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奈良の境界線(後)
明治になるまで、奈良の治安はお奉行様が守っていました。
現在奈良女子大学があるあたりに『奈良奉行所』がありました。
奉行所は幕府の管轄。
江戸時代、奈良は徳川幕府の直轄地だったのです。
徳川家康は、関ヶ原の合戦にて勝利して、天下を治める足がかりをつかみます。そのあとの大阪冬の陣・夏の陣で豊臣家を滅亡に追い込むわけですけど、その後も油断のならない日々でした。
今でこそ、これらの戦で決着がついた、徳川の世の中になったと思っていますが、当時としてはいつなんどきどんな手が上がるかは分からなかったと思います。
そこで大阪に近い奈良も、万が一の時の拠点として徳川の手中に置く必要があったわけです。
奈良は古代から都があり続けたのは、やはり西にも東にも行きやすい好立地だということがあると思います。
そんなわけで奉行所が奈良に置かれることになったわけですが、当然犯罪者を閉じ込める牢屋なんかもありました。
幕末にペリーの来航から開国だ!となったとき、西洋諸国と不平等条約を結ばされたというのがあります。
色んな面で日本は下に見られていたのですけど、「人権」に関することで大きく遅れをとっているということも、文明人でないという判定につながったようです。
犯罪者を収容する牢屋が残されていて、見学したことがあるのですが、その小ささに度肝を抜かれました。
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江戸時代の牢屋の様子は、時代劇なんかで悲惨な様子が描かれてますけど、まあお話だし・・・と思っていたら!
現実の方が過酷な感じ。
犯罪者なんか人でなしっしょ!
どー扱おうといいじゃん?
という声が聞こえてきそうです!
こういったことが「だめなんだ」ということすら知らなかった、認識してなかった日本。
急いで海外に研修に行ったりして、時代に合わせた監獄を作ることになりました。
その結果できたのが、旧奈良監獄です。
のちに少年刑務所となりました。
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レンガ造りのモダンなスタイルは、刑務所だということを忘れてしまいそうなほど、すてきな建物です。
今度ここがホテルになるそうで・・・
どんな風に生まれ変わるのでしょうか?
敷地内はとても広く、雑草もすごいので、私が見学したときはヤギさんがいました。
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奈良でも名建築のひとつとして、刑務所の役目を終えたあとはさかんに内部の見学会などがありました。
私も喜んで行かせてもらったのですけど、いっぽうで高く長い壁を見ていると、ここに収容された人々がいたこと・・・犯罪はもちろんだめだけど、さまざまな因果が、人を犯罪に走らせてここに来ることになってしまった。
そんなことを思わずにはいられませんでした。
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