後は、アレイシャも忙しくなってしまって、それ以上話ができなかった。仕方がない。もう開演まで何時間もないのだ。

それにしても、てっきり本番前の楽屋に顔を出すと思っていたのに、潮音は一向に現れない。一体どこで油を売ってるのか。
可哀想なことに、ローマは2、3分おきくらいに「だいじょうぶ?」と僕に聞いてくる。潮音が現れないことを気にしているのだろう。ローマは潮音が本当に好きだ。

もちろん、ローマは潮音がいなくても全然問題なんかない。

僕がどんなに、ローマを小さな子どもみたいに思ってしまっていても、立派に成人男性なわけだし、ダンサーとしてのキャリアだって長い。けれど、潮音が来ると約束をしてしまったときには、潮音の顔を見てから踊りたいことはわかっている。ローマは潮音から踊る力をもらえると思っているのだ。

その気持ちも少しわかる気がするのは、潮音にはどこか変に自信家なところがあるので、あの雰囲気で目の前にいられると、どんなに焦っているときでも、不思議とこちらの気持ちまで落ち着くことがあるのだ。僕でもそういうことが、たまにだけれどあるのだから、同じダンサーのローマは、もっと影響があるのだろう。

「潮音遅いね、開演前には着くようにするって言ってたんだけどねえ」

そんなことを言ってしまったのは、まずかったかもしれない。

不安そうな顔になったローマの、固く組まれた両手をさすっていると、手のひらを向けられるので、ぎゅっと手をつなぐ。潮音がしょっちゅうローマにやっていることだ。僕で代わりになるとは思えないけれど、ローマは僕の手を放そうとしない。ローマの手は、信じられないくらい冷たい。

潮音が現れない。来ると言ったのに。

そうは言っても、ローマは舞台に上がらないとならないし、僕もさすがに、そろそろ移動しないとならないかなというタイミングで、ノックの音がした。
潮音だ。
「どうぞ」と僕が答えるのに応じて、ドアが開く。

「やっときた。潮音、遅いよ。何やってた……」
「ご、ごめんなさい……」

当然、潮音だと思い込んで話しかけると、開いた楽屋のドアにいたのは、『ジュリエット』の女の子だった。

「あの、すみません。一箇所タイミングの確認をと思って、お取り込み中でした……か」
しどろもどろの彼女に慌てて謝罪をする。

「いえ、すみません、人違いをしてしまって。まもなくですもんね。そうしたらローマ、僕は一回外に出てるから」

僕が外に出ようとすると、ローマが椅子を蹴立てるようにして立ち上がって僕の腕を掴んだ。ぎゅっと握り込まれた腕が痛い。ローマの大きな身体で遮られて、ドアもジュリエットの姿も見えなくなる。

「ちょっと待ってよ、一人で行くことないでしょ。誰かと」
「一人でってことはないよ、潮音が来るんだから」

「え、潮音って、森さん、ですか」
女の子が小さな声で呟いた。

途端、ローマがぐるっと勢いよく彼女を振り返る。
ひゅっと彼女が息を飲む音が聞こえた気がした。
どうしたのかを確認するよりも前に、
「すみません、お邪魔しましたっ」
と、彼女が走り去ってしまった。

僕の腕を掴んだままのローマの手に力が入って痛い。
「痛いよ、ローマ」

ローマはハッとして手を離す。
「ごめん、怪我しなかった?」
「おまえに腕を掴まれたくらいではなんともならないよ」

本当は少し痛かったけれど、僕は腕をぐるんと振り回して見せる。
ローマは気落ちした顔で見つめて来る。叱られた仔犬みたいな顔をしている。
彼女は何を言いかけたのだろう。
「よかったのかな、彼女」
「べつにいいんじゃない、どうせ大した用事じゃない」
ローマの声が普段よりも冷たく聞こえる。

「彼女と何かあったの?」
「なにもないよ」
「けどさっき」

「なにもないったらっ」

ローマが大きな声を出した。
珍しいことだ。ローマがいらいらして声を荒げるなんて、滅多にない。
びっくりしていると、
「ごめん、余裕がなくて」
と、ローマが謝ってくる。

「えっと、さっきの子、は、どこかで潮音を見かけでもしたのかな」
「そう、かもね」
「そうしたら、もう会場には着いてるのかも、探して連れて来るよ」
ローマが何に対してナーバスになってしまったのか、僕にはわからなくて、焦ってしまう。
もうすぐ開演なのに、ローマは踊らなくちゃいけないのに。

今のローマには、僕よりも潮音が必要だ。

「いいよっ!」

ローマが鋭い声を上げて僕の腕を引っ張る。ぽすんという間の抜けた音がして、僕はいとも簡単にローマの腕の中にすっぽりと収まった。そのままぎゅうと抱きしめられる。ローマの顔は、僕の肩に伏せられて全然見えない。

「いいよ、俺には、二千翔にちかがいればいいんだよ」
ローマの声が震えている。泣いているのかもしれない。
「……珍しいこと言っちゃって」
「珍しくないよ。二千翔がわかってないだけだよ」

そうなのかもしれない。僕は、きっとローマのことをわかってないのだ。
潮音のことも。あるいは、自分のことも。

「俺には二千翔がいればいい、潮音を探しに行かないでよ。ここにいてよ」

いつのまにかこんなに大きくなって、と妙に感慨深く感じて動けずにいた。
こんなところを潮音に見られたら、勘違いをしてきてうるさいだろうか。
口に出したつもりはなかったのだけれど、
「潮音が怒ったら、俺が怒られるからいいよ。俺が二千翔を守るよ」
と、ローマが言った。

「なにそれ、かっこいいじゃん」
初めて出会った頃の、潮音が連れてきたローマを思い出して、思わず笑ってしまう。

「なに、なんで笑ってんの」

ようやく顔を上げたローマは、泣いてこそいなかったけれど、小さな子供がむずがっているような、どうしたらいいのかわからないような、そんな顔をしていた。
その顔は、やっぱり小さいローマのままのように見える。

「あんなに小さかったのに」
「俺は、二千翔が思うよりもずっと大人なの」

ふてくされたような声で、口を尖らせたローマに、今度こそ僕は声を立てて笑った。
抱きしめられたときに、一瞬どきっとしたのは、ローマにも、それから潮音にも内緒にしておこう。



「あなたって、いくつになったんだっけ」
楽屋を出て、舞台袖に向かう階段の途中で、声がかかる。振り返ると、階段の上にアレイシャ・スミスが立っていた。
潮音が一番踊っていた相手。俺の憧れのダンサー。

「急に、どうしたんですか」
「チカがね、あなたはもう23歳だって言うの」

「チカ」という呼び方は、二千翔を呼ぶときの、潮音の呼び方だ。潮音から、アレイシャに移ったのだろう。
ぎゅう、と心臓をひねり上げられた気持ちがする。
こういうことが度々ある。思いもがけないところから、潮音の気配が転がりこんでくる。
もういない癖に、いつまでも付きまとう。今この瞬間も、潮音の声がしているような気がする。

「じゃあ、今日の俺は23歳なんでしょうね」
「ほんとうは幾つ?」
「33」
「ショーンの年を超えたのね」
「とっくに」

とっくに潮音の年を超えている。もう、増えることのない死んだ潮音の年。

「チカはずっとああなの?」
アレイシャのストレートな物言いに、言葉が詰まる。

「……日によります。ちゃんと……、ちゃんと今の時間にいてくれる時もある。でも、たまに、ああやって時間が戻ってしまって……。今日は、あまり調子が良くなくて、……やっぱり劇場に連れてくるんじゃなかった」

そう、劇場に連れてくるべきじゃなかった。
劇場だと、潮音の存在が強くなりすぎる。だから連れてきたくなかったのに。二千翔が言ったのだ、どうしても見に行きたいと。踊ってる俺が見たいと。

「連れてきたくなかったって顔ね」
アレイシャに、痛いところを突かれる。

連れてきたくはなかった。
何年も何年もかけて、ようやっと、潮音がいないことに泣かなくなった、錯乱して家を飛び出すことがなくなった彼を。また振りだしに戻るような気がして。
所詮は潮音にかなわない自分を、目の当たりにするような気がして。

いっそ潮音が死んだことを忘れるのなら、本当に忘れ切ってくれればいいのに、ふいに思い出すと混乱するのだろう。思いがけない行動に出るので目が離せない。
一度、血まみれのバスルームで立ちつくしているのを見つけたときのことを思い出して、身震いする。自殺をはかろうとしたのだろうと思う。けれど本人はそのことも忘れて、何が起きたのかわからないような、困った顔をしていた。

隣にいる俺を見て、ほんの一瞬、がっかりしたような顔をされることは今でもあって、そのことにいちいち傷ついていたのも、慣れてしまって今はもう平気だ。
けれど、そうやって薄氷を踏むような思いで積み上げてきたものが、一瞬で消える今日みたいな日は、どうしたらいいかわからなくなる。

「でも、楽しそうだったわよ」
「え?」
「楽しそうだった。あなたのロミオを見ている、あなたの話をしているチカは。周りの人間は戸惑っていたかもしれないけれど」

客席から、じっとこちらを見つめる二千翔の顔がよぎった。さっきのリハーサルのときの記憶だ。

「チカは、ショーンがいなくなった時間に進んでいる私たちと違って、まだショーンがいる時間と、いなくなった時間の間にいるけれど。チカがあなたが踊っているのを見て、楽しそうにしているならいいか、って思ったの。ごめんなさい、無責任ね」
「いえ」
「ああ、もうすぐ出番ねロミオ。引き留めて悪かったわ。ジュリエットを迎えに行って」

アレイシャに促されて舞台袖に進む。
今日の相手役のジュリエットには、さっき謝っておいた。森潮音が死んでいることを、今日の二千翔の耳には入れたくなかった俺のエゴで、本番前に嫌な思いをさせたから。

アレイシャの言葉が頭の中にある。

本当だろうか。
二千翔、本当に?
俺の踊りを見て楽しいと思ってくれている?
踊っている俺をちょっとは好きでいてくれる?
潮音にはかなわなくても。

なら、それでいいか。

潮音が生きている時間が第一幕だとしてさ、潮音が死んだ後も続くのが第二幕なら、ここ数年の俺たちは、幕間の休憩時間で足踏みをしているみたいだ。
そんなことを思ったら、ふっと息が漏れた。自分はどうやら笑っているみたいだ。

「俺には二千翔がいればいいんだよ」
と口に出して言ってみる。
そのためにいる場所が、他の人間たちがいる時間と違っても、舞台では第二幕が始まってしまっていても、それに乗り遅れても、それでもいい。そう決めよう。
いつか、二千翔が先に進んでもいいと本当に思えるその日まで、同じ時間の中にいよう。

プロコフィエフの、不協和音スレスレのアダージョが始まる。もう出番だ。

二千翔、観ていてくれている?
いつか、潮音よりも上手く踊れたら、幕間の時間から抜け出してくれるだろうか。
その日まで、踊っているしかないのだろう。

俺は、二千翔が観ていることを確信しながら、音に乗って、舞台のライトの中へと踊り出た。

#noteBL

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