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枝豆を食べに行く。その8

 梅雨明けの迫るある日、いつものように坂崎さんお宅の小さな縁側でおしゃべりをしていた。いよいよの夏本番を前に蒸し暑い日が増えつつあった。「そろそろでしょうかねぇ。時期的にも綾子さんのメンタル的も・・・。」坂崎さんは呟くように言った。「綾子さん、隣の県のG市に大きな池があるでしょう。もうすぐ蓮の花がたくさんで見事ですよ。」「あ、知ってます。実はまだ行ったことがなくて。そうですか、開花がそろそろですか。」と私はうなずいた。「綾子さん、見に行くには時間が大事でね。なるべく蒸し暑い、夕方ね。旦那さんも一緒がいいでしょうね。」とよく分からない条件を言った。まぁでも、夫も新しいカメラで色々撮りたいようだったから蓮の花は被写体に丁度いいだろう。

 蒸し暑い梅雨明け前の曇り。春のそれとも夏のそれでもない雲がどんよりとしていた。私と夫はG市の蓮池に来ていた。坂崎さんの言う通り、夕方に訪れた。迷路のような蓮池を巡る歩道には時々ギラギラとした夏めいた太陽が雲の切れ間から光を刺していた。想像上の極楽浄土のような、見渡す限りの蓮の花。水面はキラキラと光っていた。週末の今日。皆、思い思いに景色を楽しんでいて穏やかな夕暮れだった。天国ってこんな風なのかなと、ぼんやり想った。いや、さすがにこんなに賑わっていて老若男女楽しそうに飲んだり食べたり天国がこんなに俗世的なワケないか。

 花々や大きな葉に貯まった水滴の美しさに、スマホで写真を撮るのに夢中になっていた私は夫とはぐれてしまった。生ぬるい風が吹いている。曲がりくねった歩道の先で、夫が誰かにタコ焼きを振舞われていた。近づいてみると、私の両親だった。2年前、3年前に立て続けに亡くなった私の両親だった。1年前に亡くなった実家の犬、さくらもいた。「おぅ!あっこ!お前も食べるだろ?」私に気が付いた父が声をかけて来た。母もこちらを見ている。両親はなんと、病気になる前の福々しくふくよかな姿だった。あまりにも久しぶりに見る姿、しかも幸せそうで元気そうな様子に涙が出そうになる。亡くなる前はあんなにも食べることが好きで、何をしても痩せなかったふたりが全然食べられなくなりひどく痩せて、大きな執刀跡をいくつも作って逝ったのだ。
 それよりなにより。なぜここに現れ、まるで「先週も会いましたね。」みたいな温度感で接してくる?そして、なぜ夫は普通にタコ焼きを振舞われている?のどかで穏やかな極楽浄土のような夕暮れは正真正銘の極楽浄土と混信しているのだろうか?ここで間違いを正したり、追及したり疑問をぶつけたり泣いたりしたら両親は幻のように消えてしまう。なんとなくそんな気がした。たぶんそうに違いない。だから夫は私に会わせる前に両親が消えてしまわないよう、何食わぬ顔を装って必死にタコ焼きに喰らい付いてくれているのだ。実際夫を見れば、汗びっしょりで必死の目で何かを訴えて小刻みにうなずいてはモグモグしている。両親に私を引き合わす大役を果たした夫は、口いっぱいのタコ焼きを目を白黒させて飲み込むと、足元のさくらを抱きしめて微動だにしなくなった。夫はさくらが大好きだったのだ。さくらも嬉しそうに、それはそれはしっぽをばふばふ振っていた。

 本当に他愛のない、当たり障りのない話をした。NGワードが分からない。何を言ったら両親達が消えてしまうのか。和やかを装っていたが、夫も私も頭の中はギュンギュンに高速回転だった。聞きたかった事も、言いたかった事もあんなにもあったのに。頭はギュンギュンに回っているのに。今はひとつも思い出せなくて。それでもいいと思った。こんな感じでいいのだと思った。こんな感じがいいのだと思った。
 「写真一緒に撮ろうよ。」程なくして私は思い切って言ってみた。声は上ずって震える。「いいね!撮ろう、撮ろう!」母が優しく私の腕を取り、父は私の肩に腕を回した。私を真ん中に皆でポーズを取る。夫が震える指でシャッターを切った。

 「そろそろ行くか、母さん。」父がそういうと、さくらのリードを取った。「じゃあ、また来週。」みたいなノリで両親とさくらは去っていく。遠く、蓮の花と靄に囲まれた母が振り返った。「綾子!アガパンサス咲いた?」「咲いたよ!きれいだよ!」と私は叫んだが、嘘だった。実家の庭のアガパンサスのことなんて、ここ数年全く知らない。さくらを一緒に世話した人達には今でも本当に感謝している。でも、何にもしてくれないし、慰めてもくれなかった近所の人達とは心の距離を感じたままだ。でも、今はそんな人達もいずれは皆、両親のように死んでいく。その人達は、傷ついている人に自分の正義のみを押し付けるような人間のまま死んでいく。私もいずれ死ぬ。その時、今でも悲しくなる、あの人達のようにはならないで人生を終わりたいと思う。そう思えるようになっただけ私はようやく少し元気になれた。両親の死を経て、実家を失くして。深い悲しみと傷つきを経て私が得たものは、意外と何という事のない、普通の事だった。私は凡庸で稚拙だった。普通でいい。傷ついた分、優しくなろう。強くなろう。遠回りしたって構わない。自分に恥ずかしない自分であればいい。人は人。勝手にすればいい。

 私はたぶん、優しくしてくれるはずだと思っていた人達こそが冷たかった事にずっと苦しんで来たのだ。近い人にこそ、理想を押し付けてしまう。でも、相手からすれば近い人にこそ遠慮がないだけなのだ。ただ、明らかに深く傷ついている時は慎重であって欲しかったとは思う。

 両親の闘病の際、優しくしてくれた人達の事を思い出した。傷病休暇明け、久しぶりに出勤した不安でいっぱいの私を駐車場で待っていてくれた同僚の事。医者からの暴言を許せずに「ひと言言ってやる!」と病院に乗り込んでくれた介護ヘルパーさんの事。通院ヘルパーの車を強奪して姿を消したせん妄の父を一緒に探してくれたケアマネージャーの事。姿を消した父を保護して精神科に繋いでくれた、病院の警備員さんの「ウチの母は認知症。同病相憐れむ。お互い頑張りましょう。」という言葉。通院ヘルパーからは契約を打ち切られても、最後まで仕事を全うしてくれ「大変だったね。」と抱き留めてくれた介護ヘルパーさんの事。「お父さん、好きだったでしょ?」と上司が渡してくれたエルビス・プレスリーの数枚のCD。毎年命日に達筆な手紙とお供え物を送り続けてくれた父の友人。悪夢で叫んで目が覚めた時、「今度悪夢を見たら俺を呼んで。助けに行くから。」と寝ぼけたまま言ってくれた夫の事。忘れていた訳ではない。なのに、繰り返し思い出すのは辛い事、恨めしい事ばかりだった。今、初めて優しくされた事、嬉しかった事が嫌だった、辛かった思い出達を力強く凌駕していく。まるでアニメで正義の味方の可愛い女の子が変身する時みたいに、めくるめくキラキラとカラフルな光で、心身を縛り付けていた黒く重く固く絞め込んでいた縄が解れて空に消えていくのを感じた。軽い、体がとても軽かった。頭がすっきりして叫び出したくなった。

 蓮池を出て、急いでカメラの画像をチェックした。緊張して、でも嬉しそうで泣きそうな笑顔の私の両脇にはただ沢山の蓮の花だけが写っていた。


                    ~つづく~


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