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枝豆を食べに行く。その1

【あらすじ】
「私」は鬱々とした日々の中、とあるきっかけでひとりの老人と出会う。老人との出会いをきっかけに長く苦しかった喪失から、行きつ戻りつ悩みながらも立ち直っていく。ある時、老人から勧められて行った蓮池の先で見たものとは・・・。苦悩と再生の物語。


 コンビニの車止めのバーは熱々だった。寄りかかった尻に伝わる熱のせいで、せっかく涼むために買ったガリガリ君のソーダ味の旨さは半減だ。いつから日本の5月はこんなにも暑くなったのだろう。薄手だか一応長袖にして出てきたのは大失敗だ。今日もいやいやウォーキングに出かけて、開始800メートルのコンビニで早くもアイス休憩だ。せめて2キロ先のコンビニにすればいいのだが。たぶん今日もそこには到達せずに超ショートコースで帰るだろう。こんなに暑いし、日焼け止めを面倒で塗っていないし。今日もやらない理由、やれない理由ばかりをこじつける。何が健康だ、ダイエットだ。そんな事より熱中症で倒れてしまう。仕事をやめて家事もろくにしない私に、夫から与えられた唯一のミッションがウォーキングなので一応は出てきている。そうは言っても週に2~3回だ。とにかく気分が乗らない。日本の春は年々、気持ちのよい日の数を減らして行っていると思う。すぐに湿度と温度を上げて、じっとりとまとわりつくような不快な感覚を与える日ばかりが続いた挙句、そのまま35℃を越える灼熱の日々が続き、いつまでも暑い。10月や11月まで暑い日は多い。そんな訳で、好きだった季節の春は嫌いになり、元々大嫌いな夏は更なる延長。あぁ、面白くない。
 
 去年の4月。私の感覚は急に狂い出した。いつもなら春の始まりは楽しみで喜ばしいはずなのだ。夫との晴天の休日。サイクリングで泣きながら夫を追っていた。産毛をなでる風も、柔らかな光も、心ほぐれる温かさも、鳥がさえづる声も、緑萌える匂いも。世の中の楽しさや嬉しさ、気持ち良さや期待感。全ての愛すべき事象が、なぜかとても悲しくて全て私には関係のない世界と感じた。その感覚を皮切りに私はひとり、ガラスケースの中で生きているように感じるようになった。全てを冷めた目で苦々しく傍観しているというか、疎外感というか。耳にフィルターがかかっているようで、音がよく聞こえない。色々なものははっきりと見えているのに、なんだか2,3トーン暗く見えるし実感がない。体がとても重い。なんだか胸と背中の辺りが冷え冷えとする。笑うのが億劫。話すのが億劫。仕事も家事も億劫。顔を洗うのも、風呂に入るのも億劫になっていった。私は心療内科で鬱と診断されて会社を長期休暇することになった。

 眠りにつく前の真っ暗で音のしない時間。過去に起こった悲しかった事、恥ずかしかった事、頭にきた事が勝手に次々に浮かんできていつまで経っても眠れなくなった。何度も途中時計を見てはため息をつく。3時間、ひどい時は5時間。住み慣れた自宅なのに、すぐ隣に夫も居るのに、まるで独り果ても分からない異空間に出口も分からず徘徊しているようで、この右も左も上も下も分からない漆黒から手がかりの音もない空間から二度と出られないのではないかという恐怖と焦りを感じた。不安と悲しみと焦燥感で涙が出る。夫を起こさないように声を殺して泣く。横になって数秒で寝付いてしまう夫が横に居るからこそ、孤独は深かった。
 そんなに眠れないのなら、もう起きてしまって明るくした深夜のリビングで温かい物でも飲めばいい。そういう発想を思いつきもしない。視野が狭くなり頑なになる。それこそが病んでいる証拠だった。
 「そんな時は、ひとり頭の中でしりとりをするといいよ。」そう教えてくれたのは学校に行けなくて苦しんでいる、友達の息子さんだった。人生の苦しさを唯一分かち合える、小さな友達だった。ふたりして、いつかこの状況から抜け出ようともがいては名案があればこそこそと共有していた。でも、これはけっこう難しい。しりとりで思いつく言葉から、それにまつわるネガティブな思い出が想起され「○○と言えば、あの時のあれは辛かった・・・。」私の、この眠れないぐるぐるマイナス思考はとてもしぶとかったのだ。

                     ~つづく~                                      
                   

                   その2
                   その3
                   その4
                   その5
                   その6
                   その7
                   その8
                   最終話


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