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小説:コトリの薬草珈琲店 6-3

 琴音と凛が29歳になった年の8月、凛と今里家の親子の三人は燈花会の会場へと足を運んでいた。奈良市で毎年開催されるその祭りには、今年も多くの人が訪れていた。奈良公園の夏の夜の芝生に数万というロウソクが灯され設置され、たくさんの柔らかい光を放つ。デートで来る人もいれば、家族で来る人、友達同士で来る人もいる。

 三人がここに来たきっかけは、暁子がどうしても行きたいと言ったからだ。暁子・琴音・凛の三人は、スマホでグループを作っていて、三人の間で連絡を送り合えるようになっている。夕方の5時あたりに、「今日、燈花会に行きませんか?どうしても行きたいです」と暁子がメッセージを配信。琴音も凛もまだ仕事中だったが、その晩に予定がなかったということもあり「いいよ~」「OKです」と返信し、近鉄奈良駅の行基像前で待ち合わせたという流れだ。

 どれだけ楽しみなんだよ、と思いながら凛は待ち合わせ場所に近づいたが、暁子は「凛ちゃん。今日は付き合ってくれてありがとう。じゃあ、行こっか」とすぐに歩を進める。凛も仕事が忙しく少しだけ久しぶりの再会だったのだが、挨拶もあっさりとしていて、いつもの暁子とは様子が違っていると感じた。すでに到着していた琴音に無言で”どうしたんだろうね”と目配せしてみたが、琴音も分からないようで、軽く肩をすくめていた。

 暁子が前へと進んでいく中、琴音と凛は、最近はどうだった?みたいな話をしながらその後を追う。広大な奈良公園の至る場所にたくさんの灯が見える。数多くのボランティアスタッフがそれらの設置を行っているそうだ。三人は興福寺の周辺、奈良県庁の前、そして東大寺の参道近くまで練り歩いていく。

 燈花会の楽しみ方のパターンとしては、見どころや行きたいエリアを数か所選んでそこをブラブラ歩いて帰る、というのが通常だろう。奈良公園は広大であるため、夏の夜に全てを見て回るのはなかなか疲れるものだ。しかし、その日の暁子は全スポットを制覇する勢いで歩いていった。幻想的な夜の光を楽しんでいるというよりも、何かを探してるかのようだった。さすがに二人も疲れてきたので暁子に声をかける。
「暁子さ~ん。そろそろ落ち着きませんか~」
「・・・ごめん。そうだよね。ちょっと落ち着こっか」
「何か、行きたい場所が見つからないんですか?」
「見つからない・・・。というよりも、そもそも違ってるんだよな・・・」暁子の言葉の語尾は静かな雑踏にかき消された。が、気を取り直したのか、凛の知るいつもの暁子に戻って二人を誘う。「あ、そうだ。最後に浮見堂のほうに行く?」

 奈良公園の少し奥まった場所に鷺池(さぎいけ)という池があり、そこに六角形のお堂が建っている。そこが浮見堂と呼ばれるビュースポットだ。燈花会の夜はロウソクの炎に灯され、昼間とは異なった幻想的な風景を観ることができる。
「奇麗だねぇ」
「ですね」
「うん」
 しばらくの時間をそこで過ごしてから、三人は帰路へとついた。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 その年の冬のある夕方、凛は会社の後輩の川原君と客先から会社に戻る車の中にいた。琴音からのメッセージがスマホに届く。いつもは連絡を送ってこない琴音からのメッセージだったので、どうしたんだろうと少し緊張が走る。そして、その文章を読んで血の気が失せた。「お母さんが倒れた。いま市立病院。もうだめかも」

「分かった。すぐ行く」とだけ返し、川原君に指示をだす。
「川原君、ごめんやねんけど、大急ぎで市立病院に向かってくれないかな」
「どうしたんですか?」
「私の親友のお母さんが倒れたみたい」
「・・・分かりました。急ぎで向かいます。会社にだけ、連絡を入れておいてもらえます?」
「分かった」

 凛は仕事が忙しく、燈花会の夜からも暁子に会えていなかった。暁子は凛にとって、第二の母親のような存在だ。万が一にでも、悲しいことにはなってほしくない。そして、琴音にも悲しい思いは絶対にさせたくない。今できることは、急いで病院に向かうことだ。そう思いながら、凛は病院に到着するまでの時間をなんとか耐え忍んだ。

 駐車場に車が停まり、救急の入り口に駆け入る。救急の受付に「今里暁子ですが」と言うとすぐに、「こちらです」と受付の女性が走りだす。何かの時のためにとついてきてもらった川原君と一緒に、凛も走る。

 ICU(集中治療室)の前で、琴音がひとり、立ち尽くしていた。こんな、憔悴と不安と悲しみの混じったような表情の琴音を凛は見たことがなかった。左手はだらんと下がっているが、その先にはスマホを持っていて、指が触れているせいか画面が明るいままだ。何かを必死に調べていたのかもしれない。身体がかすかに震えている。着る服も選べずにここまで来たのだろう。

「琴音、大丈夫か?」凛が声をかけ、琴音の肩をやさしく抱く。琴音は少しビクっとしたが、凛の存在に気づき、意識が現実へと引き戻されたようだった。
「凛ちゃん、私・・・」
「私が一緒にいてやるから、な」
「ありがとう」

「よかったら、これ。」川原君が横から凛に声をかける。彼が着ていたコートを差し出している。
「ごめん、ありがとう。」そう言うと、コートを受け取った凛は、寒そうに震える琴音の肩にそれをかけてあげた。
「川原君、この場は私がいたらいいから、川原君は帰ってくれても大丈夫だよ。本当に助かった」
「分かりました。何か手伝えることがあったら、連絡してくださいね」
「うん、ありがとう」
 そうして、川原君はその場から離れた。

 二人でベンチに腰掛ける。無言で下を向きながら震える琴音の背中を、凛はずっと撫で続けた。少しでも温まってくれたらと願いながら。そしてしばらくして、ICUの扉が開き、眼鏡をかけた医師がこちらへと歩いてくる。
「今里さんのご家族の方ですよね」
「はい」と凛が返事する。

 琴音と凛は目に涙をためながら、二人並んで医師の目をすがるように見つめた。そして、その医師の口から良い知らせが告げられることを祈り、待った。

 しかし、医師は手術帽を脱いで丁寧な面持ちとなり、開いた口から出た言葉はお悔やみの言葉だった。

 凛は胸が締め付けられ、全身から血が引いていくのを感じた。琴音は凛の肩に頭を寄せ、涙を流しながら、小さく嗚咽を漏らしている。凛はなんとか気力を振り絞って、弱り果てている琴音の肩を抱いてやることしかできなかった。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 そこから数日間、凛は会社を休み、琴音のために奔走した。業者の手配、親族への連絡、琴音のケア。お金まわりのことだけはなんとか琴音に対応してもらい、それ以外のほとんどを凛が主導で進めていった。

 そしてその数日間の出来事が終わり、二人は琴音の家で一息つくこととした。いつもの椅子に座り、いつもの姿勢で身体を休める。ただ、もう一つの椅子に座る人はもういない。
「凛ちゃん、今回のこと、ありがとう。私、一生忘れないから」
「私にとって琴音も暁子さんも家族みたいなもんだったから、何かできてよかったよ」
「うん、ありがとう。・・・本当に、ありがとう」

 琴音の家から歩いて帰りながら凛は、何度、この道を歩いたことかと思い返す。中学時代から今までと考えると、私の人生の半分じゃないか。頼りなさげな琴音と違って、強くてかっこいいお母さん。琴音と私を陰と陽で例えたけれど、暁子さん自身も陽そのものじゃないか。明るく私にエネルギーを与え続けてくれて、どれだけ私を成長させてくれたことか。そして一緒にたくさんお出かけをして、たくさんお食事をして、たくさんおしゃべりをして、たくさん笑って、笑って、笑って。

「もう一度、暁子さんに会いたいよ・・・」歩きながら、涙が溢れてくる。
 これが、凛にとって、はじめての喪失となった。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 凛は数日置きに琴音に連絡をして、できるだけサポートするよう努めた。その間、琴音からの返事は短い返事ばかりだった。

 ただ、一週間ほど経ってから、琴音から会いたいと連絡が来る。その日は土曜日だったので、自宅から琴音の家まで歩いていった。昔からずっと変わらない、大きな椿のある白壁の一軒家。入るよ~と扉を開けると、琴音がいつもの椅子に座っていた。
「凛ちゃん、ごめん。来てもらっちゃって」
「全然。私もコトリに渡すものがあるし」
「渡すもの?」
「うん。これ、看護師さんから預かっていたんだけど、暁子さんがずっと握っていたみたい。コトリに渡しておいてって言われてたけど、バタバタで忘れてしまってた」
「これって・・」黒色の勾玉だった。「お母さん、そんなに大事にしてたんだ」
「そうみたい。ごめんな、しばらく家に置き忘れてしまってたよ」
「ううん」
「それで、コトリの話したいことって何?」
「うん。私、薬草珈琲をやろうと思うんだ」
「薬草珈琲?」
「そう。薬草珈琲。・・・もう、あんな悲しいことを誰にも感じさせたくないって思った。でも、私にできることは薬草のお茶を淹れることくらい。でも、薬草茶とか薬膳茶って一部の人しか飲まないイメージがあるでしょ」
「まぁ、そうやわな」
「うん。だから、多くの人が好きなコーヒーと薬草を組み合わせたらいいんじゃないかって思って。私、美味しい組み合わせをいくつか知ってるんだ。クロモジ珈琲とか、柑橘類を使った珈琲とか」
「すごいやん。いいと思うぞ。で、薬草珈琲をどんな風にやるの?」
「カフェを開こうと思って」

 凛の目に、成長した琴音の姿が映った。かつては本当に植物と会話でもしそうな不思議少女だった琴音が、母の死を乗り越えて、使命に生きる女性へと変化したんだ。凛は心から嬉しいと思った。
「よし。お前が本気なら、オレも本気でサポートするぜ」

 そのおよそ一年後、ならまちに「ときじく薬草珈琲店」がオープンすることとなる。

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