高円山の大文字送り火 勤躁和尚
奈良 高円山で行われる『大文字の送り火』
中心となってくださっているお寺が大安寺さんです。
大安寺さんは奈良時代、天皇が作ったお寺としておおいに栄えました。
かつては『大官大寺」と呼ばれた「大寺」です。
大は天皇が作ったことを表します。
東大寺や西大寺もそれにあたります。
ほかにも「大津」という地名があったりしますが、これもただの「津」港でなく「大津」というのは天皇が作った、と言う意味があるのです。
大安寺には優れた僧侶が沢山いました。
そもそも国の中心の寺である立ち位置でしたから、当時のスター僧侶が在住し、外国からやってきた方々の迎賓館的な意味合いもありました。
東大寺の大仏さんが完成したとき、魂を入れる開眼供養会が行われまして、その導師をつとめた菩提僊那も大安寺に住んでいました。
あの弘法大師空海さまの師匠のひとりも、大安寺の僧侶でした。
勤躁和尚と言います。
真偽はわかりませんが、空海さまに『虚空蔵菩薩求聞持法』を授けたのも勤躁和尚ではないかと言われています。
勤躁和尚は大安寺で修行した僧侶で、のちに都や平安京に移ってのち、当時と朱雀大路を挟んで作られた官寺・西寺の別当を務めたかたです。
この勤躁和尚が奈良に作られたお寺に「岩淵寺」という場所があります。
すでに廃寺となっているのですが、実はとても有名な尊像がここの出身で、奈良の御仏好きなかたなら一度は拝んだことがあるはず・・・
それは、新薬師寺の十二神将です。
新薬師寺は奈良時代に、聖武天皇の為につくられたお寺でして、薬師如来さまがご本尊です。
薬師如来様に従う十二神将がいらっしゃるのですが、今いらっしゃる方々は岩淵寺が移籍されたというのです。
勤躁和尚はなじみのない名前かもですが、奈良のみほとけの中でもひときわすごい方々を通じて、私たちは勤躁和尚と会っているかもなのです。
そしてこの勤躁和尚ゆかりの霊山であり、岩淵寺が創建されたこともあって、高円山が送り火の山となったとのでした。
巻頭イラストは宮島さんのものを拝借しました。ありがとうございました。