さくらはひとり暮らし
さくらはひとり暮らしをしていた。ちょっとした豪邸の庭には代わる代わる丁寧にさくらの世話をしてくれる人達が訪れる。自分の飼い主よりもずいぶんに親切だ。爪はきれいに切りそろえられて、いい感じにトリミングされ、シャンプーもブラッシングも丁寧に頻繁にしてもらって。ふわふわのツヤツヤだ。まるでお姫様みたいなんだけど、とっても皆に愛されているんだけど、いつも変な顔をして大人しい悲しきお姫様だ。
申し遅れたが、さくらはゴールデンリトリバーの女の子だ。13歳。犬の”13歳。”を”女の子”というのはいかがかな?でも、いつまでも皆の小さな女の子だ。
さくらの従者達。
従者1組:小型犬を2匹飼っていらっしゃるご夫婦。過去に同じゴールデ
ンリトリバーを亡くし世話をしたいと買って出てくれたご夫婦。
従者2組:
よく公園で一緒になり、自分の飼い犬より愛嬌のあるとさくらを 可愛がってくれていたご夫婦。黒いラブラドールを飼っていらっしゃる。
従者3組:向かいのアパートの若夫婦。
そして、飼い主の娘夫婦の私達。
両親の飼い犬遍歴は新婚時代、なかなか子供が出来ない寂しさを埋めてくれたマルチーズが始め。結婚7年目にして生まれたのが私。
2匹目は、妹が生まれたのをきっかけに一軒家に引っ越して念願の大型犬を飼った。コリーのメス。ラスカル。当時大人気だったアニメのアライグマから名前を取った。
3匹目は両親が品評会の優秀成績犬という、美しくていじわるなコリーのメス。そのリリーが亡くなった後は、大の犬好きだった父も「もう亡くなってしまうのが辛いから犬は飼わない。」と、長らく我が家に犬はいなかった。ただ、妹がどこかから拾ってきてしまった猫を押し付けられて実家で飼っていた。
父は長い事、鬱だったと思う。田舎だから。そういう時代だったから。母が根性至上主義者だったから。母も、本人すらも鬱を認めたくないような節があった。
長く犬の居なかった我が家に、急展開があった。
母はいつまでもいつまでも隙あらば会社を休んで昼日中布団に潜り込む父に業を煮 やしていて、治ると聞けば神棚まで買ってくる状態にあった。医者に連れて行こうという私の言葉なんか、聞かない。聞いたことがない。
そんな中、犬を飼うとかなりの癒しになるし何かの世話をすることで自己肯定感や安定感が出ると、またどこかから母が聞きかじってきたのだ。どうしても医者には連れて行きたくないのだ。
先に父に話してしまうと、拒否されてしまうので父以外の家族で犬を迎えるプロジェクトは静かに秘密裏に進行した。
ブリーダーさんちの、何匹ものムクムクのコロコロ達に一匹づつ赤ちゃん言葉で話しかけながら、全員で相好を崩し家に来てくれる子を探した。父は喜ぶだろうか。元気になってくれるだろうか。
家族全員で父に子犬を引き合わせた。サプラ~イズ♪
父の反応はと言えば、とても困った顔をしていた。言葉を失っていた。喜んではいなかったと思う。でも、元来の犬好きでとてもとても可愛い子犬を前におずおずと手を差し伸べた。そして、往年の兄貴肌を発揮して「こうなったら仕方がねーな。」と腹を決めたようだった。
タイトル写真は子犬が初めて我が家に来た時の様子だ。大勢のムクムク達や母犬と離れたことで、とても不安がりクンクン鳴いては狭い所、暗い所に入りたがった。遂には私のジャケットの中で疲れ果てて眠ってしまったのだった。
名前は「さくら」にした。9月生まれで桜とは関りがないのだが、先住の猫の名前が「虎次郎」だったのだ。虎次郎の妹は「さくら」と決まっている。私の命名に家族は賛同した。ゴールデンリトリバーだ。どうしてゴールデンリトリバーになったかの経緯はそういえば知らない。
小さくて寂しいさくらは慣れるまでしばらくは玄関内の隅に小さな段ボールを置いてそこで暮らした。小さくキャンと鳴けば、家族が玄関に集まり、小さなウンチをすれば大騒ぎをし、短い足がこんがらがりコテっと転んでも大騒ぎだ。もう皆、玄関に住めばよかった。天真爛漫な四女、爆誕。
父は嬉々としてお気に入りテンガロンハットをかぶってはさくらと散歩に行く。近くの古墳の公園に行く。表情も明るくなっていった。家族といるよりも、誰といるよりもさくらといて、さくらに一番心を開いているように感じた。それでいいと思った。神棚を買っても、母が罵詈雑言を浴びせても、内科を受診しては無理に鬱に効く薬をねだったりしても治らなかった父の鬱症状は少しづつ軽くなっていった。程なくして、生涯大嫌いだった会社員人生をなんとかかんとか定年になり肩書への喪失感はともかく、随分と気が楽にはなったようだった。
それぞれ独立して家を出た娘達も、度々さくらに会いたくて帰って来た。さくらは遅れて来た四女として、家族全員の凸凹を優しく埋めてくれ、ひとつにしてくれたと思う。
ちょっとおバカさんなところがあるさくらは有り余る愛嬌で、家族以外の人達も幸せにしていく。実家の柵から通りに顔を出しては道行く人達に愛想を振りまき、ファンの多い子だった。さくらに会いに来るのが日課のおばあちゃんだったり、中には大人しくてクールな自分の飼い犬よりも、さくらが可愛いと言い出す人まで居た。
今では大型犬でも屋内で飼う人が多いのかもしれないが、当時というか、両親は犬は外で飼うものとしていた。さくらはいつも、家族が集まるリビングの窓のすぐ外に伏せていた。家族の声を聞いて、時々立ち上がっては窓から中を覗き込んでしっぽを振る。
お父さんは元来世話好きだ。世話好きが過ぎて余計な事までやるくらい。
さくらのしつけや芸もしっかりと。”犬の訓練士並み”だ。ゴールデンリトリバーはとても水が好きな犬種なのだが、実家の池には絶対に入らないように躾けられたし、芸は極まり過ぎて近所のパン屋さんに単独で買い物に行き、その様子は地元新聞に載った。パン屋さんへのひとりでの買い物は、何度かに1度バゲットの紙袋がボロボロになってバゲットが1/3になったりした。それはないしょだ。
週末、時々夫婦で実家を訪れると夕方には時計も読めないのに、決まった時間に散歩の催促で吠え出すさくらだ。対応が遅れると、勝手に散歩グッズの手提げ袋をくわえて、門扉のところで待っている。
さくらを先頭に、リードを持った父、夫と続いて3人は散歩へ出かけた。さくらは機嫌よく、腰をふりふり、踊るような軽いステップで嬉しそうに後ろを振り返り、振り返り進む。好きな飼い主ランキング、1位と2位が一緒なのだ。父には言いづらいが、1位は夫だ。
父と夫はお揃いのキャップだ。夫と散歩に行く時は、いつものテンガロンハットではなく、このキャップをかぶる。夫も自宅からこのキャップを持って出る。言葉少なかったが、ふたりの間にはそんな絆が生まれていた。両親の旅行のおみやげのそれを揃ってかぶって散歩に行くのを見送った。かつての父と夫の間の事を思うと、この光景は本当に心に沁みた。ずっとこんな風に日々が続けばいいと思った。
衝撃の事実が発覚した。
ほぼ、生涯苦しめられたと言っていい、父の手の痒みを伴うびっしりの小さな水疱は長らく原因は分からなかった。なんと犬アレルギーだった。判明後、しばらくは手袋をしてさくらの世話をしていた父だが、「こんなものをしていたら、可愛がった気がしない!」と手袋を投げ打って、水疱とガサガサが治まらない手で、ゴシゴシとさくらを撫でていた。
ある年から、さくらは笑わなくなった。いつも、寂しそうな怒っているような顔をした。大きな声で催促しなくなったし、嬉しさを表す、あの軽いステップのような歩き方をしなくなった。しっぽも小さくしか振らない。
実家は、さくらがやって来た時のように家族の往来が増えていた。ひんぱんに娘達が帰って来る。でも、そんな時の常の、いつも誰かしらがさくらに笑顔を向け、体をなで抱き寄せていたのがなくなった。散歩の時でさえ飼い主達は深い考え事をしていたり、泣いたり、ぼーっとしていたりした。飼い主達はさくらを可愛がる余裕がなかった。
事もあろうに、遂にさくらは庭の奥の柿の木にリードで繋がれた。玄関脇に大きな小屋をあてがわれ、広い庭を好きなように過ごしていた自由を奪われた。
通夜の最中に、家族葬が理解出来なくて近所の老人が怒鳴り込んできた。
普段、玄関に飾っていた赤い打掛をしまおうと言ったら父には怒鳴られるし、葬儀屋は指摘もしてくれなかった。でも、叔父さん睨んでたからね、打掛。
通夜の最後、喪主の父はお清めを待って留まっている親戚たちを前にしどろもどろになった。隣の私に「お清めはどうしよう?」と無茶ぶりをしてきた。自宅だからお清めは用意しないって決めたじゃん。
なんかもう、いっぱいいっぱいになって柿の木の下でさくらを抱きしめる。ごわごわの長い毛に顔を埋めると、温かい優しい獣の匂いがした。さくらは何も言ってくれない。何も言ってくれないけど。
両親が亡くなった実家には遂にさくらしか居なくなった。
母が亡くなってたった8ヶ月で父が亡くなるなんて。
13歳の老犬を今更、私達の家に住ませるのは可哀想だというのは詭弁だ。エゴだ。本当は”私の実家”がなくなるのが嫌だった。元々の住人が住んでこその実家だ。実家は空だ。でも全然”実家”を諦められない。
週末、実家に行くとさくらはいつも門扉に背中をくっつけてこちらを見ずに横たわっていた。もう柵のところから道行く人に笑顔でちょっかい出したりはしない。
戻らないと分かっている誰かが帰ってくるのを猛烈に待っているように見えた。そして、なぜ帰って来ないのかを怒っているようにも見えた。そして私達を確認するとのそのそと起き上がるが、いつもなんとも言えない変な顔をしていた。「あんた達を待ってたんじゃない。」と言っているような。
散歩に行っても、昔みたいにリードを引く私達を笑顔で振り返ったりしない。足取りも重い。これが「トボトボ」か。いつもの公園に着いても、一心不乱に穴を掘るだけで散歩が終わってしまう。穴掘りは今にして思えばストレスだったのだ。
さくらは、もう父がガサガサの手で力強く撫でてくれないのはなぜなのかが分からない。ガツガツと食べるエサのボールに笑いながら、もうひと掴みのフードを足してくれる母が、もうエサを持ってこないのかも知らない。理由も分からずに大好きな人達に急に会えなくなった。理由が分かっている私達より、理由が分からないさくらの方がずっと辛いのではないだろうか。
憂いの姫の、頼もしく優秀で優しい従者達の集結だ。さくらはひとり暮らしを始める。従者達を集めてくれたのは、近所で写真館営む地域の世話役みたいな賢者だった。(おばあちゃん)
週替わりで交代し、散歩とエサやりをしてもらう事となった。私達夫婦は毎週土日に実家に泊って世話をする。裏庭にある棚に散歩グッズ、ケアグッズ、エサを入れてあり、そこに交換日記も置くことにした。
交換日記には「今日もエサをモリモリ食べました。」とか「散歩の際、○○ちゃんのお母さんにジャーキーをもらいました。」とか「いいウンチをたくさんしました。」とか、健康上の大事な点やさくらのご機嫌などの情報を書いて共有した。
ある時、「体にシコリをあります。受診した方がいいかも。」と書かれていて、すぐに動物病院に診てもらった。さくらは癌だった。
空になっても埃は貯まる。池は濁る。雑草は生える。むしろ勢いよく。実家の手入れは自宅よりもキツイ。張り切ってこんな豪邸建てやがって。
両親が亡くなると、庭には膝丈以上に雑草が伸び、庭木にはそれぞれの種類の害虫がびっしり。池には長い藻がたゆたった。どれも初めて見る様子。なんだこれ?見たことないんだけど。私、舐められてんの?
近所から、色々苦言を言われながら(害虫がこっちに移る、空き巣に狙われる等々)池のそうじをする。滑って尻もちをついて、頭もぶつける。ぶわっと目と心から何か湧く。何もかもイヤだ。さくらがそっと側に座る。ダメじゃん、池に入っちゃ。さくら、死なないよね?
実家の片付けは牛歩の速度で続く。両親が長年かけて集めた大事にしていた調度品や家具は全部合わせても3,000円だと引き取り業者は言う。乗って来たトラックになるべく沢山乗せる為に、鏡台やコーヒーテーブルが巨大ハンマーでぶち壊されて行く。さくらが居なくなったら、たぶん実家を手放す。そうしたくなくても、さくらまで居なくなったらもう、存続の理由がない。
そして、さくらは両親と同じ癌だ。14歳の老犬のさくら。これってフラグが立ってる?どこだ、フラグ。へし折ってやる。
母の癌も父の癌もさくらは理解してはいない。闘病も死さえもちゃんと理解はしていない。さくらは近所からの苦言の窓口も、庭のそうじも家の片付けもしてはくれない。家事は実家だけじゃない。会社も休めない。でも、そこにさくらがいる事だけが、私がそれでも頑張る理由だ。
山田王国の城、最後の希望の姫さくら。戦況は極めて劣勢ですが、お任せてください、最後の抵抗をご覧に入れます。
さくらには手術を頑張ってもらう事に決めた。もう何度目かの通院途中、父の遺したデミオの後部座席でさくらは何かを察し、そわそわと憂う。病院に行くのがバレるようになった。楽しいおでかけなんか全然行かなくなったのに、車に乗せられる度にちょっと嬉しくなっちゃうさくら。
もう大事な家族を失うのは当分やめてもらいたい。そうは言っても手術で命を落とす事だってある。さくらの手術には立ち会えない。両親の闘病で有給休暇はもうない。ペットでは介護休暇は取れない。ペットの保険になんか、両親は入っていない。手術代、高っ!
手術の成功の連絡が仕事中にかかってきた。今夜は経過観察で入院だ。明日の仕事帰りに迎えに行くことになった。
翌日の仕事帰りにさくらを迎えに行くと、私の顔を見るなりさくらは狭い診察室内をぐるぐると駆けまわった。はふはふと嬉しそうだ。先生と私の顔を代わる代わる見上げる。そして、置いてあったエサをびっくりするくらいガツガツと食べた。
昨日の手術後から全然食べなかったそうだ。「家族の顔を見て安心したんですかねぇ。」と先生は言った。
しかし、そんなさくらは帰宅後、庭のあちこちにげぇげぇと吐いた。急に無理をするからだ。たぶん、嬉しさのアピールだったり元気のアピールでガツガツ食べてしまったのだろう。そうすれば、家に帰れると思ったのかもしれない。
初夏、さくらが急に動けなくなった。さくらが動けなくても、会社は休めない。ペットにも介護休暇を・・・介護ヘルパーを・・・。とりあえず、私だけ実家に住むことにした。毎朝、ウンチだらけのお尻の毛を洗ってからの出勤が続いた。さくら、重いねぇ。体重、私くらいある?
いつものように、夜中に玄関でさくらが鳴く。見に行くといつもの、黒く丸い目をキラキラさせて、来てくれた事を喜ぶさくらではなかった。目を細めて荒い息をしていた。苦しそうだった。
さくらは私の腕の中で死んだ。ずっしりと生きていた重みを感じた。私のジャケットの中で眠っていたさくらはこんなにも大きくなった。
独りで死なせなくて良かった。さくらはひとり暮らしだったから。初めてさくらが来た時と同じ実家の玄関には私と夫だけだ。
昨日、動物病院に連れて行ったら「今夜にも亡くなってしまう位の数値です。」と言われて帰された。待合室には伏せてしっぽをパタパタさせている、いつものさくらが居た。だから「嘘だね。」と思っていた。
1年と2か月の、さくらのひとり暮らしは終わった。
私は自分は独りで死ぬので構わないと思っている。葬式もいらない。直葬でいい。墓もいらない。でも、”愛している”って、独りで死なせたくないということだったんだと知る。
実家は売却した。辛い事があったり、夫とケンカして家を出ても私には行くところがない。考えあぐねて、仕方なく古墳の公園に行く。今でも多くの人達が犬の散歩をしている。大型犬は見かけなくなった。大勢の犬の散歩の人達を眺め、今でもさくらと両親を探してしまう。
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