見出し画像

湯浅党やべえ 『北斗の拳』モヒカン雑魚は和歌山に実在した!

 和歌山に行ってきました。

 奈良からは大阪を経由して行くので1時間30分くらいかかります。
ちょっと時間はかかりますが、十分日帰り圏内ですので、もっとひんぱんに行き来したいと思っている場所。和歌山です。

 思い立って出かけたのでノープランでしたが、和歌山市内に『和歌山県立博物館』があったので、立ち寄りました。

 キャッチコピーがすごくて「和歌山3万年の歴史が知れる」みたいなことが書いてました。
 3万年とは! 大きく出ましたね!

 実際、旧石器時代から現代までの和歌山が網羅されていて、たしかに3万年分の歴史を受け取りました。とても見やすくわかりやすい展示で、奈良の全体を網羅した歴史博物館のない奈良からは羨ましい施設です。


 私は奈良時代マニアなので、和歌山県が大和政権とどんな風に関わっているのか、そのあたりに興味があったのですけど、一番おもしろかったのが中世でした。

 中世の頃は、和歌山に限らずですけどそれぞれの土地は誰かの荘園になっていました。荘園領主はたいてい京都に住んでいて、荘園で作られた米や作物を運ばせて納めさせていたのです。

 遠く離れた領主様へ、収穫物を持っていくなんて、なんて従順なと驚くのですがそれはさておき。荘園領主とは別に、現場監督的な人が現地にいるわけです。地頭なんて呼ばれますけど、こやつらが実際に土地を耕す農民たちに無理難題をふっかけるジャイアン化していたわけです。


 そのジャイアンのひとりに、湯浅という人がいました。
 彼らが血縁関係や婚姻関係でもって作ったグループを「湯浅党」といいます。

 湯浅って名前だけは聞いたことがあったのです。
 彼らのことが博物館で詳しく書いてあって、そのくだりがヤバかった。

 ジャイアンどころではないんです。
 『北斗の拳』のモヒカン雑魚なみの無法者レベルなんですよ。略奪と殺戮しかしないんじゃないかという。

 

モヒカン雑魚

 この湯浅党が、中央政府とのバイブを作るために、自分とこの子弟を僧侶にするんですね。で、有力寺院に送り込む。京都の神護寺は、空海様の霊場として名高い場所ですが、そこに送り込まれた僧侶が明恵上人です。

 明恵上人は、鎌倉時代の超絶優秀お坊さんランキングでは、上位にいるハイパー学識深い人です。あまりに優秀で気高いから、後鳥羽上皇が大ファンになったんですね。後鳥羽上皇の強烈な推し。それが明恵上人。
 もう明恵上人のことならなんでも聞くわけですよ。
 土地がほしいなあという明恵上人の望みに「よっしゃ、まかなせないと」
 『栂尾』という土地を与えて、それが後に「高山寺」というお寺になります。あの鳥獣戯画で有名な場所です。

 明恵上人は、19才から59才まで、40年に渡って夢日記をつけていたことでも有名な人です。
 夢に意味があると信じていたのですね。

 この夢日記はとても面白いのですが、とても難解だそうです。
 だって夢ってとりとめのないもの。脈絡なく話が進んでいったりするし、切り替わったりするし。
 それをわかりやすく解説した本が、河合隼雄先生の『明恵、夢を生きる』です。 河合隼雄先生は、高名な心理学者でもあります。

 明恵上人は奈良にとてもゆかりが深い人でもあります。
 ずっと行きたかったインドに行ってもいいかと神様にお伺いを立てるんですけど、その神様こそ春日の神様なんです。

 答えはノーだったんですけどね。 
 明恵上人が春日の神様を崇拝されるように、春日の神様も明恵上人を大事に思っていらして、国外に出ることをお許しにならなかったといいます。

 さて、そんな明恵上人を輩出した湯浅党ですが、彼らがいかにヒャッハーで、とんでもないワルだったのか。当時ひどいめに合わされた農民たちの記録が残っています。

 それが展示されていたのですよ。すごいです。

 「カタカナ言上状」(カタカナごんじょうじょう)

 悪さ① 深夜の襲撃
 10月21日の真夜中ちょっと前に、地頭は百姓の泊っている
宿へ襲撃をかけてきた。 百姓たちは驚きあわてて逃げ出
したので、かろうじて生きのびることができた。(第5条)

 悪さ②食いつぶし作戦
 地頭方の武装兵が20数人、10月8日より3日間、10月18日よ
り2日間、年貢を取りたてるため百姓の家に居座り、200膳
におよぶ食事を強要した。 その上、保存食である栗・干柿
も次々と奪い取っていった。 (第6条)


 10月25日より地頭方の35人が百姓の家に居座り、「ありっ
たけのものを取りつくすまでは何十日でも居てやるぞ」
と言って、百姓に1日に3度の宴会を開かせた。また自分
たちの馬のとして1日に1斗3升の米を出させ、その上
大豆・小豆・栗・稗を馬に食わせた。 (第11条)

 悪さ③山での脅迫
 地頭は、山へ木材の集材にきた百姓たちに、 逃亡した
百姓の田に麦をまくことを強要した。 そして 「応じなければ、
女どもを捕えて耳を切り鼻をそぎ髪を切って尼のように
して、縄で縛りあげ折檻するぞ」と脅迫した。 (第4条)

和歌山県立博物館『きのくにの歩み-人々の生活と文化-』常設展示図録


 まさに鬼畜!
 『北斗の拳』モヒカン雑魚は和歌山に実在していたのです!

 湯浅党は1379年に拠点を攻略されて、終わりを迎えたというのですけど、当時日本中にこういう武士団がいっぱいいて、応仁の乱を起こし、戦国時代を迎え、豊臣政権から徳川幕府時代へと移っていくわけですね。

 いやーーー戦国時代が終わって良かった~と心底感じた展示でした。

 

 

 

いいなと思ったら応援しよう!

忠内香織
奈良でガイドをしています。これからもっとあちこち回っておもしろいガイドを提供します。ご支援どうぞお願いいたします。