奈良のお山 若草山 鹿の聖地はモシカシテ牛の聖地??
若草山が誕生した日
山の日ということで、お山の話。
奈良にはたくさんのお山があります。
奈良市内には『若草山』というお山がありまして、かつて「三笠山」と呼ばれていました。
お山の形が「笠のよう」そしてそれがみっつ重なって見えるために「三笠山」といったのです。
しかし、奈良にはもうひとつビックメジャー「みかさやま」がありました。
そう、それは『御蓋山』こちらも、ミカサヤマ…
こちらは春日大社の神山で、春日の神が降り立った場所と言います。
高貴な人にさしかける笠のように見えたことから、敬称をつけて御蓋山‥というわけです。
ふたつのお山は場所も近く、随分長いこと混同もされていたようです。
しかし、昭和になって「三笠山」は「若草山」と名を変えました。
その理由は昭和天皇の弟殿下が『三笠宮』という称号をお取りになったから。
恐れ多くも宮様と同じ響きのお山を足で踏むなど…ということで、若草山に改名されたのです。
なるほどー
奈良の鹿の受難と若草山
若草山は標高342メートル。
軽々と登れるお山です。
遠足に訪れた小学生達が、ついでに登って降りてくるくらいの場所。
夜景や夕日がきれいな場所としても有名です。
夏の時期は夜景を見るために、奈良交通さんが臨時のバスを出してます。
【奈良交通】若草山トワイライト
https://www.narakotsu.co.jp/rosen/rinji/2023summer_wakakusa-yakei.html
そしてこの若草山には、奈良公園一帯に住む鹿たちのすみかでもあります。
公園の中の鹿さんは、わりと人に慣れていますが、ここに鹿さんたちは、野性味あふれる感じで、気安く寄ってきてくれません。
明治の頃、この鹿さんたちに受難の時がありました。
当時、現在の奈良県知事的なポジションについた四条隆平は、県民を文明開化させることを目標とし、それまでの風習や信仰を「時代錯誤」として切り捨てる一面がありました。
やり玉に上がったのが奈良の鹿です。
奈良の鹿さんは春日大社の神様のお使い、「神鹿」ということで尊ばれていたのですが、これを迷信とし、鹿虐待に走ります。
大きめの鹿さんをつかまえて馬車みたいに車を引かせたり…
食べちゃったり((;´Д`))
おかげで鹿さんの数は激減します。
このときに四条が提示した奈良県改造計画の中に、若草山を牧場にするというのもありました。
当時は富国強兵政策が推進されていたので、牛乳飲んで健康になろう!みたいな思惑もあったようです。
そしてそれは、若草山に住む鹿さんにとって変わって牛を配置したかった…ということでもあります。
結果的に若草山牧場計画は断念されました。
当時、壊滅的な打撃を被った鹿さんが、また数を増やすことができたのは、当時の奈良の市民たちのご努力によるものです。
奈良に鹿が必要だと。守るべきだと。
今あるものはすべて、なんとなく残ったのではなく、「残すべき」と考えて活動した人たちのおかげ。なのですね。
イラストはyuukiさんのものを拝借しました。ありがとうございました!
奈良でガイドをしています。これからもっとあちこち回っておもしろいガイドを提供します。ご支援どうぞお願いいたします。