唐招提寺 観月会
本日9/17は中秋の名月です。
奈良県内ではあちこちでお月さまを愛でる「観月会」が催され、東大寺二月堂では、盆踊りが開催されます。
私は唐招提寺さんに寄せてもらうつもりなのですが、おひとりで行かれる方のために、唐招提寺さんのことを少し書きます。
唐招提寺さんは、あの鑑真和上さまが開かれたお寺です。
仏教において「戒律」を授けられることで、正式な僧侶として認められましたが、奈良時代の日本にその資格をもったひとはいませんでした。
そこで普照と栄叡(ようえい)というお坊さんが、使いとなって日本に招く指導者を求めて旅をしたのです。
その結果、たどり着いたのが鑑真和上でした。
当時鑑真和上は、当時の中国にとって、人間国宝のような大事な人材。
日本へ行くことが赦されず、その旅は「密航」だったといいます。
そのため何度も失敗し、何度も密告されて連れ戻され、時に嵐にあって命からがら帰ってきました。
幾度も失敗を重ねて、その間に最愛のお弟子さんと伝わる祥彦を亡くし、自らも失明するという困難を乗り越えての到達でした。
6回の渡航にチャレンジしたのち、753年にようやく薩摩国にたどり着きます。
志してから12年の月日が流れていました。
一行は大宰府を経て、翌年難波にいたり、河内をへて平城京に入ります。
平城京 羅城門に迎えに来たのは、長屋王の子息・安宿王でした。
長屋王はこの時すでに亡くなっていましたが、過去に和上へ千枚の袈裟を贈ったことがあり、そこには日本と中国は遠く隔たっているが、ともに仏の御縁で結ばれた国同士だと歌われた漢詩が刺繍してあったといいます。
鑑真和上が日本へ行くことを決めた理由のひとつに、長屋王のこの働きがあったといいます。
その子息が出迎えてきてくれたのですから、鑑真和上は色々思うところがあったのではないでしょうか。
東大寺に入ると吉備真備が勅使として遣わされました。
勅使とは天皇の使いのことなので、天皇の言葉が伝えられたのです。
「大徳和上 遠く滄波を渡り来てこの国に投ず。誠に朕が意に副えり。 喜慰喩うるものなし」と勅され、「授戒伝律は一に和上にまかす」とされました。
そして、東大寺の大仏殿の前に戒壇を設けて、天皇・皇后・皇太子以下四百名あまりに戒を授けられました。
そんな鑑真和上が作られた戒律の道場。それが唐招提寺です。
今もここに鑑真和上の御廟があります。
故郷を旅立ってのち、二度とその土を踏まず、日本にて命をまっとうしてくださったのです。
唐招提寺にて月を見上げることは、鑑真和上とともに見上げることかもしれません。
当日は鑑真和上の為に描かれた襖絵も公開されます。
ぜひ唐招提寺に詣でて、月をながめて見てください。