枝豆を食べに行く。その5
今日もリュックにペットボトルの水を詰め、100均で買った小さな緑色のじょうろを持って家を出た。もはや強制だったウォーキングはあのアパートの小さな畑の水やりミッションに変わっていた。いつものようにペットボトルの水をじょうろに詰め替えて勝手に水やりをしていると近くに一台のタクシーが止まり老人がひとり降りた。ふと目をやるのと、相手と私が「あ!」と声を上げるのが同時だった。老人はスーパーでハンカチを渡してくれた、あの人だった。
「とりあえず、説明させてください!縁側に座らせて頂いてもいいですか?」と私は言った。松葉杖でゆっくりと玄関に進む老人の荷物を運びながら言った。何とかふたりで小さな縁側に落ち着くと、まずスーパーでのハンカチのお礼を言った。老人は坂崎さんといった。今は定年したが、元は教師をしていたそうだ。私も自己紹介をした。なんと、坂崎さんはあのスーパーでの一件の後、慌てふためいて自転車に乗り、変なタイミングでサンダルがペダルに引っかかって転倒し、しばらく入院していたのだと言う。なんだかとっても申し訳ないことをしてしまった。親切でハンカチを貸し、自慢のハンカチを笑われ、恥ずかしくてあわてて立ち去って怪我を負い、入院して大事なハンカチは戻らない。あまりにもさんざんだ。
ふと、室内のカラーボックスを利用した小さな食器棚を見ると、シチューのルーがあった。たぶん初めてスーパーで会った時に買っていたものだろう。食べたくて、でも作れなくてずっとそこにあるのではないだろうか。父もそんなふうにして食器棚にホットケーキミックスが買ってあった。妹や私が買ったものなら食器棚には入れない。そういうものは生前の母にならいパントリーに入れる。整然と積まれた皿の上に唐突にホットケーキミックスの箱があった違和感。台所に不慣れな人がやることだ。年老いた男性が独り暮らす家でこういうものを見つけると胸が締め付けられる。シチューもホットケーキも温かく明るい家族の賑わいを感じるからだ。戻らない時間や幸せは小さな箱を買うことで埋まりはしない。それでも手に取らずにいられなかったのだろうか。
「坂崎さん、お詫びと言ってはあまりにささやかなのですが、そのシチュー私が作ったらダメですか?」後日、歩くのもままならない坂崎さんに代わり、材料を買ってランチに作って一緒に食べる約束を取り付けた。
数日後、まずはしっかりと例のハンカチをうやうやしく返した後、シチューの食材以外にも色々買い込んだ私は坂崎さんの家の小さなキッチンに居た。小鍋でシチューを煮込みながら、その小鍋の上に小さな蒸籠を乗せた。カセットコンロに電子レンジもフル稼働させて何日か分の総菜を次々作っては買って来たジップロックコンテナに詰めて小さな冷蔵庫に入れていった。私は張り切っていた。本当に久しぶりに張り切っていた。なぜだか分からない。誰かの役に立ちたかった。忘れ去っていた感覚だった。
坂崎さんは恐縮していたものの、ハンカチのお礼だとなだめ、出来上がったシチューを不揃いの器にそれぞれ盛ってランチは始まった。余った野菜でささっと作ったサラダを突きながら、坂崎さんはハンカチは娘が幼稚園児の時に貯めたお年玉で父の日に買ってくれたものだと話してくれた。坂崎さんはそれ以来、大事に大事にハンカチを使ってきた。坂崎さんの妻が丁寧に洗濯をしてくれ、綻びが出来れば繕ってくれてきたがその妻はもう数年前に亡くなってしまったそうだ。娘さんとは妻の死後、彼女の婚約者が坂崎さんとの同居を断ったことが理由で彼女が勝手に破断にして以来、親子間で諍いが絶えずとうとう坂崎さんは家を出てしまったそうだ。坂崎さんはただ娘に自分の幸せだけを考えて欲しかったのだ。それがうまく伝わらなかったのだ。
私も、あのスーパーでの一件で号泣していた理由を話した。数年前に立て続けに両親を亡くした事。坂崎さんのあの日の風貌が父に似ていた事。何より、坂崎さんのヘアトニックが父と同じで、香りをかいだ瞬間に涙が勝手に出てしまった事。そして、鬱になって会社を辞めてしまった事。
その後、坂崎さんは食器を洗いながらメールアドレスの交換を申し出てくれ、ウォーキングの際には時々、縁側に寄りなさいと背中越しに言ってくれた。そういうところも父に似ていた。
~つづく~
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