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枝豆を食べに行く。その4

 今日はちょっとだけ爽やかで、ウォーキングにすんなり出かけられた。本当に珍しい日だ。今日はいつものコンビニでアイスを食べよう。でも、その代わりロングコースで河原の土手を歩こう。今日の気候なら河原は気持ちいいに違いない。そう思うと、ちょっとだけ足取りも軽い。
 それでもやはり、ひとりで歩いていると考え事はマストになってしまう。先日のスーパーでのおじいさんとの出会いから、両親の死について考えていた。初めての身近な人の死が両親の死だった。長い間、ドラマや映画で接してきた身近な人の闘病と死とは全く違っていて驚いたのと同時にひどく傷つく事が多かった。
 ドラマや映画では、闘病の際の医療関係者は相当に頼もしく、温かかった。病人も前向きに闘病を頑張る。それでも避けられない死は訪れるが、最後の病床では家族のひとりひとりに感謝や労いが語られ、家族も泣きながら愛を伝え、「逝かないで!」と口々に叫ぶものだと信じていた。亡くなった後、年配者からは温かく労われ、慰められ、「出来る事があれば、なんでも言ってくれ。」と背中をなでられると思っていた。

 実際には意外と医者は感じ悪い人もおり、その対応にショックを受ける事も多かった。しかし親の治療を委ねている以上、こちらが言える事などない。要望を伝えるのも下手に徹するしかない。
 父の癌治療の病院には毎週抗がん剤を打ちに通院していた。毎回、体重測定が義務付けられていたが最後の方に父はせん妄を起こして立つのもままならず、病院内では車いすを使った。体重計に乗せる事が難しく測定を免除して欲しいと看護師に伝えたが、頑なに「規則ですから。」と言われた。そこまで体重測定にこだわったにも関わらず、体重の急な増加で腹水が貯まっているのが想起され、危険な状態だと気付いてくれたのはせん妄治療に通っていた別の病院だった。

 病気当事者もドラマや映画のようには闘病を頑張れはしない。手術に備える為のトレーニングや栄養補給ドリンク(ひどくまずい)も気持ちで負けてしまっているから頑張れない。手術の日は迫る。本人ではなく、周りばかりが焦る。闘病生活に関する問題も、支える人同士で方針や信念が違い諍いになる。「もう長くないなら好きなものをたくさん食べさせてあげたい!」「いやいや、絶対に治る、治す為に嫌いでも栄養価の高いものは食べてもらう!」こんな事だらけだ。

 死に際についても、自宅で最期を迎えるよう決めたものの実際にその時が来たら、本人からのひとりひとりへの言葉どころではなかった。母の時は容体が自宅で急変して、目がそれぞれ非対称にぎょろぎょろと動き、映画の様であるとすればそれはホラー映画だった。そして、自宅で最期を迎えるという事は誰かが、それでも救急車を呼ばないという決断をするという事だった。
 父の時は、朝起きたら亡くなっていた。やはり本人からのひとりひとりへの言葉は望めなかった。闘病を支えるのに忙殺され、心身を削られる日々の中。死にゆく両親が人生について、私達子供について、どう思っていたのか。聞きたかった事も、言いたかった事も全て、ままなりはしなかった。なぜならば、本人達に余命を知らせてない。聞くのが憚られることばかりが聞きたい事だった。

 そうこうしていると、いつもの平屋建てアパートの前だった。ここ数日、アパートの庭の、物干し台の下の小さな畑の作物は元気がない。毎日こう暑いのに、どうやら水が与えられていないようなのだ。もともと住人には会ったこともないし、居る気配もないのだが、毎日作物はすくすくと元気だった。何かあったのだろうか。今日水をやらなければ、畑は全滅だろうな、そんな印象を受けた。どうしたんだろう?住人が入院したとか、施設に入ったとか。高齢化の進むこの辺りでは珍しくない事だった。子供と同居の予定があったなら作物は作らないだろうし。まさか、独りで亡くなっていないよなぁ。いつものコンビニでアイスを食べるのも忘れて通り過ぎていたが、ふとコンビニに踵を返した。1リットルのミネラルウォーターを2本買うと、今来た道を戻って行った。


                    ~つづく~



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