空海様への道③心臓を捧げよ…! 神護寺に奉納された一切経
東京国立博物館 トーハクで開催中の『神護寺展』
京都の山深い場所にある神護寺の寺宝が沢山紹介され、これらの宝物が集まり、残ったはひとえにこのお寺が空海さまの拠り所として名を馳せてきたことにあることがよく分かる素晴らしい展覧会でした。
その中でも特に印象的だったこと、ものが5つあります。
①神護寺の歴史の始まり 汚名を着ても負けないぞヘルベルト「和気清麻呂」
②神護寺復興の立役者 モンちゃんと頼朝さん…リヴァイ兵長とハンジさん
③神護寺の宝物 1.心臓を捧げよ…!後白河法皇が捧げた『一切経』
④神護寺の宝物 2.八幡神の画像と東大寺のつながり
⑤神護寺の宝物 3.仏像
⑥神護寺の宝物 4.高雄曼荼羅
これらについてお話しする第一回目がこちら
第二回目がこちら
空海様への道② 天が示した奇跡のふたり モンちゃんと頼朝さん|忠内香織 (note.com)
本日は第三回目 ③神護寺の宝物 1.後白河法皇奉納の『一切経』です。
鎌倉時代の調査兵団長 エルヴィン・スミス…後白河法皇
神護寺は空海様の拠点だった場所として、おおいに人々の尊崇を集めたわけですが、時代に翻弄され一時はかなり衰退します。
そんな中現れたモンちゃん&頼朝タッグにより復興を遂げます。
そして、続々と帰依する人々が、宝物をご寄進なさるのです。
後白河法皇もそのひとりでした。
後白河法皇は、日本の歴史の中で「院政」というのが流行る時代の天皇です。
院政とは、現役である天皇に変わって政治を司ることを言います。
後白河法皇も、天皇を退いて上皇となったのち30年以上院政を行いました。
後白河法皇は、とても熱心に仏教を信仰し、特に千手観音さまを崇拝していました。京都の三十三間堂は、千体もの千手観音さまがいらっしゃいますが、ここを造営したのは後白河法皇です。
一切経 その名の通り「一切合切」この世のお教すべて
自身の信仰心を形に表すために何ができるのか…
一生懸命お参りしたり、お金やお花を捧げたり、色々ありますけど、「経典を書き写す」ことも大きな功徳があるとされました。
お経を書く!といっても色んな経典がありますので、どれを書いたらいいのか…となりますよね。
そこで登場するのが『一切経』です。
これはもう「一切合切」!!
この世にあるお経すべてのことです。
その数一セット5400巻近く。
それを全部紙に書くとなるとおよそ9万枚の紙が必要!!
とんでもない大事業になるわけですが、ここからさらに「紙に凝ってみよう」と考えた誰かが居たわけです…
当時ふつうの紙でも高級品だった時代に、紺色に染めた「紺紙」(こんし)を用意して、そこに金泥でお経を書いたのです。
とんでもなくゴージャス!
そんなすごいお経さんですから、ちゃんとした包みが必要になります。
それが『経帙』です。
巻物を包むための、豪華版「巻きす」みたいなものです。
正倉院からの伝統を受け継ぐ『経帙』
経帙の歴史は古く、法隆寺に伝わった飛鳥時代~奈良時代のものが残っています。
そしてそれは奈良時代、壮麗な仕立てに進化します。
日本の古代の工芸品の宝庫・正倉院にはその奈良時代に作られた経帙が現存しており、神護寺の経帙はその流れを伝統や技法を受け継ぐものなのです。
そこに刻まれた模様はとても華麗で、くるくると巻いて太巻き状にするというのに、惜しみなく凝ったデザイン。使われている素材の色、グラデーション、装飾性・光沢のある絹糸…どこをどう見ても豪華すぎる。
神護寺の経帙は数多く残されているため、さまざまなパターンを見ることができるのも魅力のひとつです。
さらにその裏もスペシャル。
内側ですから、経典があたる大事な部分ではありますが、巻いてしまうと見えません。
しかしそこに素晴らしい文様を織りだした綾でもって造っているのです。
この文様がまた上品で繊細。
日本の模様にはすべて意味があります。
それぞれが、伝統的な形でもって作られ、さらに染色も考え抜かれた貴重なものです。
心臓を捧げよ! 真の仏弟子の忠誠心の力
ただびとがひとりで、一切経を写経しようとしたら、人生の大半を使ってもなし得ないでしょう。
しかし天下の後白河法皇なら話は別です。
それでも、自分が持てる限りの財力・人脈を駆使しないと、こんな豪華な一切経、そしてその経帙はできません。
彼が権勢をふるったのは、彼なりに実現した政治や世の中があったからでしょうが、そんな法皇が自身の信仰に全力を注いだ…
持っている力をすべて注いだ…
そう、仏教に心臓を捧げた結果が、この一切経なのです。
とんでもない品です。