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枝豆を食べに行く。その7

 やっぱり来るべきではなかったのだ。市立ホールに来ていた。何度かの縁側訪問を経た頃、坂崎さんが趣味の短歌の会で出品した市民文学賞の短歌部門で受賞し、受賞記念講演会に誘われたのだ。坂崎さんの短歌の受賞記念講演は短歌だけではなく、俳句、小説、児童小説などの部門のそれぞれの受賞者の記念講演だった。坂崎さんの出番は最後から2番目なので、何人もの受賞者の講演を聞くことになった。
 児童小説部門の受賞者は女子高生だ。彼女は受賞した喜びや作品の背景、学校での生活や楽しみにしていること。将来の夢や希望を語りキラキラと眩しかった。若い子だけではない。短歌と俳句は老後の楽しみであるらしく、いくつもの同好会の人達が会場に来ていて皆さんイキイキとしていた。俳句の部の受賞者は80代のおばあさんで、しっとりとした訪問着姿にお祝いに駆け付けたお仲間からの花束を抱いて誇らしさに頬を染めて壇上に立っていた。もうその辺りからみるみる気落ちがしていて坂崎さんの番の頃にはどんよりと沈む心をどうにもしがたかった。しかし、この会に行くと坂崎さんに言ってあるので彼の講演を聞かないことには後日感想が言えない。もう少しだから耐えろと心を叱咤した。
 坂崎さんはさすが元教師。堂々として揺るぎなく流暢だった。そして余裕なのか、時々こちらを見て笑っているように見えた。
 坂崎さんの講演を耐え抜いて、最後の方の講演を遠慮して挨拶もしないですっ飛んで車に乗り込んだ。狭い独りの空間で深呼吸をすると、少しだけ気分は楽になった。でも、次から次へと先程のキラキラした光景やキラキラした発言が頭に浮かんで来る。涙をこぼしながら車を発進させると、加速しながらひとり大声で歌って泣いた。THE BLUE HEARTSの「青空」の「こんななずじゃなかっただろ♪」を大声で。やり切れない気持ちで、言葉に体重が乗る。どうあがいても胸の中でじっくり回転しながら絡まる、黒い塊を吐き出したかった。歌詞の世界観は今の私の状況と全く違う。関係ない。でも、「こんなはずじゃなかった」のと「出来れば僕の憂鬱を打倒して」欲しいのだ、今。
 女子高生が弾けるようにイキイキとしているのは分かる。辛かったのはそれ以外の大多数であるご老人方が本当にイキイキと誇らしく楽しそうにしていたことだ。彼らの半分程度の歳の私が、絞り出しても逆さに振ってもやりたい事のひとつも、やる気のひと握りもなく、地底深くのミイラのようにカラカラに干からびて誰にも発見されない孤独な日々をただ無為に過ごしているのに。生きていれば両親も皆さんと同じようにイキイキと楽しそうであったかもしれないのに。ふたつのその悲しみやら妬ましさやらは、胸で黒く黒くトグロを巻いた挙句、縄のように固くねじれて私の喉や胸を絞めてくる。ただただ涙が出て苦しくて仕方がなかった。

 久々のウォーキングの足取りは重かった。坂崎さんの短歌の受賞記念講演以来、何日か歩くのを休んでしまっていた。あの日の心の痛みで鬱々としていたのもあるし、何より坂崎さんの家の前を通るのがイヤだった。別にルートを変えたって良いのに。そこまでして歩く程、やはりウォーキングは好きではない。トボトボと歩きながら、考えるのは”生き甲斐”みたいなことだ。そもそも、生き甲斐どころか生きる意味が分からないでいる。鬱々としている今は、そもそも私は生きていていいのかとか。私が生きる価値は?何にも頑張れない。かつてのように、回りを下に見てまで仕事が出来てますとアピールしたり、習い事をいくつも頑張ってそれぞれの先生からの”覚えめでたき”を目指したり。古風なまでにひとりで家事を取り仕切ったり。トゲトゲピリピリしていて、今となっては反省も多いあの頃に戻りたい訳ではない。でも、生きる意味を誰かに問いたい程何も持ってない今はやはり辛かった。

 「綾子さん!久しぶりですね。」気が付いたら、坂崎さんの家を通り越すところだった。坂崎さんはサンダルをひっかけて、追いかけてきてくれていた。「まぁまぁ、縁側で麦茶でも召し上がって。」久しぶりに坂崎さんちの小さな縁側に座る。色あせてガサガサの縁側は日にさらされていてちょっと熱かった。コップに麦茶をふたつ持って坂崎さんが戻って来た。「綾子さん、だいぶ暗い顔をしていました。この間の講演会、刺激が強かったですか?」私はこの間感じた、誰もがイキイキしていたこと。両親についてのこと。自分の今の有様についてやんわりと話した。あまりはっきりと話すと、正直死に魅了されいるような事を言ってしまいそうだった。すると坂崎さんは、う~んとちょっと考えて「綾子さん、人に限らず生き物は『生まれたら死ぬまで生きる』んです。ただそれだけです。そこらの虫や猫だって犬だって、生き甲斐とか生きる意味を考えていますか?余計なことを考えてしまうのは人間だけです。」麦茶をひと口飲むと、坂崎さんは更に続けた。「誰かに褒められなくたっていい。誰かと比べなくたっていい。ただ生きる。余力があったら楽しめばいい。楽しめるかどうかは自分次第です。」そう言って坂崎さんは笑った。なんだか、やんわりと言わなくても坂崎さんにはお見通しだったような返答だった。「でも、坂崎さん。短歌で市民文学賞取ったじゃないですか。そういう人が言うのは、なんだか・・・。」私はちょっと不満げに言った。「私には余力があるんです。それに、誰かに褒められたら嬉しいじゃないですか。」そう言って坂崎さんは笑って麦茶を飲み干した。そしてちょっと、むせた。

 妙な事になっている。ひょんなことから公民館の短歌サークルに顔を出すことになった。坂崎さんの短歌の受賞記念講演に伺ったら短歌に興味があると捉えられてしまったようだ。そして、この間の縁側での私の語りから、この人にはとりあえず無理やりにでも何かやらせてみようと元教師魂に訴えたのかもしれない。あれ以来、ウォーキングの際にもメール入力の苦手な坂崎さんの解読難解なメールでも誘われるものだから仕方がない。一度顔を出して短歌のセンスがないところを披露してみれば誘ってくれた坂崎さんの顔を潰さず、おいとま出来るだろうと考えた。
 平日の日中、当然のことながら老男女のみが集っておりうっすら期待していた同年代の専業主婦の若干名すらいなかった。私に気付いた坂崎さんは軽く手を挙げて嬉しそうに近づいてきた。「綾子さん、来ましたね。」はい、来ました。「ここはね、この通りお年寄りばっかり。綾子さんの好きな匂いがするでしょう。安心するでしょう?もちろん、短歌も楽しんでね。」ちょっと恥ずかしそうに言って近くの椅子を勧めてくれた。坂崎さんは以前のスーパーでの一件をちょっと違った理解をしてしまったようだ。私は坂崎さんから亡くなった父の匂いがすると言ったのだが、坂崎さんは広く一般に年寄り特有の匂いと勘違いしてしまったようだ。
 とにかくこの部屋はおばあちゃんちのような匂いがした。しかしそれはおばあちゃんちの匂いであって実家の匂いではなかった。両親はこういう匂いがする前に亡くなってしまった。そんな事を考えていたら、涙が止まらなくなってしまった。どうすることも出来ない。色々な辛かったことがいっぺんに蘇って、拭っても拭っても涙が出てもう取り繕うことも無理だった。この間の文学賞記念公演での気分も蘇ってきた。ダメだこれは帰ろうと、泣きながら笑って手を振り手を合わせ、何とかジェスチャーのみで謝罪と帰りの挨拶を試みて部屋を出ようとした時、坂崎さんを始め何人かの老人に優しく背中を押され、ゆっくりと席に着くのを即されていた。席に着くと目の前に一斉に色んなものが色んな人から差し出された。ポケットティッシュ、ラーメン屋の割引券、猫の写真、孫の写真、飴玉、QUOカード、ハンカチ、ガム、けん玉、図書券、なぜかご自身の写真・・・。顔を上げると皆、黙って「大丈夫、分かっているよ。」とでも言いたげな優しい顔をただ向けてくれていた。それを見て益々涙が出て、仕舞いには嗚咽してしまった。両親が亡くなって何年も経つ。それなのに、初めてだったのだ。 目上の人達に無条件にただ優しくされたのが。 

 今日も今日とてウォーキングだ。体重は全く減ってない。やる気のなさが身体に伝わっているのだろう。梅雨の晴れ間にせっかくだから歩きに出た。夏は目前だ。今日も暑い。でも、こうやってちょっとの晴れ間に歩いてみようという気分にはなれるようになっていた。
 いつもの路地に入ると幾分涼しくなる。畑や田んぼに囲まれているからだ。どこもここもアスファルトやコンクリートになってしまった街は暑い。蓄熱をするので、日が落ちてからも暑い。それでも、どこかから香って来る何かの花の甘い匂い。つがいのアゲハチョウがひらひらと舞うのに着いて行く。
 ちょっと短歌に興味を持ち始めていた。歩きながら、考え事は言葉を組み合わせては、数を数えることに終始した。高校生の頃、世の中は「サラダ記念日」による短歌ブームで国語の授業でも短歌の時間が設けられた。その時作った「あなたから 電話が来ないそれだけで つまらない秋 眠そうな空」という短歌が先生から褒められて、皆の前で発表された時の嬉しさがよみがえっていた。そんな事があった事もずっと忘れていたのだ。ものすごく久しぶりの、くすぐったりような嬉しい感覚にひとりで「くふふ。」と微笑んでいた。


                    ~つづく~


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