たとえば猫がいる。
猫がいる暮らし、というのは猫ごとの性格があるにしても、往々にして可愛らしいレースのカーテンなんかかけられない。かけたカーテンも下の方が床についていると、そこでおしっこをされたり毛玉を吐かれたりして結局どうしようもなくなるから、カーテンの長さを床に触れないくらいの位置の長さにしたりする。
あるいはおしっこをされたり、毛玉を吐かれたりすること自体を覚悟と共に諦めて、その異臭と、もしかすると集まってしまうかもしれないコバエの対処と共に暮らす。
年老いていく、移り変わる彼らの体調と暮らす。
「いつのまにか部屋の隅にしていた粗相にうっかり気が付かなかったことにより腐ってしまった挙句、けれどもたまたまその場所に当たっていた直射日光が殺菌をしてくれて結果的に問題のなくなった、ただしその代わりにすっかり変色してささくれ立ってしまった」フローリングの床が、闘病の果てに死んだ猫を弔ったあとに取り残される。
生きるって、
暮らすって、
生活をするって、
そういう糞尿にまみれて、時には片付けようとして、時には片付ける気力が間に合わなくて放置して、その放置した分の帳尻合わせも自分がやっちまったことだから仕方ねえなって、引き受けていくことだ。
少なくとも僕にとっては。
生き物同士が暮らすことは、そもそも迷惑をかけあうことだとは思うけれど、人間対他の動物とでは、あまりにも彼らのほうが分が悪い。
僕は猫を、六猫見送った。分の悪い生活を六匹の猫それぞれにさせて、その骨を抱えて、二度引越しをした。
骨を引っ越し業者に任せることがどうしてもできなくて、骨壺をどうにかすべて自分の手で運ぶことを考えた結果、出勤のたびに骨を持って職場に行き、一時的に職場にある僕の個人的なスペースに保管させてもらって、引っ越してから仕事終わりにまた順番に新居へと運んだ。
だから僕の会社では一時的に僕の猫たちの骨が並んでいた時期がある。
猫は全員が違う理由で死んだ。
脳溢血を起こして高いところから崩れ落ちる瞬間を目撃した。手術に耐えられずに死ぬ可能性が高いから立ち会うようにと言われて、胃ろうの手術に立ち会った。胃ろうチューブへの給餌を行い、酸素ボンベの交換をした。何度目かの通院の途中、病院に着いた途端に抱えたまま猫は死んだ。死んだのと同じタイミングで酸素ボンベも切れていて、なんで酸素ボンベが切れたんだと医師から叫ばれた。誤診によって処方されていることを知らずに投薬した。出勤前に飲ませた薬を吐き出した猫と大喧嘩をした。その日帰ってきたときには猫は死んでいた。看取ったのは家族で僕は間に合わなかった。大喧嘩が最後になった。正月元旦に容体が急変した猫を連れて高度救命医療センターへ行った。緊急手術の間ずっと病院で待っていた。朝から夕方まで飲まず食わずでいたことには家に帰ってから気づいた。払えない額の治療費で、支払い能力があると判断された家族がローンを組んでくれた。腫瘍は手術で取り切れずにいずれ元のサイズに戻ると言われた。抗がん剤治療は効果がなくて予告された通り切除した腫瘍は元に戻った。そして猫は死んだ。身体に良いと言われたマッサージをした。マッサージをした直後に猫は死んだ。毎日通院するように言われて、出勤前と帰宅後に病院まで行った。自宅での補液のために皮下注射を教わって毎日やった。その猫も僕が帰れない日を見計らうようにして死んだ。最後の猫は二十歳だった。
必要な措置も闘病の過程もどの猫もすべて違った。そういうことのいちいちに対処した。それは全て対処でしかなかった。未然に防げたことは一つもなかったし、いつでも手遅れなことをしている感触があった。
闘病生活は常に健康な猫の暮らしと同時進行していた。猫たちにしてあげられることは、常にあまりにも少ない。病院は三度変えた。
こちらが至らなかったことばかり記憶に焼き付いている。
かと思えば、死ぬ前の日に人間がするハグのように首に腕を回して抱き着かれたことだとか、すっかり軽くなった体をブランケットにくるんで、クリスマスツリーと正月飾りが同居する商店街を歩いて病院に向かって、帰り道に門松が作られていく様子を一緒に眺めたとか、そんな記憶もある。
きっといつか振り返ったときに後悔をすることになりそうだとわかっていて抜いた手もある。その時のそれが精いっぱいであることを、誰が知らなくても自分が知っていればそれでいい、そういう人間と付き合うことになったんだと猫のほうでも思ってくれと言って、反論のしようもない猫にも責任をかぶせた。
最後の猫が死ぬ前の晩、僕はその猫を膝に抱えたまま、他人に勧められたソーシャルゲームのアカウントを作っていた。いつ死んでもおかしくないような状態で、これでこの子が明日死んだら、このゲームはもうやらないかもしれないなとその時過った言葉通り、そのゲームは作ったばかりのアカウントを削除することになった。
今はどの猫も皆、同じ墓所にいる。最後の猫の一周忌の日に、僕が働いている場所から毎日見える供養塔に納めた。納骨式にはお坊さんが三人出てくれて、びっくりするほど立派な納骨式になった。
猫との暮らしはままならないことばかりだった。
自分以外の、理の違う生き物と暮らすというのは、彼らを、彼ら自身の命を懸けたトライアンドエラーに付き合わせることだった。言い訳のしようもないくらい業が深い。
今、僕のところには猫がいない。
それでもまだ僕は、いつか猫と暮らしたいと思っている。
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