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小説:コトリの薬草珈琲店 7-2
週末の日曜日。午前8時にときじく薬草珈琲店の前で待ち合わせをして、琴音と川原君は宇陀を目指した。黄色い4WDの軽自動車を琴音が運転して、1時間ほどドライブ。目的地は古民家を改装したゲストハウス。そこで時々、舞先生の授業が開催されている。舞先生は琴音や佳奈の薬草の先生で、かつては琴音の母である暁子もそこで薬草茶を学んでいた。
ゲストハウスの駐車場に車を停め、二人はこれから教室に様変わりする広い和室へと足を踏み入れた。和室では、見たところ60歳前後の、少しふくよかな女性が作業を進めている。舞先生だ。優しそうな表情の中に鋭い知性が隠されている、そんなオーラを持つ女性。
「舞先生。おつかれさまです」
「あ、琴音ちゃん、おつかれさま~。そちらは・・・、川原さんですね」
「はい。今日の教室、楽しみです。よろしくお願いします」
「ええ。こちらこそ、よろしくお願いします。」舞先生は笑顔で応えた。
畳の上にはすでに、背の低い長机が8脚ほど並んでいる。先生の位置から見て右手に4つ、左手に4つ。生徒の数が9人の予定なので、並んで座るもよし、一人で机を占領してもよし、という頃合いの数なのだろう。席の後ろ側には灯油のファンヒーターが稼働している。これからはじまる薬草教室を暖かな場にしようと頑張ってくれているようだ。窓の外には晴れた寒空が広がっている。
定時になったが生徒の欠席はなく、9人で講座はスタート。奈良県の生徒が4人。内3人は、ときじく薬草珈琲店の常連である歯医者の奥様、高橋さんと、そのお友達2人だ。薬草教室の案内をしたら、健康意識が高いためかすぐに興味を示してくれた。もう1人というのはもちろん、川原君だ。他は、大阪から来た生徒が2人。残りは東京の生徒が1人、岐阜の生徒が2人という構成だ。遠方から来た生徒はこのゲストハウスに前泊していたようだ。琴音は先生の手伝いがあるため最も端の窓際の席を選び、川原君はその隣の席に座った。
午前中は各薬草の成分と効能の解説。テキストには薬草の写真も載っている。舞先生がビワの葉のアミグダリンについて話をしている。琴音はふと、何かデジャヴのようなものを感じた。そうだ、月曜日に凛が店に来た際に佳奈が饒舌にしゃべっていた内容だ。佳奈はよく勉強している。ちゃんと、成分の名称まで暗記している。「頑張り屋さんの佳奈ちゃんはやりたいことが見えてきてるのかな」と琴音は考える。佳奈は自然に優しい仕事をしたいと願っていて、今は薬草珈琲店で働きながら、そんな仕事がないかと探しているところだ。
凛と佳奈の二人が仲良く会話をしていた月曜日の光景が頭に思い浮かぶ。あの二人、何の会話で盛り上がっていたっけ?そうだ。「いい男」について話をしていたんだっけ。でも、不意に結婚についてこっちに話を振るもんだから、戸惑ってしまったな。・・・結婚。もちろん、意識していないなんて言わない。ただ、毎日、自分がすべきことに専念していると、そういったことを考えることを放置してしまう。
不意に、琴音のすぐ左から聞こえる男性の声によって、現実に引き戻される。「・・・ということは、そのゲンノショウコは、ちょっとだけ煮出したら便秘に効いて、しっかりと煮出したら下痢にも効く、ということで合っていますか?」川原君の声だ。舞先生が笑顔でうんうんとうなづいている。
チラリと左に目をやる。当たり前だが、朝から一緒にいる男性の横顔が見える。舞先生の話を聞いてメモをして、あごに手を当てて何かを考えているようで、納得したのかまたメモを続けて。とにかく頑張って、舞先生の知識を吸収しようとしている姿勢が見える。でも、川原君はなぜ、薬草に興味があるんだろう?凛によると、川原君は仕事の面でも優秀だそうだ。いくつもの大きなプロジェクトでクリエイティブディレクションをしているという。そして、優しい男性・・・なのだろうと思った。
優しい。なぜ、そう思うんだろう。もう一度、左に目を向ける。そうすると、畳の上に置かれている川原君の上着が目に入った。これって・・・、母が亡くなった日に病院で私に貸してくれた上着なのかもしれない・・・違うかもしれないけれど。あの時、自分はひどく動揺していたから記憶はあやふやだが、おそらく、川原君とはじめて会ったのはその日だったのだろうと思う。その後、ときじく薬草珈琲店の開店を決めてから川原君とは本当にたくさん会話をした。川原君はデザイナーとして、私は依頼主のカフェ店主として。自分の話をうんうんと聞いてくれて、考えているイメージをスルスルと頭の中から引き出してくれて。最近はプライベートでも結構、一緒にいることが多いなぁと思う。
「琴音さん・・・」不意に、左から呼ぶ声が聞こえる。
「えっ?」
「先生がお呼びですよ」
教室の前のほうに目を向けると、舞先生が用のある素振りを見せた。「琴音ちゃん、悪いけどお昼の準備をお願いしに行ってきてもらってもいい?」先生のお弟子さんがランチを準備していて、その人にもうそろそろだと伝えに行く訳だ。
「すみません、はい。行ってきます」と返答し、席を立ちあがった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
その日のランチはソイミートの唐揚げが主菜で、小皿としてキノコのボルシチ風、ワサビ菜のサラダなどが提供された。汁物は里芋汁で、ご飯は玄米ご飯。かつてはベジタリアンなランチを苦手とする人も多かったが、最近のものは美味しくできている。参加者も食養生に詳しい人が多いためか、それぞれの野菜の薬膳的な効果を話し合ったりしていた。
デザートはシナモンとクローブで香りづけされた栗の甘露煮が二つ。ただ、舞先生より、「ひとつと半分くらいは自由に召し上がってください。そして、残った半分くらいの分量は・・・ちょっと訳あって、食べないで残しておいてもらえますか?」と指示が出されていたので、各人の机の上には栗の甘露煮の欠片が残った状態で、おあずけとなっている。
琴音が各人のテーブルに「どうぞ、お飲みください」とお茶を配ると、生徒は全員、何も疑うことなくそれを口に含んだ。それからしばらくして、舞先生より残った栗を食べるよう指示が渡る。もちろん、そこに座っている全員が栗の欠片を口にした・・・が、全員が困惑の表情を見せ始めた。「なにこれ・・・味がしない」「ただのボソボソの物質」「栗の味はどこに行った?」などとつぶやいている。
「はい、すみません。さっき皆さんに飲んでいただいたのはギムネマシルベスタのお茶です。ギムネマ茶とも言いますね。小腸で糖質を吸収するのを抑え、血糖値上昇を防ぐ効果があります。ただ、同時に甘みを感じなくさせるギムネマ酸が含まれていて、今の皆さんのような不幸が生じるという訳です笑」と、舞先生の答え合わせ。
謎が解けた安心感と初めての不思議体験に、9名の生徒の距離が急に縮まる。困った顔、楽し気な顔を見せながら、近くの人同士で談笑がはじまる。教室の生徒さんたちの仲が良くなる瞬間だ。
「琴音さんはもちろん知ってましたよね?」と川原君が声をかけてくる。
「うん、もちろん。私が淹れたお茶なんで笑。先生も、せっかくの美味しい栗の甘露煮を台無しにしてしまって、ちょっとイジワル笑」
「確かに笑。」ふふふと顔を見合わせて笑う。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
15時。授業の最後には薬草茶のテイスティングということで、各人の机の上にA・B・Cの記号のついた紙コップが配られた。まず、Aは何でしょうと舞先生が参加者に質問する。が、「お湯の味しかしない」「薄すぎて何か分からない」というような答えがもっぱらだった。誰もが全く見当もつかなかったようだ。
次はB。「美味しい」という人もいれば、「苦みが健康的な感じ」という人も。
最後はC。「これは、ショウガ・・・ですよね。」と岐阜から来た生徒が恐る恐る発言する。
「正解です~。Cはショウガ。身体が温まる感覚だったり、胃がすっきりするような感覚、ありますか?また、人によっては少し汗腺が開く、汗が出るような感覚もあるかもしれません。」そう説明し、舞先生は生徒たちの反応を伺う。「・・・で、AとBは実は、両方ともスギナのお茶でした。Aは3分の抽出で、Bは7分くらい。何が違うと思います?」
「出ている成分が違うんですよね?」と東京から来た生徒。
「そうです。3分くらいでも有効成分はある程度抽出されますが、5分を超えるとタンニンも出てきます。苦みもあってお茶に味が出るので「薬草茶を飲んだ」って感じになるんだけど、効果という意味で言えば、タンニンが欲しければ長時間の抽出、そうでなければ数分の抽出でも良いって言えます。目的に応じて、抽出時間も変えましょう。また、飲み慣れてきたらAのような繊細な味も分かってきますよ笑」と笑顔で締めくくる。生徒たちは疲れた顔を見せながらも、なるほどね、と心地よい笑顔を返す。
こうして、薬草についてたっぷり学ぶ終日の講習は、無事、終了した。
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