高熱・・・もしや!?
ほとんどの病院は面会禁止、高齢者施設も対面での面会ができないところが多かったけれど、父親の入っているところは通所の就労継続B型事業所もあるからか結構ゆるくて私も毎週散歩に連れ出せていた。
大阪府などで高齢者の外出自粛が呼びかけられるぐらいコロナが増えたとき、父親の施設もとうとう通院以外の外出はおろか、面会も禁止となった。
家族は職員には会えるので様子を聞いたりお菓子などを渡してもらえた。
私も通院同行のときに会うぐらいで、スーパーに行くついでにお菓子を持って行ったりしていた。
毎日朝夕私と姉は電話を続けていた。私たちの顔を忘れないでくれるといいのだけど・・・。
ネットなどで認知症関連のページはもう長いこと読み漁っていて、いずれ父親は私たちを忘れてしまうのかもしれないけれど、家族を認識できなくなっても関係性は父親の中に残っていると書いてあったので、そうなっていくのかなぁと思っていた。
そんな折、突然グループホームの職員から電話があった。その日はデイサービスが休みの日だった。
「朝しんどそうにされていて今測ったら39度の熱がありました!どうしましょうか?」
うちは施設が提携しているクリニックと契約していないので、私に連絡が来て私に指示を仰ぐようになっている。
「えー!?救急車呼んでください!」
「わかりました!こっちに来てください!」
「一応パルスオキシメーター測ってください」
私は何週間も行っていないのでもしコロナだとしたら職員から、ということになるだろうと思っていた。
私は急いで準備をして施設に向かった。ちょうど救急車が来て中に入っていったところだった。
電話をかけてきた職員に事情を聞き、救急隊員と話す。
「〇〇病院で受け入れ可能ですがコロナの検査はできないそうです。どうしますか?」
酸素飽和度も問題はなかったから一応ほかの検査をやってもらおう。私は搬送をお願いした。
病院についてからも高熱、ということで父親は隔離。会えなかったがレントゲン室に行くときに廊下にいる私はちょっと会えて「大丈夫やでー」というと、それまで「痛い!触るな!」と大暴れしていた父親も少し安心したようだった。父親は点滴の針を自分で引っこ抜いて血だらけになっていた。
肺はきれいだった。ただ血液検査で炎症反応がすこぶる高かった。
しばらくして医師に私が呼ばれた。
「恐らく尿路感染だと思います」
オムツもしてないのに・・・。そんなこと今までなったこともないのに・・・。
「これだけ暴れるので入院はできません」
薬をもらって施設に連れて帰ったのだった。
翌日、施設で抗原検査をして陰性。とりあえずはほっとした。