ナラさん

奈良好きのハマっ子。諸々の思考整理。

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最近の記事

なぜ、そわそわするのか

「なぜ、ユウタなのか」を書きたい、書くつもりが年を越してしまい、しかも今日はそれを書かない。書きたい欲が別の方にある。 なぜ、気になってる人からの返事が必ずくるってわかってて、そわそわするのか。わかってるのに。君からだったらワクワクしちゃう。お前はyuiか。 人間不思議なものである。なんとも思ってないときはなんともないのに、いざ「好きなのかも」って思った途端なんだか挙動不審になる。好きって自覚を持つことが少ないくせに、いざ「好き」ってなったらずっと好きでいてしまう。 え

    • なぜ、ジョンウなのか

       いつから気になったのかは忘れてしまった。イリチルを見るうちになんかよくわからないキャラを成立させる面白い子いるな~と思っていた。愛嬌ソングの振り切った動画を見た時も笑ったし、ブイラでチーム名「清純(청순)」だった時も謎の動きに笑ったし、よく出てくる강아시の物まね的な動き(これ↓) (あ、トムジェリだったか、子犬の時も同じだったけどなw)もじわじわ来て超好きだし、とにかく謎で面白いと思っていた。  わけわからんけど周りを爆笑させることができるというのは、めちゃくちゃ空気が

      • なぜ、ドヨンなのか

         あーこういう友達いるな。多いな。  それがドヨチの第一印象だ。キーワードは真面目、堅物、頑固、努力家。ちょっと空気が読めないことを気にしていて、他人にからかわれるのが苦手(うまくかわせない)。この辺は自分自身にも共通していて、本当にまじめに受け取って真面目に返しちゃってその場がしらける場面を何度も目の当たりにして、それがコンプレックスでもある。人がそうなっているのを見るのも、自分自身がそれをしてしまうのも。だからドヨチとメンバーのやり取りの中でそういう扱いをされているのを

        • なぜ、ヘチャンなのか

          「내가 막네자나~ㅜㅜ(僕がマンネじゃん~…)」  この言葉にこの人の頭の良さと魅力がすべてが詰まっていると思う。  NCTは多すぎて手が出せん、と思っていた時、KPOP先輩の友人Bに「イリチルが入りやすいよ」と言われて動画を漁りはじめたころ。明らかにこのグループの中に幼い顔の子がいて(顔の作りが)、あ~この子がマンネかなと思った記憶がある。  ただ、SHINeeテミン的なマンネではなく(これもまた後日書きたい、なんとなく神木隆之介君を見るたびに「大きくなったね~TT」

          ひとつひとつ大事に見進める、海街チャチャチャ

           不思議な感覚だ。このドラマ、どの瞬間もどの登場人物もいとおしくて、一話一話終わってほしくないのだ。かみしめるようにして見ている。主人公の2人が本当にかわいいと思えてくるのだけど、なんだろう。本当にすべての瞬間がほっとする。  見ていてつらい場面ももちろんある。ヘジンが嫌なプライドの高さを出してしまうところとか(出してしまって街の人に嫌われてしまうことよりも、その「出してしまう」ところが「出しちゃいけないってわかってるのに言ってしまった自己嫌悪」みたいな自分の感情と重なって

          ひとつひとつ大事に見進める、海街チャチャチャ

          自分のことが好きじゃないことと、他人に厳しいこと

           衝撃を受けた言葉がある。自分なら怠けてしまったと自己嫌悪に陥りそうな状況で、友人が言った「あ、私自分に優しいな、と思ってそんな自分が好きになる」という言葉だ。わたしはその友人のことがとても好きで、尊敬している。そしてその言葉は目からうろこだったし、だからこそわたしはこの人のことをすごい人だと思うんだろうと思った。  その子はとても明るく、相手に気を使わせないキャラを装って自分はめちゃくちゃ気が遣える。優しい。人の悪口や愚痴を言わない。たまに怒ってるけど、ほんとにカラッとし

          自分のことが好きじゃないことと、他人に厳しいこと

          なぜ、ナムグルで、ヨジャグルじゃないのか

           ジャニヲタ時代から含めて、なぜかメンズアイドルグループばかりにはまり女性アイドルにははまらない。K-Popでもそれは同じで、K-Popアイドル好きの同僚はヨジャグルも大好きなのに、はまらない。例外はあった。小学生の時のSPEEDや初期のモー娘。には憧れたし、好きだった。  「初期モー娘。は好きだけどAKBは好きじゃない」ここにすべての答えが詰まっている。理由は簡単、「友達になりたくないタイプの演出」なんだと思う。  「女の子は少しおバカがいい」とか言ってる女と友達になれ

          なぜ、ナムグルで、ヨジャグルじゃないのか

          歩いて喋ってエネルギーが巡る話と、海街チャチャチャ

           1日で帰ってこれる古道を歩く夏休み。行ってみたいところに行って、歩いて、おなかがすいて、食べて、人と会って、喋って。これをしていたら、体の調子が久しぶりに良い気がする。ここに来るまでは腰が痛かったのに。体を動かして人としゃべってエネルギーが巡って、それがわたしの健康を司っている。実感する時間。  一方で、ちょっと人が多い場所に行くと、前よりもっと人混みが苦手になっていることに気づく。うーん。人恋しいけど人が苦手。これは昔からか。  『海街チャチャチャ』を観る。今一番心が

          歩いて喋ってエネルギーが巡る話と、海街チャチャチャ

          隈研吾の思考の覗き見

           今年の4月くらいだったような気もするし、もっと前だったような気もするけど、朝のニュースで隈研吾氏のインタビューが流れていた。  コロナ禍で、自分の作ってきた「ハコ」の存在意義についてゼロから向き合うことになった、と。  東京国立近代美術館の今回の隈研吾展は、断然、有料ゾーンより無料ゾーンのほうが面白い。これまでの実績ももちろん素晴らしく、その実績、考え方の意義に自ら疑問を投げかけ問い直す中でキーとなる5つの要素を持つ自らの作品が並んでいるのだけれど、その要素を挙げるに至っ

          隈研吾の思考の覗き見

          雑談って

          雑談って、混線がないと生まれないからリモートだと出てこない。リモート会議で人とは話してても、自分の話したい欲やストレスは発散されてない。 一人暮らしでひとり時間も上手く過ごせるほどには歳重ねて20代よりはお金のある30代、それでも人と話して昇華&消化して来たわたしには「しゃべり」が全然足りない。 申し訳ないけど今のわたしのインスタストーリーはただの独り言の垂れ流し場所になっている。 誰も興味なくてもいいや。ただただ、インプットしたものを自分の外に排出しないと、おかしくなりそ

          【3.11】あの日、日本にいなかったわたしの記憶

          その日は、多分ハワイ島に着いた日で、友達とぐっすり寝ていた。深夜にサイレンのような音がずっとしていて騒がしく、人のざわめきやコテージのドアをノックする音が何回かあった。 わたしたちはこんな深夜に人が来るわけないし、何か事件でもあったのか、怖いから出たくない、とそのまま寝た。 翌朝、パンケーキ屋に行こうと外に出ると、向こうにレスキュー車が停まっていて、中からお兄さんが出てきて言った。君たちは何してるんだ?日本の地震で、ここ一帯は避難エリアなんだ、誰もいないよ、高台に避難しない

          【3.11】あの日、日本にいなかったわたしの記憶

          書きたい欲と、頭に字が追いつかないということ

          書きたい欲なるものが多分あって、それは突然やってくる。 継続しないのが自分の悪いところではあるのだが、書きたい時はものすごく書きたい。 12月くらいにものすごく書いておきたいことがあった。それでそろそろノートPCを買い替えようかと思っていた。 その矢先にブルーレイHDDレコーダーが壊れた。悩んだ末にドラマ狂のわたしはレコーダーを購入した。 同じ頃、3ヶ月迷っていた靴に足を入れてしまった。心地良すぎて脱げなくなり、悩んだ末に購入した。 予算がなくなった。 そうして、次のボ

          書きたい欲と、頭に字が追いつかないということ