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フィリピン研修2023春(4)ーオロンガポについて

NPO法人アクションの事務所のあるオロンガポ市という場所について一言補足しておきたいと思います。

オロンガポは、サンバレス州の中核都市であり、スペイン時代からの港町・軍港でした。その後、アメリカの軍港として発展しますが、第二次世界大戦時にいったん完全に破壊されます。しかし戦後、米国との基地協定を通じて、米国海軍のまちとして再興していくことになります。

実は、昔々、私はマニラの大学(Ateneo de Manila University)に留学していた時期があります。ここ最近セブにも行くようになりましたが、それ以外の地方都市というのはあまり詳しくありません。ちょっと調べただけですが(Wikipedia英語版程度)、上述のように、オロンガポには、スペイン期にさかのぼるような興味深い歴史があることがわかりました。「オロンガポ=スービック米海軍基地」というステレオタイプを持っていたため、今回のオロンガポ訪問は、戦前につながるこのような歴史的背景について、もっと勉強せねばという感を強くした「小事件」となりました。

(私の管見した範囲ですが)フィリピンの地方史というのは、まだまだ未開拓な研究領域の様に思われます。もちろん、マニラ首都圏、セブ大都市圏とは違う「地方都市」の現在の発展の様子についても、もっと調べてみたいと思います。

それはともかく、オロンガポは、戦後、米国外最大級の「基地の町」、特に米国第七艦隊の本拠地として発展していきます。歓楽街の光と影が彩るまちとなり、フィリピンをよく知るものの間では、Sin City(犯罪都市、悪徳の巣窟)と呼ばれることになります。しかし、(ちょうど基地協定の更新時期と重なったこともありますが)1991年のピナツボ火山の大噴火(20世紀最大級の噴火)後にフィリピンに返還され、その後、スービック経済特区・自由貿易港として新たに産業化と観光開発が進み、現在、全く様変わりしたまちづくりが進んでいます。

ところで、オロンガポは、米軍基地時代に、米兵とフィリピン人女性との間に生まれた混血児、いわゆるアメラジアンが問題になった地域の一つでした(クラーク空軍基地があったアンヘレスがもう一つの地域です)。彼らはしばしばひどい差別と貧困に苦しむことになります。

この話は、孤児院の施設長の牧師様から聞いた話ですが、ちょっと虚を突かれたような、ある意味では、忘れていた亡霊がよみがえってきたように思いました(日本のアメラジアン問題は私の授業でも取り上げることがあるので知っていましたが、研修のことばかりで頭がいっぱいで、ここでその話を聞くことになるとは、全く予想していなかったためです)。

孤児やストリートチルドレンは、このようなオロンガポの影の部分の象徴で、マニラの孤児・ストリートチルドレン問題とは、少し背景が違っていたことを理解する必要があります。

スービック経済特区にあるアヤラモール
(https://www.ayalamalls.com/main/malls/ayala-harbor-pointより)

(注) 写真の出典は、明示的に©で示していないところは、全て©2023 Aratame 私の撮影写真です。
                             (続く)
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