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空海様への道② 天が示した奇跡のふたり モンちゃんと頼朝さん
東京国立博物館 トーハクで開催中の『神護寺展』
京都の山深い場所にある神護寺の寺宝が沢山紹介され、これらの宝物が集まり、残ったはひとえにこのお寺が空海さまの拠り所として名を馳せてきたことにあることがよく分かる素晴らしい展覧会でした。
その中でも特に印象的だったこと、ものが5つあります。
①神護寺の歴史の始まり「和気清麻呂」
②神護寺復興の立役者 天が示した奇跡のふたり モンちゃんと頼朝さん
③神護寺の宝物 1.後白河法皇奉納の『一切経』
④神護寺の宝物 2.八幡神の画像と東大寺のつながり
⑤神護寺の宝物 3.仏像
⑥神護寺の宝物 4.高雄曼荼羅
これらについてお話しする第一回目がこちら
②神護寺復興の立役者 天が示した奇跡のふたり モンちゃんと頼朝さん
文覚上人&源頼朝の回です。
運命・宿命!? 出会うしかないふたり
運命というものがあるならば…出会いというものが宿命付けられているならば。
鎌倉時代に生を受け、時代を変えるために奔走したこのふたりこそ運命に結ばれた『神護寺復興』という星の元に生まれたとしか言いようがありません。
その二人の名は
文覚上人。そして源頼朝です。
四重苦☠神護寺
空海様の拠点として出発し、密教の聖地として名を馳せた神護寺ですが、時代の中で大変なご苦労をされた時代もありました。
特に院政期、度重なる火災で伽藍は消失。
寺宝は流出。
僧侶はいなくなる。
御本尊雨ざらし。
という四重苦にさらされたときも!
そんな中ある僧侶が初めて神護寺にやってきます。
彼の名は文覚上人。
彼はのちにこう呼ばれます。
『モンちゃん』
…いえいえ、『高雄の聖』です。
高雄とは神護寺のある場所を指しますので、彼の功績がよく分かる言葉です。
彼はもともと武士でした。
北面武士といい、宮中にて上皇の身辺を警護する任務にありました。院御所の北面(北側の部屋)の下に近衛として詰めたことからこの名があります。
それをやめて僧侶になったのは、ある悲劇の恋がありました。
モンちゃんは、自分のいとこにあたる男性の妻に懸想します。
女性にしてみればいい迷惑。夫のある身で言い寄られてもどうしようもなし。しかしモンちゃんは、思いを遂げさせてくれないと、女性の母親に危害をを加えるなどととんでもないことを言い出したのです。
「夫の髪を洗い、酔い潰して寝かせます。あなたはそこを討って下さい」
言われたとおり彼は恋敵を討つのですが、自分が切った相手は恋した女性でした。
なんと彼女は夫を救うために、そして自分の操を守るために自分の髪を濡らして夫のように見せかけ、モンちゃんを騙して自分を殺させたのです。
モンちゃんは北面武士をやめ、出家して僧侶になりました。
こうして「文覚上人」が誕生したのです。
そんな彼は、空海さまをとてもリスペクトしていたので真言宗の僧侶となり、空海様の聖地でもある神護寺を訪れたのでした。
ただその頃の神護寺は酷く荒れており、復興を志します。
しかしそのやり方がまずかった。
かつての職場、宮中の後白河法皇の所に行って「神護寺復興のための荘園を与えてくれ。与えてくれるまでここを動かん」と騒ぎを起こしたのでひっ捕らえられて流罪になってしまったのです!
人間爆弾みたいな人ですが、彼にとって幸運だったのは、その流罪地が伊豆だったことでした。
当時伊豆にはあの源頼朝も流されていたのです。
大スポンサー 源頼朝
源頼朝の知遇を得たことで、そのあと赦されたモンちゃんは、神護寺復興に邁進します。
最初は断られた後白河法皇からのご寄進もいただけて、神護寺は経済基盤を得ることができたのでした。
『伝源頼朝像』は、社会科の教科書で「頼朝の肖像はこれだ!」とされてきたものです。
これが神護寺に所蔵されているのです。
あくまで「伝」なので、もしかしたら頼朝さんじゃないかもですけど、それにしたって素晴らしい肖像画です。
人間を描いている点でとてもリアルなんですけど、人間の生々しい俗っぽい雰囲気が感じられず、すごくすっきりとして輝くような人物です。
僧侶モンちゃんの肖像画の方が、僧侶のわりにこれまでの人生の荒っぽさを感じさせるような、人としての苦悩や体温、野心ようなものが漂っているのに比べ、伝頼朝像は、理性的な眼差しや秀でた顔のラインからは何かしら光が放たれているようです。
まるで神様を描いたかのように神々しいかんじ。
前章でも述べたように、この絵は頼朝さんかどうかはわからず…頼朝さんでないなら、なぜ僧侶でも神でもない人を描いたのか…そしてそれがなぜ神護寺にあるのか…
しかしこれが頼朝さんなら、モンちゃんとともに神護寺復興の中心人物として、頼朝さんを称賛するために肖像画が作られたとするなら頷けることです。
モンちゃんは伊豆に流された頼朝さんを前にして、平家打倒の挙兵を勧めたという人物でもあります。
どこまでもマグマのようなモンちゃんと、モンちゃんというエンジンによって動く頼朝さん。
ふたりの運命の出逢いが、神護寺の復興に欠かせないものでした。
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