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小説:コトリの薬草珈琲店 8-1
8章 都市と薬草
2月、金曜日の昼過ぎ。場所は東京・吉祥寺。土曜日から同エリアのデパート8階で全国の薬草フェアが開催される。フェアの名称は「薬草と生きる」だ。奈良県と岐阜県からはそれぞれ複数店が出店予定で、奈良コーナー・岐阜コーナーを成している。その他のエリアからは、一店ずつバラバラと参加する予定だ。開催前日である今日は各店の設営のための準備日となっている。薬草フェア会場の周囲は目隠し用の白いボードで囲まれており、準備中であることが一目で分かるようになっている。
現在、14時。ときじく薬草珈琲店のブースでは琴音と佳奈が設営を始めている。フードフェスと違ってその場で飲食できないルールのため、展示による薬草珈琲のアピールと物販が目的となる。
薬草珈琲について説明している二つ折りのリーフレットを数十部ほど重ねておく。予備の束は机の下へ。薬草珈琲について聞いたこともない人がほとんどであるし、この場で薬草珈琲を飲んでもらうことができないため、このリーフレットは重要だ。奈良を中心とした国産の薬草・薬木のアロマも楽しめるコーヒーであること、薬草や薬木によっては効果効能が異なること、簡単な淹れ方。そのようなことが記載されている。
薬草や薬木の香りを体験してもらいたいので、それらをディスプレイする。ヨモギ、スギナ、クロモジの葉、棗とショウガ、大和橘など。それぞれは平べったい透明の容器に入れられており、興味を持った人が手にして、香りを楽めるようにしている。
物販用に薬草珈琲の粉の袋(150g)を何種類か準備している。コーヒー豆と薬草をブレンド・粉砕したもので、フィルターにセットすればすぐに飲めるようになっている。ときじく薬草珈琲店ではそのような加工ができないため、コーヒーの加工や封入ができる専門店に依頼して作ってもらっている。いわゆるOEMだ。コーヒーとは異なる香りの素材をブレンドすることに抵抗のあるコーヒー専門店が多く、パートナーを見つけるのにも一苦労した、そんな努力の賜物でもある。
今回は・・・、いや、今回も、琴音ひとりで東京まで上京する予定であった。しかし佳奈がどうしてもというので一緒に来ることに。幸い、このイベントは奈良県のPRも兼ねるということで、出店者には交通費だけ補助が出ることになっていた。そこで県職員の岡本さんに交渉して、二人分の交通費を出してもらえることになったという訳だ。
二人が会場に一番乗りであったため、周囲はまだブース設置用の台が殺風景に置かれているだけであった。琴音は出店者用の資料を取り出し、ブースの位置と出展者を再確認する。薬草を用いた六次産業で県内では有名人の上松さんの店舗。薬草を用いたクラフトビールと奈良県のジビエ料理店は去年秋のフードフェス、フードイズム奈良でも挨拶した面々だ(薬草がテーマなのに、なぜかジビエのブースも含まれている)。隣にはオオツカ姉妹の化粧品のブース。そして、奈良県の薬草トレンドをまとめてアピールする県のブース。それらが奈良コーナーの全貌だ。
ふと目を上げると薬草ビール・ジビエ・県職員の男性3名が並んで会場に入ってきた。それぞれスーツケースなどを引きながら歩いている。郵送できなかった一部の荷物を自分たちで持ち込んできたのだろう。三人は琴音と佳奈に軽く会釈をして、それぞれのブースの設営へと取り掛かる。
岐阜コーナーに目をやると、その方向から一人の女性が手を振りながら笑顔でこちらに歩いてきた。小野田咲だ。咲は半年だけときじく薬草珈琲店に修業に来て、その後は岐阜の自分の店舗で薬草珈琲を提供している。佳奈は咲と入れ替わるようにバイトに来たため、咲と会うのは初めてだ。
「琴音さ~ん、ご無沙汰です!」
「咲ちゃん、こちらこそご無沙汰」
「そちらは佳奈さん、ですよね?」咲は佳奈のほうを向いて笑顔で会釈する。
「咲さん、はじめまして。はじめましてですけど・・・やっとお会いできました。私、咲さんに憧れてるんですよ~」と、佳奈が唐突に告白した。
「えっ、嬉しいけど、これ、どういうこと?」咲は琴音に解説を求めるが、琴音は少し肩をすぼめて分からないとジェスチャー。
「私もやりたいことがあって、今はコトリさん・・・琴音さんのお店で修業させてもらっているんですけど、いずれは自分でも何かしたいなぁって思っていて。したいことを計画的にバリバリと進めている咲さんってどんな人なんだろう~って思ってたんです。今日、お会いして素敵な女性だなって思って・・・、お会いできて良かったな~って思いました」
「佳奈ちゃんはうちのエースなんだよ笑」琴音が少し言葉をはさむ。
「ふうん、素敵な後輩に恵まれて琴音さんも幸せ者ですなぁ」と咲。そして「ねぇ、佳奈さん、設営の時間は十分あるから、よかったらおしゃべりする?」と続ける。
「え、いいんですか?コトリさん、ちょっと時間いただいていいですか?」
琴音は笑顔でもちろん、と返事する。本当は自分ももう少し、咲と話がしたかったのだけれども。
二人は岐阜のブースへ向かった。そして、佳奈は咲のブースの設営手伝いをしながら、咲との会話を楽しんでいるようだった。琴音から見ると、彼女たちは自分の想いに共感してくれた後輩たち。そんな二人が仲良くしてくれている様子を見て、琴音は少し胸が熱くなった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
佳奈は岐阜の面々とも仲良くなってから琴音のブースに戻ってきた。ほとんど設営は終わっていたが、それから二人はブースのレイアウトなどを微妙に調整したりしながら時間をつぶしていた。
不意に、人の気配がしたかと思えば、佳奈に後ろから抱き着いてきた女性がいる。「佳奈~。久しぶり~。」奈良・宇陀の化粧品ブランド、Angellina(アンジェリーナ)の経営者の一人、オオツカ妹だ。
「ビックリした~。妹ちゃんじゃないですか~。YAKUSO OTAKUS SAVE THE WORLD~!」佳奈はくるりとまわり、オオツカ妹と両手を取り合って再開を喜んでいる。
「薬草オタクが世界を救うってか。佳奈ちゃん、いいセリフ、思いついたねぇ~!」
オオツカ姉妹は時々ときじく薬草珈琲店に遊びに来てくれていて、オオツカ妹と佳奈は年代も近く波長も合う、大の仲良しだ。そんな妹の後ろからオオツカ姉がゆっくりと現れて、笑顔で琴音に「久しぶり」と声をかける。姉妹からはなぜか名前を教えてもらえておらず、佳奈はオオツカ妹のことをいつも「妹ちゃん」と呼んでいる。
オオツカ姉を経営者やビジネスマンだと言うならば、オオツカ妹は研究者やオタクと呼ぶのがふさわしく、彼女は天才肌だ。薬草が大好きでいつも何かしらの実験や開発を繰り返している。佳奈はどちらかと言えば勉強系のオタクではあるが、好きなことに突き進む情熱を持つ二人が惹かれあうのも自然な流れなのだろう。
友人とじゃれ合う佳奈を眺めながら、琴音の表情もゆるむ。ただ、ふとその時、琴音は自分が忘れてしまっているひとつの事柄に気づいてしまった・・・<自分は薬草を通して使命を果たすことに重きを置きすぎてしまって、薬草自体を楽しむことを忘れてしまっているのかもしれない>・・・もちろん、薬草珈琲を通して薬草に興味を持つ人が増えることは嬉しい。でも、薬草そのものや薬草珈琲の美味しさに佳奈やオオツカ妹くらいの無邪気さをもって楽しめてはいないような気がする。もしかしたら、そんな風に無邪気に楽しめるエネルギーが、元々、自分にはないのかもしれない。
一人で変な思考に囚われ、微妙な表情になっているところ、オオツカ姉が声をかけてきた。「琴音ちゃん大丈夫?元気ないんじゃない?」
「いえ、大丈夫です。あの二人みたいなエネルギーが私にはないのかなぁって思って」
「あの子たちはまだ20代だもん。」ははは、とオオツカ姉が笑う。そして、こう付け加えた。「魅力なんてものは、人それぞれ違っていていいんだよ」
「そうですね。」琴音は少しだけ救われた気がした。
「そうそう、最近、やりづらくなってきてない?」オオツカ姉が思い出したように言う。
「何がですか?」
「東京の百貨店などで「薬草」の言葉を使っちゃいけない店が増えてきたこと」
「あぁ・・・、それ問題ですよね。薬機法なのか業界の自主規制なのかは知らないんですけど、せっかくの薬草文化を広めづらくなってきたって思いました」
「だよねぇ。病気になる前の未病の時に不調を防げたほうが医療費の削減にもつながるのにねぇ」
「ですね。未病を防ぐ選択肢のひとつに薬草があるんですけど」
「そうだよねぇ。何だか、国の政策もダブルスタンダードになっているよねぇ」
でも、きっちりと効果が証明されたものを薬として取り扱い、国民の健康を守ろうとする薬機法の精神は大切だ。全く効果のない健康食品やサプリメントが売られているようなら、それは取り締まるべきだ。だったら薬草に効果があると言うためにも、サイエンス面の研究を充実させるべきだろう。琴音とオオツカ姉はそんな会話をしばらく続けた。
オオツカ姉がブースに戻り、再び一人になった琴音。周囲を見渡すと、志の近い仲間がたくさんいることに改めて気づく。隣のブースには準備を進めるオオツカ姉と、おしゃべりを続けるオオツカ妹と佳奈。ジビエと薬草ビールの二人はまたおしゃべりしている。気づくと上松さんも到着していた。あとは、県職員の岡本さん。岐阜コーナーには咲ちゃん。すべて、自分の大切な仲間だ。
凛の友人としての私。一人の女性としての私・・・川原君の顔が少しだけ頭に思い浮かぶ。そして、ときじく薬草珈琲店の店主としての私。奈良の薬草推進者のひとりとしての私。私には役割が色々とあるんだ。そう気づき、琴音はさっきの不安定な妄想を捨てることができた。そして、母の形見の黒い勾玉を手にとって握り、ひとり小さくガッツポーズをとる。「よし、明日から頑張ろうっと」
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