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世界は今―フィリピンと英語教育

(※この小論は、拓殖大学国際学部のWebマガジン『世界は今』Vol.24 2014年秋号に掲載されたものですが、古くなったため大学のページから削除されたものを、今日でも参考になるところがあると思い、ここに再掲するものです。再掲にあたり若干手を入れました。引用は、
新田目夏実「世界は今―フィリピンと英語教育」『note』2022年3月12日
としてください。)

近年「フィリピン英語留学・オンライン英会話」が盛んになっている。私もこれらの学習方法を積極的に学生に奨励している。学生の英語力向上に努力するのは、国際学部の一員として当然ではあるが、「なぜフィリピンか」という点については、少し説明が必要かもしれない。以下個人的体験もまじえながら、近年話題になっている「フィリピン英語留学・オンライン英会話(その実態はフィリピン人講師との英会話)」について、歴史的背景と、英語学習法の観点から少し考察してみたい。

筆者がフィリピンに留学したのは、優に30年以上前、マルコス大統領末期のことであった。人類学を学ぶことがその理由の一つであったが、それはどちらかというと言い訳のようなものであって、まずは異文化にふれたかったというのが実際のところである。「暖かい南の国」程度以上の知識があったわけではなく、ましてや英語留学をするのだ、という意気込みがあったわけではない。

留学事情の観点から言うと、フィリピン留学はまだまだ「マニアック」な世界であり、英語留学の対象となる国ではなかった。当時、ようやく、フィリピンに学問的関心を持つ若い世代が登場しつつあったころで、留学といっても、大学に籍を置きながら、農村調査などを行う研究者が多かったような気がする。「フィリピン英語留学」が話題になるのは、まだまだ遠い先の話であった。

そんな中で、私が留学したアテネオ・デ・マニラ大学というのは、授業は英語、教職員は言うまでもなく、全ての学生が英語に堪能な学校であった。しばしば英語話者と地域の関係を、母語として英語を使う国々(English as a Native Language: ENL)、第二言語として英語を学んでいる国(English as a Second Language: ESL)、外国語として英語を学ぶ国(English as a Foreign Language: EFL)に分類するが、フィリピンはESL環境の世界であり、日本はEFL環境の世界である。

今振り返って考えてみると、フィリピンでは英語を公用語としているとはいえ、ESL環境の大学の中で、教員から職員まで、また全ての学生が英語に堪能であるというのは、国際的にみると、かなり珍しい状況だったのではないだろうか。確かに、アテネオ・デ・マニラ大学は、フィリピンのエリート校である点で、英語力は別格である。しかし、その後フィリピンを北から南まで旅行した印象でも、少なくとも大学の教職員とそこに在学中の学生の英語力については、非常に高いレベルにあることは間違いない。高校生になると少し怪しくなってくる。しかし、高校レベルであっても、教職員は英語のみによるコミュニケーションが可能であり、学生に話しかけても、こちらの言うことを理解していることは間違いない。

フィリピンが英語国となったのは、フィリピンがアメリカの植民地下となったためである。その結果、英語は公用語となり、小学校から英語で授業が行われることとなった。現在、学校教育が英語で行われているだけではなく、公文書、ビジネス、映画などの娯楽の世界で、広く英語が使われている。多少怪しい英語になるが、タクシー運転手でもたいていの日本人より上手な英語をしゃべるケースは多い。「本当の言葉」は英語ではなく、家庭や友達同士の会話は、マニラ近辺ではタガログ語、フィリピン中南部ではビサヤ語になるとは言え、英語を学ぶ環境として、1つの候補になる余地はもともと十分にあったのである。

小学校
レイテ州トローサ町の小学校、黒板にはびっしりと英語がかかれている)

しかし、英語留学の候補となったのは、つい最近のことであり、英語熱の高い韓国人が、費用の安いフィリピンへ、大挙して留学をするようになったためであった。日本人にその評判が伝わり、日本人留学生が急増したのはここ数年のことに過ぎない。韓国人の英語留学を加えても、語学学校の設立年代から推測すると、「フィリピン留学」が急増したのは、多分ここ10年内外のことであろう。現在10万人以上の韓国人がフィリピン全土で勉強中と言われているが、近年の不況で減少傾向にあるのに対し、日本人の留学生は2万人を超え、なお増加中である。

近年、フィリピン英語留学は二つの方法で広がりを見せている。一つはフィリピンの民間英語学校への留学である。もう一つが、日本に居ながらにして英語を学ぶオンライン英会話である。一説によると、500以上の語学学校があるといわれている。しかし、留学エージェントや現地での聞き取りによると、「実態のある」語学学校は、70-100程度ではないかと思われる。そのうち約半数がセブ島に集中している。英語学校のほとんどは、その経緯もあり、韓国系であったが、急増する日本人留学生に対応するため、日系の英語学校が増加しつつある。

フィリピンで英語を勉強するというのは、言語学的には、そして英語学習法的にいうと、どのような意味・意義・効果を持つものであろうか。「第二言語習得理論」によると、そもそも「コミュニケーション能力」とは、文法能力(grammatical competence)に加え、1文以上の文をつなげて意味のある「談話」に展開する「談話能力」(discourse competence)、とき・ところを心得た発話をする「社会言語学的能力」(sociolinguistic competence)、うまく会話が続かないときに、時間を稼いだり別の言葉で代替しコミュニケーションを円滑に進める「方略的能力」(strategic competence)に習熟することを意味している。それ以外に、英語教育以外のところで学ぶ一般教養的知識や、テーマに関する専門的知識の有無は、コミュニケーションを深める必須の条件である。

日本の英語教育は文法と読解が中心であるといわれていたが、実際には徐々に会話を重視する方向に変化している。特に、2002年に、文部科学省は「『英語が使える日本人』の育成のための戦略構想」を打ち出し、コミュニケーション重視に大きく舵を切った。その方針が、現在の小学校・中学・高校の学習指導要領に反映されている。従って、大学生になるまでに、本来、英語による「それなりのコミュニケーション能力」を身につけていることが期待されているのである。

ただし、上述のコミュニケーション能力とは、大量の英語インプットを受け取り、実際の会話練習を通じて、間違いと修正を繰り返しながら、長い時間をかけて、ようやく身につくものである。ところが、従来の中学~大学の英語教育では、このような学習過程を可能にするための時間が、圧倒的に不足している。また教員の側の英語コミュニケーション能力が不足しているだけでなく、集団授業の中では、学生一人一人に目配りをした授業を行うのは不可能に近い。英語の苦手な学生は、集団のなかに隠れてしまうことも可能になる。そこに新たな選択肢としてのフィリピン留学の重要な貢献がある。

現地留学の場合、一日6時間(以上)、週5日の英語授業を経験することになる。ほぼマンツーマン授業であり、逃げ隠れのできない、密度の濃いレッスンを毎時間受けることになる。欧米留学の場合、費用の問題もあり、グループレッスンが多い。はた目から見ると、フィリピン留学は極めて厳しい学習環境なのであるが、学生の反応は、一様に、「慣れると大丈夫、楽しかったです」である。なぜであろうか。

文化的なものであろうが、明るく気さくなフィリピン人講師が、辛抱強く学生との対話につき合ってくれる。実は、フィリピン人は、自分自身もネイティブスピーカではないので、苦労して英語を学ぶ外国人の気持ちがよくわかるとも言われている。また、多くの教師が20代前半であるが、それは教師として未熟であるというより、むしろ多くの学生にとって、非常に話やすい環境を提供しているように思われる。年齢が近く、体格が小柄なためか、威圧感を受けないという点も指摘しておきたい。このようにして、まず対面的コミュニケーションにおける心理的バリアが克服される。「楽しさ」の背景には、このような条件があるように思われる。

授業風景
マンツーマンで英語を学ぶ学生

学生達の印象の中に、「発音を直されたのがありがたかった」という回答が多い。実は英語教師の側でも、あまり発音をうるさく言うと、学生が委縮してしまうのではないかという危惧を持つものが多い。確かにコミュニケーションを重視するペア・グループワークの中で、あまり発音を直すと、肝心なコミュニケーション練習ができなくなる恐れもある。しかし、学生達の回答をみると、発音を直されることに拒否反応を示すどころか、感謝している様子がうかがえる。これも優しいフィリピン人講師によるマンツーマン授業の効果の一つであろう。

一歩街にでると、基本的には現地語の世界であるが、映画に食事にショッピングといった状況の中で英語が通用するため、学校で習った英語を、実際に使う(使わざるを得ない)環境が存在している。かりに英語力は伸びなかったとしても(短期留学の場合、実はこの可能性は高い)、日本では考えられない「異文化体験」「発展途上国体験」をすることになる。それだけでもフィリピン留学に行く価値はある。

オンライン英会話の効果は、現地留学に比べると限定的であるが、一種の「仮想留学」を、非常に安価に実現できるというメリットがある。アメリカ人・イギリス人が先生でないことは、決してマイナスではなく、英語がいろいろな国の人によって使われているという、「グローバル・イングリッシュ」を実感する良い機会となる点で、今までの「英会話教室」とは全く異なる価値があるように思われる。

最後に「フィリピン英語はなまっていないか」、「文法が間違ってないか」という疑問についてである。これは文法的、音声学的点観点からみて、きわめて興味深い問題である。現在「フィリピン英語」のビデオ録画の分析を行っているが、発音記号的に見ると、フィリピン人講師の発音は、かなり正確である。

「なまり」と一言で言われることが多いが、個別の発音についてみると、(日本人が不得意な)RとL、TH、V、Fの音は区別できるし、子音一般も発音することができる。「なまり」に聞こえる場合も、規則性があり、推測可能である。

ネイティブでないために、むしろ、一言一言正確に発音する傾向があり、彼らもそれを意識している。新人研修の中で指導する学校も多い。実は、発話をすべて発音記号で記述してみると、辞書どおり正確に発音していないのは、アメリカ人かもしれないのである(なまっているのはアメリカ人かも)。

研修風景
英語学校の新人研修

最終的には欧米のネイティブ・スピーカの発音も聞き取れなければならないが、そこに至る一過程として、フィリピン英語から入るのも「あり」ではないだろうか。日本人にとって、フィリピン英語は、とっつきやすい英語であるという可能性を指摘しておきたい。

アクセントと英語表現についてみると、時にアメリカ・イギリス英語と異なるイントネーションが発現したり(語尾が上がる)、フィリピン固有の言い回しが存在している(電気をつけるを、open the light)。ただし、これはジョークの種になるレベルであって、英語力全般の向上を妨げるレベルの問題ではない。フィリピン英語は交易のために発達した簡略言語であるピジン・イングリッシュではなく、学校文法を踏まえて習得した英語であるので、彼らのレベルの英語で会話と作文ができれば、世界中どこでも、いかなる舞台でも通用する。

フィリピンで英語を勉強することのメリットは何か。そしてデメリットはあるのか。これが最近私が考えている問題である。純粋な英語学習の観点から言うと、ほとんどデメリットはない。

英語学習の効果が上がるためには、学習の動機づけと効果的な学習法を用いることが重要であるが、日本語でこと足りてしまう言語環境の中では、英語学習の必然性(動機づけ)は持ちにくい。その一方で、上述のように、指導方法はよりコミュニケーション重視に変化しているとはいえ、通常の学校環境の中で、コミュニケーション重視の授業を実践するのは、時間的にも困難である。

そのような状況下で、英語学習を通じて「友達ができる」(実はフィリピン人講師)という感覚は、まず、積極的に英語を学ぶ重要な動機になるのではないだろうか。次に、マンツーマンレッスンによる指導は、集団授業の中では不可能な、習熟のために必要なコミュニケーション量を飛躍的に増大することになる。それだけでなく、学生とのふれ合いを含め、密度の濃い英語学習を可能にするものではないだろうか。

講師がフィリピン人であることは、「ネイティブ信仰」を打ち壊し、伝統的英語教育の中にある「欧米志向型」教育から、「グローバル教育」への脱皮を可能にする条件ともなる。もし可能ならば、オンラインにとどまらずぜひフィリピン現地留学をして欲しい。

実際に現地留学することにより、欧米留学ではなかなか経験できないような貧富の差を目の当たりにすることにもなる。このような実体験を背景に、英語学習に対する新たな動機付けが、具体的な形でわいてくることもあろう。「なんで英語やるの、それは発展途上国に住む貧困な子どもたちの力になるため」というような、社会意識が醸成されることにもなるであろう。

かつては存在しなかったチョイスである「フィリピン英語」の隆盛を目撃するにつれ、このようなことを考える今日この頃である。



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