枝豆を食べに行く。その2
今日は天気が悪い。日焼け止めが面倒という理由がこじつけられない。5月らしい気温だから熱中症もこじつけられない。しかたない、ウォーキングに行くか・・・。歩くだけで体脂肪が減り、筋肉量が上がり、姿勢も良くなると謳われるスニーカーを夫から買ってもらっていた。立つと妙にぐらつく設定になっている靴底のその靴はショッキングピンクだ。鬱々とした気分を払拭しやる気の向上を狙って無理して選んだ色は、元々の私の好みではなく、結果やる気を削ぐことになっていた。
道路にこびりついたガムや犬の糞に気を付けながら郵便局の脇を抜けていく。側溝から生臭い匂いがする。畑と小学校を過ぎると住宅エリアで、小さな平屋建てアパートの前を通り過ぎるとその先はコンビニだ。今日はなんだかアイスを食べる気もしない。またモヤモヤと昔のイヤだったことが頭に勝手に巡る。寝る前だけじゃなく、日中にもこの状態になる時は症状が重い。
3年前に約2年の闘病の末、食道癌で母を亡くした。その4か月後に父にすい臓癌が見つかり、4か月後に亡くなった。実家には両親の飼い犬さくらだけが残った。一部の犬仲間にも協力してもらって、さくらは実家でひとり暮らしをさせた。老犬を今更別の環境に住まわせたくないなんていうのは偽善で、実家が実家である事を存続させたい、実家を終わらせたくない私の完全なエゴだった。そのさくらも、翌年には癌で亡くなった。
空になった実家と自宅を行き来する生活になった。フルタイムで働きながら自宅と実家の掃除や庭の手入れをしていた。両親の闘病の時と変わりない生活なのに、やりがいも希望も報いもない。心が癒えてないまま、肉体的にも無理が続いた。両親の闘病で有給休暇は使い果たしていた。介護休暇だけでは万全ではない。自分の為に使える有給休暇はもうない。心身共に限界を迎えている時の「休めない。」は本当に辛かった。会社では仕事をせずに倉庫で泣くことが多くなった。仕事が唯一のアイデンティティだった私が。仕事をさぼる人達を糾弾する側だった私が。「席を外す時は事前に声をかけるように。」上司ではない、ただの同期に言われた時、私は傷病休暇は避けられないのだと思った。
コンビニを過ぎると、大通りに出る。車通りが増え、忙しない雰囲気が堪える。大きなアイスクリーム工場と大きなラスク工場が近い。甘い物は好物なのに漂ってくるそれぞれの甘い匂いすら、わずらわしく私を楽な気分に戻してはくれない。平日の昼間なのにパチンコ屋さんの駐車場は車でいっぱいだ。いったい何をしている人達なんだ。あぁ、そうか。私みたいな人達なのかもしれない。
久しぶりの友達からの電話で辛かった近況を話すと、「なんかタイミング悪い時に連絡してゴメン。」と言われて電話を切った後、衝動的にアドレスから彼女の番号を消してしまった。「どっか遊びに行こうよ。ヒマでしょ?最近親友に子供が生まれて遊んでくれないからさ。」って。彼女の番号も消した。「でも、働いてる人が絶対に一番エライじゃん?」「仕事なんて辞めたら毎日毎日何していいかわかんない!」皆、私がさぼっていると思っているようだ。時々、傷病休暇の私の様子を伺う電話をくれる同僚達は、会社の愚痴を言ったり、旦那さんの悪口を言ったり、子育てのままならなさを語った後にだいたい先のような事を言った。
心ってなんだろう。本人にも見えないものが、傷ついて痛い。心の痛みには重症度や全治日数も怪我のようには出ない。包帯を巻いているわけでも、足を引きづっているわけでもない。「痛い、痛い。」と顔をしかめたりもしない。目に見えなもの、数字で表せないもの、期限が決められないものに、たぶん人はイライラする。
何度かの長期病気休暇を取得した。いつか治ると信じてねばった。何人かの上司も励ましてくれた。会社にも夫にも、激減した友達にもものすごく迷惑をかけた。でも、どうしてもダメだった。これ以上、迷惑をかけるわけにはいかない。そして20年務めた会社を辞める事も、夫以外に相談もしなかった。悩みも話さなかった。こうして私は会社を辞めた。
~つづく~
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