大仏殿はやさしさでできている!?
奈良の東大寺さんは、約1300年前の奈良時代に作られました。
東大寺さんのトップを「別当」と呼びます。
初代の別当が良弁上人という方で、774年にこのかたが85才で亡くなって1250年目の節目が今年に当たります。
今の別当さまは、224代目と言いますから、長年の歴史の重さが感じられますね。
この間に、東大寺さんには沢山の危機がありました。
その中でもとりわけ深刻だったのは、戦争による被害でしょう。
大きく取り上げると、鎌倉時代の初めころ、そして戦国時代に大乱に巻き込まれて、お寺の多くが焼失してしまいました。
しかし、どちらとも志のある方が再建のために奮闘してくださって、今日があります。
江戸時代の復興 公慶上人
戦国時代の戦乱のあと、日本は全国的に疲弊していたといいます。
戦争は人の生活を根底から崩すのですから当然です。
住む場所を失い、耕作地が荒れてしまえば、そこから作物を徴収している貴族や武士達だって困窮します。
1567年に被災した大仏殿は、奈良の武将・山田道安というかたが修理し、仮屋も作られたそうですが、大風によって仮屋が壊れてしまい、以後100年近く雨ざらし状態になってしまいました。
今鎌倉の大仏さんが露座の状態で座っていらっしゃいます。
露座とは、仏殿がなく外にいる状態のことです。
もうすっかり見慣れた風景になってしまっていますが、江戸時代初期の奈良の大仏さんも、もうすっかり露座が通常だと思われていたのではないでしょうか?
しかし、1684年になってある僧侶が登場します。
幕府に大仏殿を修理することを願い出て許されたのです。
その人こそ、公慶上人でした。
公慶上人のお像の公開がもうすぐ!
この公慶上人のお像がもうすぐ公開されます。
これにあわせて東大寺さんにお参りにいきます。
このお像を作った方は、公慶上人と親しく接していた仏師だったということで、つまり想像で作られたかたではありません。
在りし日の、大仏さんの補修、大仏殿の再建という途方もない難事業をやろうと決めて、邁進した地下強い公慶上人その人に出会えるのです。
当日は公慶上人という方についてももちらろん、大仏殿のすごさ、素晴らしさをお伝えしたいと思っています。
現在の大仏殿は、公慶上人が作ってくださったものなので、江戸時代の建物です。
「江戸時代だからこそできた」仕掛けがあります。
私はそれを「大仏殿は優しさでできている」と言っています(^o^)
優しさ100%のバファリンみたいな(^o^)
年に一度しか会えない公慶上人のお像。
そして優しさ100%の大仏殿の秘密を聞きに来てください。
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『【街歩き】公慶上人に会いに行く! あなたがいなければ今はなかった~江戸時代の東大寺大解剖!~』
【日時】2023年10月5日(木)
14時 東大寺ミュージアム前集合
【参加費】4000円(別途拝観料かかります)
お申し込みはこちら
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