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奈良の境界線(前)
奈良の北の方へ行くと「奈良阪」というエリアがあります。
ちょうど京都との県境になっている場所で、昔から旅人や物流が行き来する重要な場所でした。
同時に境界線は「内」と「外」の境目として機能しました。
内側にいる悪いものを追い出すことで、清浄を保つという意識です。
竹田和夫先生の『古代 中世の境界意識と文化交流』
にはこんな一節があります。
辺境や異域の住人を畏怖し、鬼と意識することになるのは九~十世紀とされる。十~十一世紀になると天皇の清浄化を求める宮中儀礼が肥大化していた。(中略)これは穢れの追放の図式であり天皇→大内裏→洛中→洛外→山城→国家四至外へと拡散していく。穢れの阻止儀礼はこの逆で行われた。
内側を清浄にしたかったら、穢れたものを外に出せばいい。
家の中のゴミは家の外へ出すのと同じです。
そして最終的には国の外に出せばいいのです。
国境や国境近辺は異界への入口として、都で遠ざけられたものが存在する場所でした。
このあたりにあったとされる施設が『北山十八間戸』です。
ハンセン氏病患者の療養施設として、鎌倉時代の忍性さんというお坊さんが創設したという説、奈良時代に光明皇后という方が設置したという説などあります。
明治初年に廃止されるまで、使われていました。
ハンセン氏病は、わりと最近まで恐れられていた病気です。
感染力が強く、特効薬もなかったので、近代になっても患者さんが隔離されてきたという辛い歴史を持っています。
宮崎駿監督の映画『もののけ姫』にて、エボシ御前が鉄砲を作らせている秘密の場所がありましたが、あそこで包帯をぐるぐる巻きにして活動していたのは、ハンセン氏病患者だと思われます。
社会から見捨てられた人々~それは売り飛ばされた娘だったり、ハンセン氏病の患者だったりするけれども、彼らも見捨てない。自分たちの王国を作る、というエボシ御前の思想が表現されていました。
北山十八間戸は、現在の場所に移築され外側だけ見ることができます。
貴重な施設です。
この北山十八間戸のすぐ近くに、奈良少年刑務所があります。
明治に設立した奈良監獄が前身になっています。
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