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「責任は夢の中から始まる」‘In Dreams Begin the Responsibilities’
悪意ない雑談と消えた30kgのコメ
3月上旬までの数週間をジャカルタで過ごした。ちょうどCOVID-19がインドネシアに上陸した頃。最寄りのスーパーでは、コメ類など一部商品が買い溜めの影響で品薄になり出していた。
「最寄りのスーパーに行ったらコメがほとんどなかったよ」と現地の仕事関係の知人に軽い気持ちでその話をしたら、その翌日に別の店舗で買い溜めした旨を報告された。スーパーではコメは1人1個の購入制限が設けられていたようだが、彼は配偶者とドライバーも動員して2周し、占めて6袋30kgを確保することに成功したらしい。
彼を非難する意図は毛頭ない。ただ一方で、僕が持ちかけたちょっとした雑談の結果として、店頭から30kgのコメが消えたことは確かで、その因果関係をつくってしまったことに少しもやもやしている。ただ事実を伝えたとしても、過剰な買い溜めによって店頭の商品が品薄になってしまうという事象に、僕は微力ながらしっかりと加担したことになる。(Butterfly Effect的とも言えるかもしれない)
赤木俊夫さんのこと
モリカケ問題の文書改竄に関わり自殺された、近畿財務局元職員の赤木俊夫さんの手記が先頃公表された。手記を含む限られた情報から推し量るに、公務員としての高い矜持を持つ、とても誠実な方だったように思う。故に彼は文書改竄を是とせず局内で相当抵抗したようだが、それでも最終的には改竄に従事せざるを得なくなった。
事件後、同僚の方々が赤木さんとの関わり合いを避けて、少しずつ距離を置くようになっていった、という話を最近聞いた。事件の本筋とは関係ないその話が気にかかっている。きっとそれは、自分が件の同僚だった時に同様の振る舞いをしないか、全く自信がないからだろう。同僚の方々に、特段の悪意があったと僕は思わない。ただ、そうした個々人のアクションの積み重ねは、赤木さんの目に映る近畿財務局というシステムの相貌を更に少しだけ変えていたかもしれない。
残酷さの回避
国も文化も信教も違う人間の連帯って基本ほぼ無理だし、「宇宙船地球号」的な大きな物語なんて存在しない。アメリカの哲学者リチャード・ローティの著書「偶然性・アイロニー・連帯」をものすごく噛み砕くとこんな内容だと僕は理解している(間違ってたらごめんなさい)。
その上で、それでもどうにか人類が連帯できるポイントは「残酷さ/苦痛の回避」ではないだろうか、と彼は主張する。曰く、人間が成し得る最悪のことは残酷さであり、逆に言えば「そんなことしちゃうのは残酷だ」という最小公分母的な意識/感覚をより広範に拡張できれば、最低限の連帯が達成される、というわけだ。
もっとポジティヴな連帯はできないものか、と思う向きもあるだろうが、ローティは多分そこまでは人間を信じていない(と僕は勝手に感じている)。
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例えばパンデミックは、①個人の行動次第で不特定多数に影響を及ぼし得る、②所与の条件に思える社会システムは意外と脆い、といったことを我々に突き付ける。個人が個人であると同時にシステム(の一部)であるという感覚の拡張と、より個人的にならざるをえない状況故に内側へ向かう意識。この両者の拮抗が平時より一層浮き彫りになっているのではないだろうか。
あるいは、ウイルスなんか引き合いに出さずとも、誰もが赤木さんの同僚たり得るならば、ローティの話は十分にアクチュアルだ。さらに大袈裟に付言すれば、アイヒマンにならないためには、それなりにしっかりした踏ん張りが必要なんだろう。
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In Dreams Begin the Responsibilities
「責任は夢の中から始まる」
詩人ウィリアム・B・イェーツの言葉だ。
高校生の時は心底意味が分からなかったこの言葉が、最近ほんの少しだけ、腑に落ちるようになってきた。