フィリピン研修2023春(5)-孤児とのふれあい
さて、オロンガポの歴史的・社会的背景については前回お話しました。
私達がお世話になる孤児院は、もともとはオロンガポの光と影の、影の部分にうまれた孤児たちの保護を目的に設立されたもので、当初市内にありましたが、より環境のよい郊外に移設されて今日に至ります。1980年代と社会背景は変わりましたが、今日も、ただの孤児ではなく、貧困に加え、虐待、育児放棄、捨て子など複雑な背景を持つ子ども達が一緒に生活しています(なお、センシティブな話題なので具体的な住所、施設名の記載は控えます)。
本施設は、フィリピンの孤児院にはめずらしく、広々とした敷地に、木々が気持ちよく生い茂っています。施設長の牧師様の指示のもと、子どもたちか野菜づくりや豚、鶏の世話をしています。農業を専攻している学生もいるため、その点、大変勉強になりました。
さて、子どもは一人で大人になるわけではありません。子どもの成長にとって、まず第一に、家庭で保護され、愛情をもつて養育されることが必要です。言葉を学び、基本的な価値観を学ぶ大切な時期です。社会学ではこれを「第一の社会化」と言います。学齢期になれば学校に通います。学校は小さな社会であり、特に義務教育課程は、社会で必要となる基本的知識を学ぶとともに、クラスメートとの生活を通じ、対人コミュニケーション能力を身につける大切な時期です(これが「第二の社会化」です)。
なお、フィリピン人は、とてもとても家族を大切にします。そんなフィリピンでは、自分が帰属する家族を持つことは、とりわけ重要です。家族の根幹である親子関係や兄弟姉妹関係は、楽しいときには一緒に喜び、辛いとき、苦しい時には、心の支えとなるものです。国民の大部分がクリスチャンであるフィリピンにおいては、家庭生活は教会と結びつき、信仰を学ぶ場でもあるでしょう。
このように大切な家族から切り離された孤児は、人格形成上、また、社会生活に必要なコミュニケーション能力を学ぶ上で、さらには、しばしば教育機会を奪われるために、長じてから大変なハンディキャップを負うことになります。孤児院はそのような家庭の代わりになるものではありませんが、子どもたちに安全な環境と、社会生活を送るにあたって必要な知識やスキルの修得機会を提供するものです。
フィリピンの孤児院は、本来は180日間を目安とした一時預かり施設です。その間に家庭の状況が改善されれば帰宅できますが、それがかなわない場合は、親戚や養子など他の受け入れ先を見つける努力をします。
ここからはソーシャルワーカーのエミさんの説明です(英語)。
(本研修は英語研修ではないのですが、英語に接する機会がふんだんにあるのが、フィリピンで行う研修の良い点です。ただし、必要な場合は、アクションのスタッフの方に日本語で補足していただきました)。
彼女の説明によれば、今回私たちがお世話になった孤児院は、7歳から12歳が対象です。上述の様に「家庭」に戻すことが理想ですが、里親の希望は乳幼児が多いため、本施設ではなかなか見つからないとのこと。Family dayを設け、子どもを戻せる状況になったか家庭の状況をチェックするとともに、子どもとの関係を維持する努力が行われています。
しかし、180日間を過ぎても(里親のあっせんを含み)「家庭」に戻すことが出来ず、実際には13歳以上の子どもが多数生活しているのが実態です。18歳以上を越えて、特別に生活している子どもも一名います(大学に通いソーシャルワークを勉強しています)。一見したところ明るく楽しそうに生活しているのですが、背景はなかなか複雑です。
こちらの孤児院の生活は、当初寮タイプでしたが、より普通の生活に近づけるよう、男の子が生活する男子コテジと、女の子が生活する女子コテジが建設され、生活の中心となっています。以上に加え、ゲストハウス、スタッフハウス、食堂、教会、ジム、バスケットボールコート、豚小屋、農園などがあります。多くの施設は、アクションを含む多くのボランティアによって建てられたものです。
さて、ここに住む子どもたちの生活の中心は孤児院ということになりますが、月曜から金曜の朝7時から午後4時過ぎまでは、小学校で学びます。土曜日は掃除、洗濯、日曜日は教会に行きます。その合間に、農園、豚小屋、鶏小屋で、担当する仕事をしています。
このような複雑な背景をもつ子どもたちとどのように接したらよいのか、学生達から質問がありました。やはりその背景を知らないと、どのように接していいかわからないと感じたからです。質問に対する答えは、簡単に言うと、「(複雑な事情を聞き出すのではなく、また、はれ物に触るように接するのではなく)普通に、ごく普通に接してあげてください」とのこと。
孤児とのふれあいというのは、孤児どころか、人見知り気味の日本人の学生にとっては、かなりハードルの高い経験であったかもしれません。しかし、結論としては、それは杞憂であっように思います。というのは、子どもたちの方から、明るく、飛びついてきたからです。心配する暇を与えてくれなかったからです。
私達がたった数日孤児院に来て、孤児のために何ができるのか、という疑問を持つ方もいるでしょう。途上国で実施されるスタディツアーに参加したことのない人から見れば、当然の疑問です。専門的観点からの批判もありうると思います(例えばソーシャルワークの知識・経験がなくて大丈夫なのか、とか、「うっかりしたふれあい」は、むしろ悪影響をおよぼすのではないか、とか)。
実は東日本大震災の折、がれき撤去が一段落した後に、「心のケア」が必要になってきました。そこで専門家の方から、同様な批判があったと聞いたことがあります。心のケアのためには、長期間かけて、まず信頼関係を築く必要があると。
(なお、がれき撤去の段階で、私たちの学生がボランティアとして大活躍してくれました)。
私は、日本からの参加者の役割について、次の様に説明しています。
「ここにいるのは、家庭から切り離され、かけがえのない子ども時代を奪われ、辛い思いをしてきたであろう子どもたちばかりです。まず参加者としては、そのような子ども達と一緒に遊んであげることで、子ども時代が楽しかったという(数少ない)思い出づくりに協力できることです(その思いでの一コマになります)。子ども達にとっては、施設内の限られたスタッフ以外にも、この世の中に、自分達を大切に思ってくれる人がいる、ということを知ることができることです。日本の大学のお兄さんお姉さんを通して、勉強の大切さについて学ぶことができるかもしれません(ロールモデルになる)。」
なお、専門的観点からの支援は、施設入所の時から始まり、ソーシャルワーカーによるアセスメントを踏まえ、適宜行われていることを補足しておきます。
最後になりますが、今回は子どもたちのためにバレーボールをプレゼントしました。これは(私は知らなかったのですが)、今あるボールがボロボロになっていたので、ちょうどいいタイミングでした。
(注) 写真の出典は、明示的に©で示していないところは、全て©2023 Aratame 撮影の写真です。
(続く)
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