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フィリピン研修2023春(14)ー再びイントラムーロスへ

さて、今回の研修旅行も最後に近づいてきました。マニラに来たからには、(おのぼりさんが)行かなくてはならないところがあります。そう、イントラムーロス(方面)です。それに加えて、マニラの繁栄を知るためにはモールにも行かなくてはなりません(要するにお買い物の時間ですね)。本当はもっと行くべきところもありますが、今回の研修では時間の都合もあり、このようになりました。私自身は何度も何度も来ているところですが、今度ばかりは、ようやく戻ってこれたなという感じです。

思えば、2020年の3月以来まる3年ぶりです。マニラの飛行場が閉鎖ということで緊急帰国をした時以来です。

今回の研修の準備を始めたのは昨年の前期でしたが、その時はまだ「見切り発車」状態で、(大学の方針としても)実際に行けるかどうかわからない状況でした。その後研修の募集を始めた段階でも、渡航の要件(コロナワクチン接種三回以上)を満たすことが出来ず、泣く泣く渡航をあきらめた学生がいました。感無量はちょっと大げさですが、なんとかここまでこぎつけたという思いです。

写真はイントラムーロスの中のサンチャゴ要塞跡、ホワイトクロス(虐殺された捕虜の記念碑)と地下牢、リサール記念館(の中にある処刑直前のホセ・リサール)、サン・オーガスチン教会とBGC(Bonifacio Global City)です。

イントラムーロスはかつてスペイン人の居住区・城壁都市でした。サンチャゴ要塞跡の城門を抜けると、その中にあるのがリサール記念館です。

サンチャゴ要塞跡の城門
「第二次世界大戦の際に虐殺された600人の亡骸が白い大理石の十字架の下に眠る」(↓)
ホワイトクロス
「1945年二月の最後の戦いの日々(注)の間に虐殺された約600人のフィリピン人とアメリカ人がここに眠る。亡骸の状態を見ると餓死と窒息状態であったように思われる。彼らは頑丈な金属のかんぬきがかかった内ドアと金属プレートのはまった外ドアの二重ドアの地下牢の中に閉じ込められていたのである。」
(注-第二次世界大戦末期に首都マニラで戦われ10万人にもおよぶ市民が巻き添えになった市街戦、「マニラの戦い」を指す) 
捕虜が収容されていた地下牢
処刑を待つホセ・リサール

サン・オーガスティン教会は聖アウグスチノ修道会の教会で、ユネスコ世界遺産です(1571-1607建造)。フィリピン最古の石造りの教会でバロック風インテリアが見事です。ちょうど結婚式をやっていました。

サン・オーガスチン教会
新郎新婦の出待ちの参列者

サン・オーガスティン教会2階のバルコニーから見ると、中がとてもよく見えます。

イントラムーロスの中で気楽なランチをするのはなかなか難しいのですが(高くておしゃれな店はあるのですが)、一軒「適当な」店を見つけました(Pares Kimchi→写真)。Kimchiとは書いてありましたが、ごく普通のフィリピン料理屋でした。マニラ大聖堂のすぐ近くです。Pares Kimchiで検索してみてください。エアコンが効いています。お勧めです(^^)

Pares Kimchi

BGCはFort Bonifacioと呼ばれていた地域を再開発して作られた超モダンな商業地域で、ペソが(円が、ドルが)、羽がはえたように出ていくところです。
いつも誰かのお付き合いで行くことが多いので、いつか一人でゆっくり見てみたいと思っています。

BGC(Bonifacio Global City)

(注) 写真の出典は、全て©2023 Aratameです。
(続く)
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