枝豆を食べに行く。最終話
「坂崎さん!あれはなんですか?!どういうことですか?!」翌朝、我慢出来ずに8時には坂崎さんの縁側に駆け込んだ。「あぁ、綾子さん。会えたんですね?」坂崎さんは事もなげに言った。「数年前、私もあそこで妻に会いました。毎年蓮の花は見に行っていたんですが、ある年ふと会えたんです。逢魔が時っていうんですかねぇ。残された人が平常に戻っていく度合にタイミングがあるようです。綾子さんはそろそろかとね。」そして、こうも言った。「綾子さん、これはこの間のお礼とも言えるかな。私は家に戻ります。ここももう畳みますよ。」
お礼とは、以前おせっかいを焼いて坂崎さんと娘の千夏さんを引き合わせた会合のことだ。始め、千夏さんは「誰なんですが、あなたは!なんなんですか!」とお怒りで、なんとか坂崎さんと知り合ったいきさつや、お猿さんのハンカチのことを話し、なんとか仲直りに繋げたいと頑張ってみた昼食会のことだ。千夏さんは私達のいきさつについては理解したものの、到底急な仲直りに納得する訳もなく、無言で蕎麦だけを平らげて先に帰ってしまった。なんとか彼女のメールアドレスだけは教えてもらい、その後は事あるごとに坂崎さんの千夏さんへの思い、両親を亡くした私の後悔、千夏さんの結婚後に父親と同居したかった事への理解を綴ってはメールを送っていたが、返事は一度もなかったのだ。坂崎さんは「『綾子さんには負けたよ。』と千夏は言っていましたよ。何を言ったんですか?」となぜか笑っていた。
平屋建てアパートを退去して自宅に戻った坂崎さんから、なんと画像付きのメールが届いた。あの坂崎さんが画像付き!タイトルは「枝豆が鈴なりです。」文面は「綾こさん、た食べべらしやい。」相変わらず難解だ。画像には千夏さんの手に握られた鈴なりの枝豆の束。肝心の坂崎さんは顔の端しか写っていない。慣れない自撮りは失敗だ。それでも、写真の片隅にかろうじて写った坂崎さんのしわくちゃの口角は優しそうに上がっている。夏の光が眩しく写り込んでいた。
おせっかいのついでだが、千夏さんに合コンを計画中だ。勤めていた会社の後輩男子達を集めようと思っている。田舎に関わらず、まだまだ婿に入ってくれる男性は少ない。でも勤めていた会社には他県から来ていて、この土地に骨を埋めるつもりの独身の次男、三男がたくさんいる。本人達次第だが、舅と同居が平気という人も中にはいるだろう。時代錯誤なおせっかいなのかもしれない。でも、本人達が結婚を望んでいるのなら出来る橋渡しはしてみたいと思った。また坂崎さんと千夏さんがケンカになっちゃうかな?その時はまた、私が間に入って一緒に蕎麦でも手繰ればいい。
あのお猿さんのハンカチは千夏さんに習って坂崎さん自らが補綴を試みたものの、老眼と震える指先がもどかしい千夏さんが「あぁ、もう貸して!」と結局千夏さんが補綴したらしい。坂崎さんはそれを嬉しそうにも悲しそうにも伝えて来た。
今日は坂崎さんの家に枝豆を食べに行く。いつものウォーキングコースを行くと、あの小さな縁側の平屋建てアパートがある。庭の小さな畑はきれいに片付けられ整地されていた。建て物もからっぽだ。少しだけ寂しくて胸が痛い。その先のいつものコンビニで、ガリガリ君3本と缶ビールの6本セットをひとつ買った。リュックに詰めてクロスバイクにまたがる。早く行かないとガリガリ君が溶けてしまう。
8月の末は夕暮れになっても、まだまだ暑い。枝豆とビールは最高に旨い事だろう。夏は本当に大嫌いだが、今日という夏の一日を今、愛おしく思う。暮れるのが遅い晩夏の太陽は、私達の夕涼みの時間を確保するかのように、更にゆっくりとゆっくりと傾いていた。
~おわり~
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