知っていますか? 橘のこと
不老不死の霊薬・橘
奈良は古代から薬草の産地で、日本書紀には『薬狩』という言葉が見えます。
文字通り『薬』を『狩る』取りに行くということで、男子は狩猟をして鹿を取ったり(角が薬になるとされた)女子は薬草を摘んだと言います。
狩りの場所だった宇陀と呼ばれるところは、のちに大手製薬メーカーが登場する母体となっています。
古代の薬草は、今も昔も人々の生活の中にあります。
自然から薬効成分の高いものをいただくことが普通だった時代、人々が憧れた薬の最高峰は『ときじくのかぐのこのみ』だったかもしれません。
ときじくのかぐのこのみとは、不老不死の力を持った霊薬です。
それは「橘」だと考えられています。
日本最古の歴史書のひとつである『古事記』には垂仁天皇が但馬守(たじまもり)という家来に探させたという記述があり、それは橘である、と書かれているのです。
垂仁天皇は歴代天皇の中で初めて「殉葬」を廃止した天皇でもあります。
高貴な人が亡くなると家来を黄泉の旅路のお供にさせるため、生き埋めにしていたのを、ハニワに変えさせたというもの。
民を思う慈しみ深い天皇は、不老長寿の身となってさらに人々のために働きたかったのでしょうか。
こんなお話ができるくらいですから、橘は珍重され、人々から愛された植物だったのでしょう。
しかし現在、準絶滅危惧種に指定されています。
戦前は山にいけば簡単に見つかったそうですが、すっかり数を減らしてしまっているのです。
しかし、古代から連綿と続く橘を取り戻す動きも広がっています。
橘が不老長寿の薬になるというのは、常緑の葉を持ち、種子が多いから子孫繁栄をイメージさせる、という外的な要素が大きいのでしょう。
そのためか「橘」は色んな場所で「高貴なもの」「かけがえのないもの」「素晴らしいもの」として扱われています。
聖徳太子様と橘
聖徳太子のお父様は用明天皇といいます。
元々病弱だったのか、即位後早い段階で亡くなってしまいました。
聖徳太子様のお像で、香炉を捧げている姿がありますが、これはお父様の病気が癒えるように一心に祈っている姿だといいます。
この用明天皇のお名前は「橘豊日命」(たちばなのとよひのみこと)とおっしゃるのです。
住んでいた場所は『橘の宮』と呼ばれる所。
のちにここはお寺に変わりまして、寺の名を『橘寺』といいます。
そう、現在聖徳太子様がお生まれになった所と伝える場所です。
聖徳太子様のお父様が、なぜ「橘」の名を持っているのかはわかりません。しかしなにかしら、橘と深いゆかりがあることが想像されます。
その橘の縁は、息子である聖徳太子様へと受け継がれていくことになるのです。
古代の偉人というだけでなく、近代に入ってからもお札の肖像になったりして日本人を支え続けた聖徳太子様の傍らに、これまた日本人と結びつきの深い橘があったのです。
日本人憧れの氏トップ4を飾るのは橘!
私達は元々血縁を同じくする集団で暮らしていたのですが、その集団に与えられた名前を「氏」と言いました。
多くが地名に由来したり、仕事に由来したりしますが、功績があって天皇から貰うこともありました。
その筆頭が「源氏」「平氏」「藤原氏」「橘氏」
源平藤橘などと言ったりします。
この名前は日本の氏四天王。誰しも憧れた超エリート一族の氏なのですが、『橘』氏を創設はあるひとりの女性から始まります。
彼女の名は「橘三千代」
元々は「犬養」と名乗っていました。
おそらく番犬を養育していた一族だったのでしょう。
橘三千代は、奈良時代に君臨した女帝・元明天皇のもとで働いていた宮廷女官でした。
具体的にどんな仕事をしていたのかは明らかになっていませんが、彼女が仕えた元明天皇は平城京が始まった時から帝位についていた女性です。
当時、天皇として活躍していた息子を亡くすという悲劇にあい、息子に代わって即位するという決断を迫られた女帝でもあります。
元明天皇の時代に平城京遷都が達成され、古事記・日本書紀が作られ、国造りがハード面・ソフト面の両方充実してきた時期でした。
その大変な時期に天皇として働いていた方を支えたと考えられるのが橘三千代なのです。
元明天皇は「橘は果実の王なり。その枝は霜雪を恐れずして繁茂し、葉は寒暑をしのぎてしもばず。しかも光は珠玉と争い色は金銀と交わりて益々美し。ゆえに橘を氏とせよ。」
と橘の名を与えたといいます。
橘が強く美しく素晴らしいものだったことがよくわかります。
当時の人々が愛した大切にしていた植物。それが橘だったのです。
文化勲章のデザインも橘
我が国では、科学技術や芸術など文化の発展に貢献した人に贈られる勲章「文化勲章」があります。
なかなか勲章を貰うことも、貰った人を見ることも少ないのでどんな形が知る機会が少ないのですが、実は橘の花を象っています。
実は、最初は桜のデザインでした。
しかし昭和天皇が、下記のようにおっしゃられて橘へ変更になったというのです。
橘は「文化は永遠である」ということのシンボルとしてふさわしいとされたのです。
橘の薬効生・柑橘類としての用途の多さ、常緑の葉や白い花からイメージされる永遠性・おめでたい感じ。
長く長く日本人に愛されてきた植物なのです。
ふたたび橘が私達の周囲にふつうにある風景を心から望みます。
巻頭のイラストは雫とコンパスさんから拝借しました。ありがとうございました。
追記 2023年8月15日
聖徳太子様のお父様、用明天皇のお名前についての表記について「即位前は橘豊日命」といった、というふうに書いていました。
「用明天皇」というのは、奈良時代にあらためて贈られた呼び方で、「即位したから用明天皇」という言い方は正しくありませんでした。
天爵露城(羅城・鷺姫)さまとおっしゃる方がツイッターにてご指摘下さいました。本文を修正しております。ご指摘に感謝するともに、不確かな文章で出しましたことをお詫びいたします。
奈良でガイドをしています。これからもっとあちこち回っておもしろいガイドを提供します。ご支援どうぞお願いいたします。